高校歴史教科書検定意見撤回のとりくみ 沖縄高教組 松田寛



はじめに

 「戦後レジーム」からの脱却を唱え教育基本法を改悪し憲法を否定する安倍前政権や小泉元政権により、建前の上 では沖縄県民の基地負担の軽減として進められている「在日米軍再編問題」。 

 しかし、沖縄の基地をめぐる状況は嘉手納基地へのPac3の配備や辺野古への新基地建設強行等々一層の基地強化 のためにあらゆる手段を行使している。とりわけ辺野古へ自衛艦「ぶんご」を派遣し、米軍による「銃剣とブルドーザー」による 土地強奪を県民に想起させ、参院選が終わるやいなや東村高江へのヘリパットの着工の動きも加速させている。改めて沖縄は戦前 ・戦中・戦後、一貫して「軍事植民地=戦時レジーム」の中にあることが示されている。しかし、この靖国派安倍前政権の暴走と しかいいようのない実態は、逆にその本質を見えやすくし、強権的に「戦争への道」にまっしぐらに進むありさまに、自・公を支 持する人たちでさえ現状を容認できない状況となっている。

 そのような中、来年度から使用される高校歴史教科書検定で沖縄戦における集団死・「集団自決」から「日本軍の関与 」を削除・修正していることが3月30日に明らかになった。それはとりもなおさず、在日米軍再編や軍事大国化を押し進めるわ が国政府・文部科学省にとって、沖縄戦の実相である「軍隊は住民を守らない」はあってはならないものとして、これをおおい隠 し歴史から消し去ろうとするものである。

 私たち教職員の責務は、子どもたちに真実を教え伝えることである。しかし、その真実が時の為政者によって強権的に 変えられようとしている。危険で許しがたいこの策動との闘いは「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを掲げる教職員にと って、今後の「平和教育」の進路を占う上でもきわめて重要であり全国連帯を求めるものである。

消された「日本軍」という主語

 07年3月30日に公表された高校歴史教科書検定結果は、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」との 検定意見により、集団死・「集団自決」から「日本軍の関与=強制・命令・誘導」を削除、あるいは言及しないような表現に5社 7冊がなってしまった。

 その結果、山川出版日本史Aでは「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。」 の申請記述が「『集団自決』においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった」となり、三省堂日本史Aは「日 本軍に『集団自決』を強いられたり」が「追いつめられて『集団自決』した人や」などに書き換えられた。「日本軍による」という 主語がなくなり、沖縄戦の実相を曖昧にし、「軍隊の足手まといにならないために住民自身が自ら犠牲的精神の発露として住民自ら 命を絶ったものであり『自発的な美しい死』であった」とも読める内容となってしまった。日本軍の強制と誘導によっておきた肉親 同士の殺し合いである「集団自決」を、「殉国美談」としてねじ曲げ、「戦争できる国民づくり」に教育を利用しようとする、その ような教科書が来年度から全国の高校生の手に渡ろうとしているのである。

理由とされた「大江・岩波裁判」

 今回の検定意見の理由として、文科省は「大江・岩波『集団自決』訴訟」をあげ、座間味・渡嘉敷の両島の守備隊長であ った原告の主張のみを対象にして教科書の書き換えを行ったことを自らが明らかにしている。

 6月13日、文科省布村審議官は審議過程の説明を求めた県議(自民党)に対し、「今回、座間味島、渡嘉敷島の事例のみ を議論し本島でも起きた『集団自決』は対象にしなかった」、「両島で部隊長による直接の命令があったかどうかは断定できないと の意見で委員が一致した」とし、直接の命令があったかどうかわからない、だから沖縄戦全体においても集団死・「集団自決」は軍 命によるものではない、としているのである。しかも大江・岩波裁判は現在も係争中であり、検定がされた時期は原告・被告双方が 意見を一方的に述べ合う段階であった。なおかつ裁判における結論(判決)もまだ出ないうちに、文科省自らが結論を下したのである。

