狭山事件再審・無罪へ闘う石川一雄、早智子夫妻に聞く
「『見えない手錠』を解く日にむけて」



はじめに

1963年5月、埼玉県狭山市で女子高校生が殺害された狭山事件から今年で47年が経った。この事件で不当に逮捕され、無期懲役判決が確定した石川一雄さんは獄中から無実を訴え続け、94年に仮出獄した。しかし、石川さんにかけられた「見えない手錠」は解かれないままである。冤罪を晴らすため石川さんと弁護団は、いま第3次再審へ闘っている。その請求審の第3回3者協議(東京高裁、東京高検、狭山再審弁護団)が5月13日に開催され、検察は36点の証拠を新たに開示した。再審開始へ次ぎの一歩が踏み出されようとしている。6月16日、石川さんと早智子夫人を、狭山再審闘争勝利現地事務所に訪ねた。(山内正紀)

待ち望んでいた証拠開示

 ―今日は、お忙しいところを貴重な時間をいただき、ありがとうございます。

 石川 いえいえ。土井たか子さんには6回か7回、ここに来ていただいているんですよ。

 ―私は、昨年7月に石川さんご夫妻に初めてお会いし、 親しくお付合いをいただきました。その時に一緒に撮った写真を送っていただきましたが、そこに「権力と対峙解かねど再審は科学の力を借りて具現化」という石川さんの歌が付いており、石川さんの再審開始にむけた強い思いを改めて実感しました。
 さて、石川さんの冤罪を晴らすため、この間、東京高裁に対し第1次再審、第2次再審請求が行われましたが棄却されました。高裁への異議申し立て、最高裁への特別抗告も棄却され、続く第3次再審請求が行われたのが2006年5月ですね。弁護団による証拠開示請求が行われ、「新たな証拠」として鑑定書も提出されています。また事実調べ・再審開始を求める100万筆を越える署名も高裁に提出されました。
 そうした中で、昨年6月に3者協議の開催が決定し、9月に第1回が開かれました。そこで、門野裁判長が弁 護側の証拠開示請求に対する証拠の存否と意見を検察側に求め、12月16日の第2回3者協議では、8項目の証拠開示を検察側に勧告し、大きく期待がふくらみました。そして、ついに5月13日、門野裁判長から代った岡田裁判長の下で、石川さんの自白時の録音テープなど 36点の証拠が開示されました。昨年12月から今年5月まで、それは長い長い時間であったと思います。今のお気持ちをお聞かせ下さい。

 石川 そうですね。いまは政権交代もありましたから、歌に詠んだ権力という言葉はまずいのかな、いまでは司法と言う方がよいのかなと思いますが、この5カ月間は、私たちにとって非常に胸が痛いほど毎日待ちに待ち望んだものでした。
 私自身は、出すんではないか、証拠開示するんではないかと思ってはいましたが、まさか録音テープまであるとは思いませんでした。自白したときの録音があるんだったら、私は取調べに対して自白せず無実を訴え続けた期間の方が長いですから、そのときの録音もあるはずです。ですから、どういうふうに取調べを受けて私が否認していたのかということも質さなくてはいけない、その録音も必ずあるはずですから。
 しかも、被害者のお姉さんが、別件逮捕された6月の段階の録音を2回聞いていると言っています。そのときも私は否認しているわけですね。被害者のお姉さんは、私がやっていないということばかりをずっと言っていたと述べていましたから、そのときの取調官の追及がどういうものだったかも、そのテープに入っているはすです。それも開示させなくてはいけないと思っています。  

 ―今回の証拠開示を、今後の証拠全面開示、事実調べと第3次再審の開始につなげることが大事になってきますね。

 石川 そうですね。私たちは、録音テープは弁護士を通じて聞く約束になっていますが、弁護士からは、録音の中には有用なことが少し入っているということを聞きました。弁護士もまだ全部は聞いていないみたいですが。

 早智子 自白の録音テープですが、足利事件のテープも検察が出しましたね。それは、弁護団の要求もありましたが、検察のもともとの狙いは、自分たちは強制も脅しもしていないのに、菅家さんが自分で自白したということを証明したいために出したんですよ。今回の場合も、石川一雄と弁護団があるかないかも知らないテープ、要求もしていないテープを出してきたのは、自分たちは石川一雄に対して自白を強要、強制していないことを示したいために出してきたんだと思います。だから、出してきたテープは、一雄さんが10年で出してやるという捜査官の約束とお兄さんが犯人だと思い込まされて、自分が犯人になるしかないと自白し始めたころからの、逮捕して一カ月も経ったころのテープなんですね。でも、その中に矛盾がある、石川さんはやっていないからこそ、自白の中に矛盾があることが見つかると確信していると弁護団は言っています。

