■創刊500号記念主張■
(1993年8月号)

混迷する政治に社会民主主義の旗を高く揚げよう

 創刊500号記念号が読者の手元に届くころは、総選挙が告示され、 選挙戦も中盤から終盤に近いころかと思われます。

 いろいろな見方はあるにせよ、自民党がこれまでにない大分裂をして、政権がうごくチャンスに恵まれた、 その意味では1955年の保守合同の成立以来の重要な選挙であることには違いありません。 国民がこのチャンスをどのようにいかすのか、逆に言えば政党は国民がこのチャンスをいかせるように、 自らの政見をわかりやすく明確に提示すべきです。

 今回の総選挙のキーワードは政治改革、政権構想、政界再編ということになるでしょう。 ここで当面の具体的な回答が求められることは当然ですが、同時にこの総選挙が歴史的転換を画する選挙であるとするならば、 大局的な見地からの判断もまた必要になるでしょう。

 大きく見るならば、今回の、宮沢内閣が不信任され、自民党が分裂するという事態の背景には、 米ソの冷戦終結という現代史の大きな転換があるはずです。 ソ連邦が解体をされる一方、アメリカもまた財政と貿易の赤字から脱却できないばかりか、ますます深刻化し、 変革を訴えて当選したクリントン大統領も不評に喘いでいます。この状況の下で、これまでアメリカの核の傘の下で、 ひたすら経済成長路線を追求してきた自民党政治は、アメリカとの貿易摩擦、アジア諸国との友好関係をどうするのか、 巨大化した日本の経済力にPKOなどいわゆる「国際貢献」の課題を抱えたまま方向性を見失い、 政・官・財・暴のゆ着した体制が構造的に生みだす腐敗によって立ち往生してしまったと言えます。

 そこで政界再編が模索されるわけですが、「制度疲労」という言葉が使われたように、財界としては、 大企業を中心とする自らの利益が保障される体制のリストラクチュアリング(再構築)を求めていることは明らかです。 いわれるところの保守2党体制は、自民党政治の行詰まりを見て、財界がかけた保険でした。 昨年以来、日本新党が結成されたり、平成維新の会が発足したり、通常国会の幕切れから自民党が分裂して、 羽田・小沢グループの新生党や、武村グループの「さきがけ」がうまれて、保守政治勢力は様々に分岐しているように見えます。 しかし、日本新党や平成維新の会は憲法の平和的精神の継承や、軍縮、政治改革、地方分権などを揚げながらも、 自衛隊を憲法上認め、教育を含むあらゆる分野での規制緩和、自由化、能力主義をうたって、 財界・大企業に奉仕しようとしていることは見逃すわけにはいきません。 羽田・小沢グループが昨日まで、政・官・財・暴ゆ着体制の腐敗の中枢にいたことも明らかです。 このことは、社会党がこのような勢力のどこかと政権協議をするにしても前提としてふまえておくべきことです。

 四分五裂しているように見える保守政治勢力がこのあと、どのように統合再編されていくかは予断を許しません。 2党に再編されるのか、結局は元の一つのサヤに収まるのか、ただ、多くの人が構想として打ち上げているのは、 より自由主義的な保守政党と、より民主々義的な保守政党への再編です。自由民主党ができる前に、 自由党と民主党という二つの保守政党が一時並存したことが想起されます。

 今日の時点で、政策的にはより自由主義的ならば規制緩和、民活、小さな政府、教育は能力主義で全般的に競争原理に立ち、 福祉はミニマムの確立よりも弱者救済の範囲ということになるでしょう。大企業の利益をストレートに反映する立場といえます。 より民主々義的であるならば、政治的には情報公開などをある程度すすめ、一定の規制の下に中小企業や消費者の保護を行い、 教育政策も機会均等を認めるということになるでしょう。資本主義を国民的な基盤上で調整するという役割になるでしょう。 後者は日本の伝統的な保守政治においてはつねに少数派でした。

 ただ、注意しておくべきことは、憲法9条に関していうと、現実に存在するほとんどの保守勢力が、 国際貢献を口実として改憲派だということです。 違いがあるとすれば、現行憲法でもPKOに参加できるという解釈改憲と明文改憲の違いでしかありません。

 そして、この保守2党への再編の成否のカギは社会党をそこに巻き込みうるか否かにあります。 社会党が社会民主々義という独自の理念を揚げて、平和憲法擁護の基本政策を堅持しながら、 衆参両院に200をこえる議席を持っていては、保守政党同士の政権のドッジボールは不可能だからです。