 沖縄戦における集団死・「集団自決」は、極限状況におかれた住民が「軍官民共生共死」の思想のもと、家族同士が殺し 合うという悲惨なものであり、そこには徹底した皇民化教育に裏打ちされた軍の命令・強制・誘導があったことが、沖縄戦研究や多く の生存者・体験者によって明らかにされている。にもかかわらず文科省は原告側と同様に、その裁判を「沖縄集団自決えん罪訴訟」と 呼んだのである(さすがに後からは訂正した)。

 ここで明らかなことは、座間味・渡嘉敷に限定し検討し、尚かつ一個人の名誉毀損の訴えが、沖縄戦の全貌全体を表してい るとしているのである。つまり、県内で起きた「伊江島、読谷、糸満」等々で起きていることは無視し、両島のみが沖縄戦の全体像と したのである。政府・文科省がやろうとしていることはまさに部分否定を全否定につなげる「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる 会)の手法であり、絶対に許すことはできない。

 一方、大江・岩波裁判もいよいよ12月には結審を迎えることになっている。これまでお互いの主張を述べ合っていた意見 陳述から7月27日から証人調べが始まり、11月に大江氏の証人尋問を最後に12月に結審を迎える。

 この裁判では、「隊長からの命令があったかなかったか、物的証拠があるかどうか」が争われている。とりわけ27日の証 人調べには、梅澤の副官であった原告側証人の知念朝睦から重要な発言がなされた。「戦隊長は慈悲のある人だった。しかし、住民が 捕虜になることは許さなかった。米軍から脱走してきた少年や伊江島の女性、大城教頭らの処刑は戦隊長の口頭の命令で行った。」と 裁判の中で証言している。つまり、戦隊長は「住民が捕虜になることは許さなかった」「口頭命令で処刑をした」とのことを明らかに したのである。原告側の証言からこのような発言が出ること自体衝撃的ではあるが、戦時体制下で命令書があるかないかを争うこと自 体ナンセンスなことである。沖縄国際大学名誉教授の安仁屋政昭氏は集団死・「集団自決」を「合囲地境(ごういちきょう)における 『集団死』」として説明している。

 座間味島の守備隊長の梅澤裕と渡嘉敷島の守備隊長の故赤松嘉次は同じ陸軍士官学校の出身であった。彼らが陸軍士官学校 で学んだ教科書『軍制学教程』1942年版に「合囲地境」というのが定義されている。それによると戒厳令は「臨戦地境」と「合囲 地境」の「二種ニ分チ」、「合囲地境」は「敵ノ合囲若クハ攻撃其ノ他ノ事変ニ際シ警戒スベキ地方ヲ区画シテ合囲ノ区域ト為ス」と して、「合囲地境内ニ於テハ地方行政事務及司法事務ノ全部管掌ノ権ヲ其ノ地ノ司令官ニ委(まか)スモノトス」とされているのであ る。つまり、当時の座間味・渡嘉敷は制空権・制海権をはじめ全てが米軍に掌握されており、地方行政も全てが赤松・梅澤による軍政 に組み込まれ、陸海空ともに敵の包囲、攻撃などに直面した状態で、「軍民共生共死の一体化が強制された」のである。しかも1942 年当時の陸軍士官学校校長は、第32軍沖縄方面司令官の牛島満だったのである。