 石川 それからもう一つは、自白は一番最初に関源三巡査部長にしたわけです。でも、関さんは交通係だったので、本来は事件の捜査官ではないですね。私が初めて自白した日だと警察がいう6月20日は、裁判官が私に会いにきています。それまでの別件から狭山事件の犯人として再逮捕されたということで、裁判官が拘留質問に来ているんですね。そのときに被害者を殺しているか聞かれたので、私は殺していませんと、裁判所に行ったらこの本当のことを話すかと聞くので、それは話しますと言っているんです。このとき、はっきり殺していないということを言っているわけです。

 警察は、私がその日のうちに、今度は関さんに自白したとしていますが、そこには捜査官の約束事の10年ということがあって、捜査官が、関さんに会って関さんに自白してくれという狙いになっていたと思います。関さんがなぜ私のところに来たのか、交通係であるから私のところに来る必要はないのに来たということになれば、そこに大きな矛盾があるし、その過程を示すテープも間違いなくあるはずです。今度の弁護団会議に諮って、この点を追及していきたいと言うつもりです。


証拠の全面開示と事実調べを

 ―5月13日の証拠開示では、筆跡関係資料も開示されました。一方で、昨年12月に開示勧告された「殺害現場」とされた雑木林内のルミノール反応検査報告書などは見当らないとされました。このルミノール反応検査報 告書は、警察のいう犯行現場がウソで、石川さんの自供のでっち上げを証明することに結びつく重要な証拠ですね。  

 石川 ルミノール反応検査報告書は大きいですね。狭山事件の場合は、年月が経っていますから、なかなか新証拠を見つけるのが難しいわけです。だから、古くて新しいのは、検察が開示する証拠なんですね。それが開示され、事実調べをすれば、私を犯人にでっち上げたことは一目瞭然になると思います。それを私たちは訴え続けています。

 早智子 国会でも法務省の刑事局長が「狭山事件の未開示証拠の中に現場の『血痕反応検査報告書』がある」と答弁しているんですが、隠しています。でも、12月の3者協議では「ない」という回答でしたが、5月は「見当らない」に変わりました。それは、政権が代ったことで、もし探さざるを得なくなったときには困るので、見当らないに変わったのかなと思います。これも大きな変化ですね。

 石川 私は県警にあると思います。

 早智子 まだ開示されていない証拠を開示させることが、これからの闘いだと思っています。それから、もう一つは、いま開示されているものだけでも、弁護団に新しい証拠として見つけ出していただき、事実調べをさせることです。闘いは、そこからですね。一雄さんは、事実調べをすれば、白黒はっきりして、無実が明らかになると言っています。ですから、事実調べをするかどうかが大事ですね。  

 ―弁護団は、これまで200点以上の新証拠を提出してきましたが、事実調べはやられていませんね。

 早智子 35年以上やられていません。

 石川 それは私が被差別部落民で、事実調べをして私を無罪にすれば、全国の部落のみんなが黙っていないだろうということを恐れていたからだと思います。

 ―今回、「犯行時刻」と同じ時間帯に、「犯行現場」のすぐ隣の畑で農作業をしていたが、悲鳴も聞かなかったし、人陰も見なかったと証言した小名木さんの関係の捜査報告書も開示されましたね。

 早智子 事実調べでは、裁判官は小名木さんに会ってほしいですね。5月15日にテレビ朝日で放映された「ドキュメンタリー宣言」で狭山事件が取り上げられましたが、それに小名木さんも出てくれたんです。小名木さんは、私は悲鳴も聞かなかったし、人陰も見なかった、それは警察にも言ってありますと話しています。以前に証拠開示された小名木さんの証言資料には、ページが打ってあるんですが、抜けているページがあるそうです。それを弁護団が見つけて、これはなんだ、抜けているところを出せということで、それが今回出してきた報告書ではないかと思っています。

 昨年12月、門野裁判長が8項目の証拠の開示勧告を行いましたが、門野裁判長はとてもよく勉強されていて、開示を勧告されたのは大事な証拠ばかりです。これは退任後のことですが、門野裁判長は、「再審事件で共通の問題として感じたのは、検察側の証拠開示が不十分であるということでした。今の公判前整理手続きに付されている事件であれば、当然開示されるはずの証拠が弁護側には全然開示されていません。結論はどうあれ、そのような証拠のままではフェアな手続きとはいえないと思います。新聞で報道されましたが、東京高裁で担当した狭山事件の再審では、裁判所の考えを明確にしておこうと思い、訴訟指揮の一環として証拠開示の勧告まで踏み込みました」(『JCLU』2010年4月号、発行・自由人権協会)と、すばらしいことを書いておられます。