 マスコミが自民党政治の腐敗をとりあげるとき、必ず社会党の弱点もとりあげて、バランスをとり、 自社両党とも既成政党の体質があるとして政治不信を助長しているのは、 そこに社会党を叩いて保守2党に再編するという体制の意志が働いていると見なければなりません。 もちろん、社会党にもつけ込まれる隙があるわけで、そこに社会党改革の課題もあるわけです。 今回の選挙はまず自民党の議席を大きく減らして政権の座を去らせ、政局をうごかすことが第一ですが、 政権協議から政界再編にかけて、社会党が独自の理念と固有の政策を堅持したまま柔軟に対応して、連立政権をつくりうるか、 社会党は現実的になれと言われ、独自性を放棄させられて保守2党への再編にのまれてしまうかは決定的な違いになります。

 保守勢力でもより民主主義的な政策志向がつよまれば、当面の政策に関しては社会民主々義ともかさなる部分はでてきますし、 連立政権の協議もより容易になるでしょう。 ただし、だから一つの政党になってしまえというのでは乱暴な話です。保守政党でより自由主義的、より民主々義的と言っても、 それは程度の違いであって、かって自由党と民主党が一しょになって自民党になったように、 政権のうまみの前には、いつでも一しょになれるものです。 政権安定のためには、共通の価値観を持つ者は一つになれという名文がかかげられるでしょう。 そのとき、社会党が民主的な政党に解体されていれば(現に「連合」幹部の中には、 社会民主々義の社会をとれと言っている人がいます。)、共産党をのぞいて日本には有力政党は一つしかないことになり、 国民は選択肢をうばわれてしまいます。

 社会党の支持層の中には二通りの声があることが、これまでの調査でも明らかになっています。 一つは平和憲法の理念をしっかりまもり、戦争に反対し、自民党政治に毅然として対決してもらいたいと、 その姿勢の鮮明さに魅かれて支持するというものと、少々妥協してもいいから政権をとってもらいたい、 いまの政治をうごかしてもらいたいというものです。 社会党はこの一方を切り捨てるのではなく、両方をまとめて政治的に代表していくべきで、 社会党を分裂させるという一部政界再編論者の手にのってはなりません。支持層をまとめ、 党内でも合意できる社会党独自の理念は社会民主々義でしょう。米ソ冷戦の終結は平和憲法が生きる情勢になってきました。 社会党は政治理念としては、言われるような保守の二つの方向軸に対抗しうるもう一つの方向として、 社会民主々義の旗を高くかかげ、政策的には平和憲法の擁護など固有の政策を堅持することを鮮明にして選挙戦をかちぬき、 その上で連立政権の協議をすすめるべきです。いま、旗を高くかかげておくことが、この先、必ず生きてくるでしょう。

 連立政権に関しては、社会党の単独政権でない以上、独自の政策が部分的にしか実現されないこと、 負の遺産をふくめて、現状を引き継いで出発することは明らかです。中心的課題が政治改革になることも当然でしょう。 その際、本誌として主張したいことは、政治改革は選挙改革とイコールではないということです。 それはむしろ、自民党の態度であって、政治腐敗に怒る国民の立場からすれば、 企業献金の禁止や罰則の強化をふくむ政治腐敗防止法(政治倫理法)の制定こそ本来の政治改革の第一歩です。 そして、議会での証言など国会審議の公開度を高めること、国対政治という名の談合政治をやめることです。 次には政・財・官・暴のゆ着にメスをいれることで、官僚の中立化(退職即議員に立候補の禁止や天下りの制限の強化)、 中央に集中している許認可権限の洗い直しと地方への移譲、公共事業の指名入札を一般競争入札に改めることなどでしょう。 選挙制度に関しては、それがあたかも政治改革の中心であるかのように煽りたてられてきましたが、 もう一度冷静になって考える必要があるでしょう。もちろん、ここまできた経過は無視できないでしょう。 現行制度を変えるというのであれば、理念的にはっきりすべきで、比例代表制を基本とすべきでしょう。 もう一度、社会党、公明党の比例代表並用制から出発すべきです。しかし、選挙制度だけでなく、 本来の政治改革にこそ力をいれてもらいたいということを繰り返し強調しておきます。

 その上で、総選挙の投票日を前に訴えます。政治腐敗の元兇、自民党を徹底的に減らし、 マスコミは自民党から出た人たちにばかり焦点をあてていますが、国民のもう一つの選択肢として、 社会民主々義の旗をかかげた社会党を大きく選びとりましょう。