周到に準備された修正・削除

 そして、文科省は用意周到に準備していたことも徐々に明らかになりつつある。今年3月の記者レクの中で文科省は「基本的 には、軍による命令はあったというのが多数説という状況が続いていた。しかし、最近の学説は、軍による命令行為があったかなかった かということよりも、住民が集団自決を受け入れる精神状態に着目して考察を加えるという論調に変化してきているものが多くなってき ている。こうした中で裁判が起きて、座間味島に派遣された隊長であった梅澤少佐、この本人から軍の命令を否定する意見陳述がなされ ている。この状況を踏まえまして、今回の検定より『集団自決』を日本軍が強要した、ないし日本軍が命令したという記述に関しては、 検定意見を付し、記述の修正を求めることにしたものである」と発言していることが漏れ伝えられている。「住民が集団自決を受け入れ る精神状態に着目して考察」する、まさに「軍隊の足手まといにならないために犠牲的精神の発露として住民自ら命を絶ったものであり 『自発的な美しい死』であった」とする「つくる会」の動きと符合し、そこには体験者の「証言」は一顧だにされず「精神状態の考察」 で事実を消し去ろうとするものである。犠牲者や悲惨な体験者を愚弄するものと言わざるを得ない。

 今回の沖縄戦の検定意見は「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」となっている。文言からいったら「も っと詳しく書きなさい」とも読める。しかし出てきた内容は、全ての教科書から「日本軍という主語」が消えた。そこには当然文科省側 からの何らかの縛りがないと、一斉に同じものにはならないはずである。

 そのことを証明するように今回の教科書検定の審議過程における執筆者と教科書調査官とのやりとりについても一部明らかに なってきている。 

 A氏(執筆者)によると「〜誤解するおそれのある表現」というように、指摘事由はきわめて簡単な書き方にしかなっていない 。それでは「何がおかしいのかこちらは分からない」。これを執筆者が勝手に解釈をし「誤解するおそれがあるから」もっと詳しく書く とか、そういう勝手な解釈はできない仕掛けになっている。つまり教科書調査官が「こういう趣旨だと説明し、その説明された趣旨に沿 って直さないと検定には通らない」仕掛けとなっている。表向きは、教科書検定審議会(非常勤)の検定意見であり、その権限となって いる。しかし、執筆者との対応は、文科省常勤職員である教科書調査官が直接対応する。しかも、そこで質問をしたり反論をしたり意見 を言っても「それは私たちには分かりません。これは審議会の意見です」ということで逃げられてしまう。

 今回の検定の場合、では何が「誤解するおそれのある表現」かについて調査官の説明によると「軍の命令が出ていたかについ ては出ていないとの見方が定着しつつある」との指摘をし、申請本で「日本軍は、県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍 のくばった手榴弾で集団自害と殺し合いをさせ、八〇〇人以上の犠牲者を出した」となっている。その「集団自決」の部分については、 「集団自害をさせ」の「させ」が問題だ、それが検定意見の趣旨だと言われたことを明らかにしている。つまり、「検定意見の趣旨」は こうだ、と極めて明確な形で言われ、それ以外の解釈や直し方はできないという形で進められている。そして「壕追い出しやスパイ容疑 による殺害」については、それは事実ですから結構です。また、日本軍が手榴弾を配ったということについても、これも「事実ですから これも結構」という。

 つまり、この過程からからはっきりしてきたことは、日本軍が集団死・「集団自決」を「させた」という文言こそが問題であ り、日本軍がその主体(主語)となっているのはダメだ、という検定意見(検定結果)が出されたのである。逆に言えば、それこそが「沖縄 戦の実相」であり、県民にとって絶対に譲ることのできないものなのである。

 以上の経過からすると、今回の検定で文科省は「手榴弾を配ったのは事実」だからいいと言っている。しかし、検定結果が公 表された翌日には早くもそれを消す動きが表れている。中村独協大学名誉教授(産経07年3月31日)は、「追い込まれた」「追いや られた」という表現も軍命を示唆しており、まだ「修正は不十分である」。しかも、「県民を壕から追い出したとか、手榴弾を配ったと いう記述も事実かどうか疑問が残る」と発言している。「つくる会」「自由主義史観研究会」等は安倍靖国派の動きと連動しながら次の ターゲットを明らかにしているのである。

 今度の検定で何が問題なのか。一つは文科省自らが検定基準としてきた「未確定な事象について断定的に記述しているところ はないこと」に明確に反することをしていることである。第三次家永訴訟の東京高裁判決でも「検定基準等の解釈は、法規の解釈に準じ て厳格になされるべきで恣意的、便宜的な運用は許されない」としており、自らの基準を守ることを判決でも指摘されているにもかかわ らず、再び恣意的な運用を行っているのである。

 二つ目に、去年まではほぼ同じ記述でそのまま検定をパスしていた。では、この一年間に「集団自決」についての研究成果に 何か大きな変化があったのか、何もなかった。何もないのに検定意見をつけた。これは文科省としてはかなり目茶苦茶な事をやったと言 える。しかも今までは、少なくとも軍の関与・強制・誘導があったということがほぼ通説になって定着してきている。それがこの一年で ひっくり返るということは全くなかった。しかも、文科省が今回新たな説の参考文献として上げている20点の資料は、実は1950年 の『鉄の暴風』から2002年の『争点・沖縄戦の記録』の資料であり、それからすると05年の検定時から「検定意見」がつくはずで ある。では05年から06年年度末までにどのような新たな説が出たというのであろうか。出てきたのは靖国派安倍政権の誕生ではない のか。

 三つ目に、文科省はこれまで言ってきた「検定時には通説を書け」を文科省自らが否定した。しかも、違う説がある場合は両 論併記を求めてきた。南京虐殺を例にとれば、少なくとも二つ以上の説があることを書けということで、20万人説〜4万人説を併記し て書くことを求めてきたのである。しかし、今回の沖縄戦についてはそういう幅が全くない。「壕追い出し・スパイ容疑の虐殺」と集団 死・「集団自決」は切り離せと、一方には日本軍という主語を認め、集団死・「集団自決」については日本軍という主語があってはなら ず「日本軍の関与」そのものの削除を求めてきた。このように今までの文科省ルールさえ無視するかたちで検定意見が出されたことも大 きな特徴となっている。

文科省により作られた「教科書用図書検定調査審議会」検定意見

 この間、文科省は検定結果については文科大臣であろうと総理であろうと容喙できない、つまり口出しできないとしてきた。 しかし、民主党の川内博史衆院議員の国政調査権を使って入手した文科省の原義書(決裁書)により、今回の「検定意見」の全体像が見 えてきた。報道によると「審議会」の審議を経て「検定意見」が付けられたのではなく、文科省側が事前に調査意見書をつくり、その決 済資料にもとづき行われたのである。決済資料には「申請図書は別紙調査意見書のとおり検定意見相当箇所があるので、合格又は、不合 格の判断を保留し、申請者によって修正が行われた後に再度審査する必要がある」と記されており、「教科書会社から提出された記述通 りに合否の判定をせず、修正後に審議会で審査するよう求める」となっているのである。つまり、文科省ぐるみの自作自演であったこと が明らかになっている。

 それを証明するかのように「教科書審議会」の今回の内幕がマスコミによって明らかにされた。それによると、日本史小委員 会では「集団自決」記述について審議委員の議論も意見もなく、文科省の役人である教科書調査官が検定意見の原案を示して説明し、そ のまま意見が素通りしていたことが明らかにされている。審議会は、実質的に沖縄戦の「素人」で構成され、委員の一人は、文科省は「 説明の中で大阪での裁判を理由の一つに上げていた」ことも証言している。

 これまで文科省は「大江・岩波裁判」検定との関連を公式には否定し続けてきており、審議委員の発言はこれまでの文科省の 発言を覆すものとなっている。しかも「審議委員の中に沖縄戦の専門はおらず、議論のしようがない」「審議会では学問的な論争はして いない」等々、これまで「文科省の役人も首相もこのことについては一言も容喙(口出し)できない仕組みで教科書の検定は行われている」 との政府・文科省の欺瞞的対応に対し、県民の怒りは頂点に達している。しかも審議委員の一人は「ここまで軍の関与が削られるとは思 わなかった。委員を引き受けるんじゃなかった」とまで発言しているのである。

動き出した県民、「すすめる会」の結成

 3月30日(金)に検定意見が明らかになると同時に、「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会(略称・ すすめる会)」が素早く対応することになる。「すすめる会」は、昨年12月に高教組、平和ネットワーク、沖教組を中心に結成された 組織(事務局・高教組)で、当初「大江・岩波裁判」についての支援組織として結成準備に入るが、2005年に「青山高校入試問題事件 」や「つくる会」の沖縄プロジェクトなどの動きに併せて、何にでも即応できる組織にすべきとなった。つまり、今後想定されるであろ う沖縄戦全体の歪曲等の動きに対処できる組織を作り、その一貫として「大江・岩波裁判」を取り組むこととなった。

 「すすめる会」は3月30日(金)に検定結果が明らかになると同時に、4月2日(月)には検定意見の不当性と撤回を求める緊 急記者会見を行い、6日には「すすめる会」主催の「沖縄の歴史歪曲を許さない!緊急抗議集会」を開催し、緊急ではあったが200人 余の結集があった。高教組・沖教組も翌3日には記者会見を行い、17日には500人が結集する「教職員緊急集会」も開催した。その 後も次々と各団体において学習会や集会などが開催された。

沖縄県内全41市町村で意見書採択、二度にわたる県議会決議

 この不当な教科書検定意見に対し、「すすめる会」として各市町村及び県議会の陳情行動と署名活動を取り組むこととなった 。とりわけ県都那覇市議会へは、野党議員と連携して市議会議長へ面談を求め要請を取り組んできた。市議会議長は、「議会としても看 過できない問題であり、5月15日の復帰に併せて臨時議会を開催し決議をあげる」ことを明言した。今回の陳情要請の特徴は、各市町 村へ陳情提出と同時に地元議員との連携を密にしながら検定意見撤回の陳情だけの「臨時議会の開催要請」を行ったことである。

 5月14日の豊見城市臨時議会開催を皮切りに、各市町村で次々と決議が上がっていった。6月中旬までに約三分の一が臨 時議会を開催し、「意見書撤回を求める」決議が行われた。その結果、6月22日には県議会が、そして6月28日までには全41市 町村が意見書を採択し、「意見書撤回」を求める声は全県に広がっていった。

 各市町村における多くの決議の論調は、「沖縄戦における『軍の関与』は、多くの体験者が証言しているように歴史の真実 であり、いったい審議会は多くの証言をどう議論・検証したか。文科省は審議会を不当に『聖域化』するのではなく、その審議の中身 を沖縄県民に明らかにし、直ちに検定意見を撤回すべきだ」と訴えている。

 そして、陳情要請の波は中学生にまで広がり、東村の東中学校三年生全員が、「教科書から歴史的事実を削らせないで」と 独自に同村議会に検定意見の撤回を求めて請願書を提出したのである。

 「すすめる会」は、議会陳情行動と平行して6月9日に県民大会の開催の提起と、そのための実行委員会を立ち上げること を決定した。6・9県民大会実行委員会(六・九実行委員会)への参加呼びかけに、実に63団体が賛同し3500人が結集する集会と なった。6・9実行委員会は、集会決議と署名を携えて文科省への要請行動(6月15日)を行った。

 一方、県議会は県内全四一市町村が意見書を採択した結果を受けて、県内の行政六団体(県・県議会・県市長会・県市議 会議長会・県町村会・県町村議会議長会)等による文科省への「検定意見撤回」要請行動を行った。

 しかし、文科省は6・9実行委員会と同様、行政6団体に対しても、かたくなに「教科書用図書検定調査審議会が決めた こと」「政治が教育に容喙できない」に終始するばかりか、全く誠意の感じられない文科省の対応の仕方について、行政代表団から 大きな不満が噴出した。このような文科省の対応や、「軍の記述が残っている教科書もあるので、沖縄が選びたい教科書を採用して はどうか」と与党幹部が発言する(6月29日新報)など、今回の問題を沖縄だけの問題に矮小化し、切り捨てようとする動きも出 てきた。しかし県議会は、7月11日、同一会期内に異例とも言える二度の決議を上げたのである。県議会は決議の中で、「文部科 学省はあらかじめ合否の方針や検定意見の内容を取りまとめた上で同審議会に諮問していること、諮問案は係争中の裁判の一方の当 事者の主張のみを取り上げていること、同審議会の検討経緯が明らかにされていないこと」と審議会(検定)のあり方にまで踏み込 んで、「今回の同省の回答は到底容認できるものではない」と不退転の決意を県議会が示すようになった。まさに「検定意見撤回」 を求める怒りの声は県民総意となった。

 6・9大会実行委員会は、このような情勢を受け、中央行動(6月15日)の報告集会の中で改めて「大規模な県民大会」 を組織すべきであり、その呼びかけを6・9実行委員会は積極的に取り組むべきであるとの確認を行った。

 このような沖縄の動きの中で、「つくる会」は、今回の検定を「『集団自決軍命説』が崩壊した近年の動向を適切に反 映した検定」とし、撤回要求に応じないよう総理大臣、文部科学大臣あてに意見書を提出(6月27日)するという動きまで出てきた。

声を上げ出した体験者

 文科省が隠れ蓑としている審議会が、「集団自決」全体について議論していないことや、教科書調査官という文科省側の 主導で「検定意見」がなされていることが明らかにされたことに、改めて県民の怒りと、これまで口を閉ざしてきた多くの戦争体験 者が今回の「軍命」削除の動きに激しい怒りと危機感から、これまで大変な重荷を背負い、沈黙を守ってきたオジーオバーが沖縄戦 の実相を語り始めている。とりわけ、今回の理由とされた「大江・岩波裁判」で、「当時の助役が勝手に自決を指示したのだ」との 原告側の主張に対しても、県議会の調査団に「助役の妹(80歳)から『1945年3月25日の夜、軍からの命令で、敵が上陸して きたら玉砕するように言われている』」と、当事者が初めて克明に当時を明らかにする証言も出てきた。

 そして、第三次家永訴訟や「大江・岩波裁判」の証人で、渡嘉敷島での集団死・「集団自決」体験者の金城重明氏(沖縄 キリスト教短期大学名誉教授)は、「あの悲劇は、決して自発的な死ではない。皇軍の支配は一木一葉に至るまで及んだ。軍隊が駐 留していた島でしか起きていない。日本軍の命令・強制・抑圧によって死に追い込まれたのであり、軍の命令以外に住民の死はあり 得なかった」と、あらためて軍命があったことを明らかにしている。

 多くの体験者は、「今、伝えなければ大変なことになる」との思いに駆られ、最後の力を振り絞っているように思えてな らない。体験者にとって沖縄戦はまだ終わっていない。未だ「歴史」ではなく、自らの体験と現実(生活)とを交差させながら日々苦 しみを抱え続け、命日を迎える度に体の震えを止めることもできない中での発言を重く受け止めなければならない。こうした個人の 実体験を、デタラメな「審議会の検定意見」で傷口を否定、消し去ろうとするなど、とうてい許されるものではない。

 そして、異口同音に県内各地から、戦時中あらゆる機会に「軍官民共生共死」の思想のもと、軍は「米軍の捕虜になるな 」と命令するとともに、「いざという時」のために、一個は敵に投げ、一個は自決用にと住民に手榴弾を配っていたとの数多くの証 言が出てきている。そうした状況下で、米軍の上陸にともない、住民が手榴弾で自決したことは、まさに日本軍の命令・強制・誘導 があったからなのである。集団死・「集団自決」は、住民が軍や官と運命を共にする「軍官民共生共死」の徹底した皇民化教育と 「鬼畜米英」への恐怖心、「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)、方言を使っただけでスパイ行為をした者として処刑されるなど 、そのような中で起きたのである。

9・29県民大会成功にむけての動き

 6・9実行委員会や、行政6団体の数度にわたる中央要請にも関わらず、政府・文科省は審議官レベルの対応に任せ「検定 意見」の撤回はできないとの回答に終始し、改めて県民の怒りをかうことになる。

 そのような中、沖子連(沖縄県子ども会育成連絡協議会)と沖婦連(沖縄県婦人連合会)、そして県PTA連合会の三者が中心 になって、県議会に対して行政6団体を中心に「教科書検定意見撤回を求める県民大会」を開催すべきとの要請が行われた。様々な紆 余曲折はあったものの、超党派で「沖縄戦の実相と歴史をゆがめてはならない」、「子や孫にしっかりと伝えていかなければならない」 との一致点で結集することになった。集会の枠組みは、行政6団体と財界・産業界・民主団体等で構成する95年の22実行委員会団 体を基本とすることになった。集会日時については、沖縄戦の組織戦が終了したと言われる9月7日を目標としたが、様々な要因の中 で5万人を目標に9月29日宜野湾市海浜公園で開催することが決定したのである。集会開催までわずか1カ月前である。

 集会決定後は、各組織とも創意工夫する取り組みが開始された。様々な組織が動き出す中、実行委員会から九五年に匹敵す る県民大会で撤回をかちとろうとの呼びかけが、行政6団体や経済界、県遺族会等々22団体から行われた。とりわけ、大きなインパ クトを与えたのが、県教育長から県立学校長会での「参加呼びかけ」であった。それ以降、学校行事も変更可能なところは変更し、高野 連に至っては集会当日の午後の日程を繰り延べる措置などを行った。会社単位での参加を決める企業や、専門学校も全校生徒で参加する ことを明らかにしていった。各地域における様々なイベント等も、日程変更などを行い、いよいよ多くの県民が、集会への参加体制を整 える状況が作られていったのである。

 一方、労働団体も、連合沖縄と平和運動センターの共同で「9・29県民大会を成功させる労組連絡会議」を結成し、集会前日 まで朝・夕の街頭宣伝行動やビラまき等々を連日行っていった。この取り組みは、そうした「県民の心(命どぅ宝)」に再び火をつける 契機となっており、文科省が「沖縄戦の実相」を否定するという、沖縄にとって触れてはならないものに踏み込んできた以上、130万 県民が不退転の決意で取り組んでいることを、政府・文科省に突きつけていくことが重要であることが、じわじわと浸透していったので ある。

市町村実行委員会の結成、全国へ広がる決議

 各市町村にとっても戦前戦中の聞き取りのなかで、「日本軍による虐殺」などが掘り起こされてきた。それが今回の「検定 意見」により、これまでの積み上げてきた市町村史の根幹にも関わる「歴史歪曲」であることが、徐々に浸透していった。その背景と して、沖子連の会長の熱心な市町村への説得活動も大きなものがあった。

 そのような中、各市町村でも議会を中心にしながら県民大会への参加実行委員会が作られた。その先鞭を切ったのが与那原 町議会であった。与那原町議会では「県民大会」の開催が決定すると同時に、議会を中心にしながら超党派で町会議員全員で参加す ることをいち早く表明し、県内市町村への大きな先鞭を付けることになる。その後は、各市町村で次々と実行員会が作られていったので ある。そして、神奈川県の座間市(6月22日)がいち早く決議をあげ、八重瀬町の姉妹都市である四国・高知県の香南市議会の「沖 縄戦の歪曲は一地方の問題ではない」とのアピールは次々と広がりだしている。現時点(10月17日)で九州知事会や北九州市議会 等を含め、16の市町村及び府県協議会などが可決し、その他の県議会及び市町村議会が決議を予定している。徐々にその動きは全国 へ波及している。

11万6000人の結集は、あくまで「意見書撤回」

 集会当日、3時開会にも関わらず12時過ぎからは続々と参加者の結集が始まった。本島最北端の奥から、座間味・渡嘉 敷から、そして各市町村からバスを仕立てて続々と会場へ結集してきた。集会は復帰後最大規模の抗議行動となった。宜野湾海浜公 園を埋め尽くした中に親子連れやお年寄り、そして若者の姿が目立ち、日教組や自治労の本土の仲間たちの参加者もあった。「教科 書検定意見撤回を求める県民大会」に参加した人々は実に11万人を超え、大会決議が採択されてからも人の流れは途切れることが なかった。

 ここに結集した人々は、沖縄戦における集団死・「集団自決」、日本軍の関与を削除しようとする教科書検定意見に対す る県民の怒りであり、「軍と住民が『共生共死』の関係におかれた上に、『軍隊は住民を守らなかった』という沖縄戦の実相をゆが めようとする動き」を許さないために結集しているのである。

 しかし、文科省は「集会を見極めて、対応する」とのコメントを出した。あたかも集会が成功しなければ何もしないとの 発信だったのだろうか。

 集会の中で、高校生代表の読谷高校の津嘉山拡大君、照屋奈津美さんは、「おじいさんやおばあさんに聞いた話を嘘だと いうのですか」、「私たちは真実を学びたい。そして次の子どもたちにも伝えていきたい」と訴えている。この声を政府はどう受け 止めるのだろうか。

 集会の成功をうけて新たな動きも出てきた。渡海紀三朗文部科学相は、教科書会社から記述の訂正申請があれば、「真摯 に対応する」ことを明らかにした。しかも「記述の回復」について、県民大会で決議した「検定意見書の撤回」が「検定への政治介 入になる」から完全に元通りにするのは困難だと述べた。文科省は未だに、「教科用図書審議会」は、文科省職員である教科書調査 官の「調査意見」を追認しただけで、審議しなかった事実を否定するのだろうか。県民意志が明確に「検定意見撤回」として示され たにも関わらず、「記述復活」のみに収斂させようとの動きである。私たちは「ないことを記述せよ」と無理難題を求めているので はない。体験者の証言から明らかなように、歴史的な事実は史実≠ニして、「教科書にきちんと記載すべきだ」と言っているので ある。その意味からも私たちは、文科省の責任を不問にするわけにはいかない。

 今後、このような問題が起こらないような決着ができるのか、それとも5年あるいは10年後に、再び同じような沖縄 戦の歴史歪曲が企図される懸念を残すのかが問われている。検定意見をそのままにしての「記述復活」は、何ら問題解決にはならな い。82年の「住民虐殺」時の検定問題を指摘するまでもない。

 訂正申請がかりに全面的に認められ、記述の回復ないしはさらに改善された記述が実現するならば、来年度から教科書を 使う高校生に、より正確な記述の教科書を手渡すことができるという点で、大いに意味のあることではある。しかし、政府・文科省 は申請に対応するとは言っているものの、どこまで記述の回復を認めるのか、まったく不透明である。しかも検定意見が撤回されず 、今回の検定意見がそのまま生きつづけている限り、訂正申請に対しても、今回の検定意見にもとづいて教科書調査官や検定審議会が 、恣意的に訂正申請の修正を求めてくるのは必至である。その意味でも、検定意見の撤回がどうしても必要である。だからこそ、県民 大会決議の結論は「検定意見の撤回」であり、大会実行委員会代表は、政府などに対し、「検定意見撤回」を要求しつづけているのである。

 私たち沖縄高教組は、「沖縄戦の実相」を引き継ぐためにも、このような懸念・課題を次世代へ残すわけにはいかない。引 き続き県民とともに「検定意見撤回」まで奮闘することを明らかにする。