公正な裁判で無実の証明を

 ―証拠開示を勧告した門野裁判長が退任し、岡田裁判長に代わりましたので、検察側が本当に証拠を開示するのか心配もありましたが。  

 石川 弁護団も心配していましたが、岡田裁判長は、次の3者協議はいつにしますかと積極的におっしゃって下さいました。これは門野裁判長に引き続いて、キチンとやっていただけるのではないかと期待しています。

 ―長い間、裁判所から不当な判決を受けてきた石川さんから聞く「裁判官に期待している」という言葉は重いですね。

 石川 私の無実は、裁判官に証明してもらう以外にありませんから、裁判官に期待する以外にありません。司法は司法なりに、キチンとやっていただければ私の無実は判る、とりわけ事実調べさえやっていただければ必ず私の無実は明らかになるということから、裁判所にも上申書を書きましたし、お願いもするわけです。

 ―志布志事件や氷見事件など新たな冤罪事件が発生し、いずれも無罪が決定しました。また布川事件の再審決定や足利事件で菅家さんの無罪決定、名張毒ブドウ酒事件の再審決定などで、取調べの可視化や司法の民主化が大きく問われています。

 石川 取り調べの可視化とともに、代用監獄をなくさなければいけないですね。私も、諸外国のように24時間なり48時間しか拘留できなかったら、自白しなかったと思います。兄貴と面会できてさえいれば、自白はしていなかったわけです。ところが、兄貴と面会できたのは、死刑判決が出た後で、それまでは犯人じゃないかと心配していた兄貴のことを確かめることができませんでした。
 拘置所では、そういうことはありません。取調べも夜遅くまでしないし、5時でお終いです。司法も開かれた司法にならないといけないと思います。風通しのいい司法にするためには、国会での法案で変わってきますから、国会議員のみなさんにも頑張ってもらいたいと思います。

 ―ところで、石川さんの『獄中日記』という本の中に、プロ野球の巨人フアンとありますが、石川さんの巨人フアンはいまも変わりませんか。

 石川 ええ、変わらないですね。(笑)

 ―『獄中日記』には、「巨人の全選手は、どんな場合であっても、全力疾走を怠らない。そんな処が好きなのである」とありますね。私も、一生懸命に走れという川上監督の話を聞いたことがあります。

 石川 内野ゴロを打っても、一生懸命に走れば、相手の選手が慌てて、暴投したりエラーをするという話ですね。それは川上監督のいう通りで、川上監督はすばらしいと思いますね。一生懸命に走る選手には共感します。


刑務官との出会いと文字の取得

 ―石川さんは24歳で別件逮捕され、仮出獄されたのが 56歳、その間、32年近く経っていますね。本当に長い年月でしたが、石川さんも、この間、一生懸命に走ってこられました。

 石川 苦難な道のりではありましたが、やがて春が来るということになれば、32年間の諸々の思いはすべて消えると思いますね。やはり、無罪を勝ちとらない限りは、重い荷を背負っていかなくてはなりません。殺人犯のレッテルを剥がせれば、また改めての人生が送れるんじゃないか、そのためには皆さんのご尽力が不可欠ですので、是非ともご支援をお願いします。

 早智子 私は、一雄さんに無駄な32年間を過ごしたね、と言ったことがあるんです。そのとき、彼が私に言った言葉がいまも一番強烈に残っています。

 石川 確かにつらい人生でした。だけど、そのお陰で文字も取得できました。仮に狭山事件に巻き込まれなかったら、皆さんが差別をなくす運動をやっていることすらまったく知らずに、現在71歳になっていたはすです。皆さんには迷惑をおかけしましたけど、私はそのお陰で文字も取得できましたし、健康管理も自分でできるようになりました。これはゼニ、カネでは代えられないなと思っています。そのために、無駄な人生ではなかったと連れ合いに言ったわけです。  

 ―不当逮捕のとき、差別によって文字を奪われていた石川さんは、その後、東京拘置所で猛勉強を始めましたね。

 石川 文字を取得したのは、たまたま正義感のある刑務官に出合ったお陰ですが、自分の取り組む姿勢がなかったら文字の取得もできなかったと思います。ああいった厳しい環境の中でも自分に負けずに、文字の取得に頑張ってきたということは、私の人生において、まぁすばらしい人生とはいえませんけど、不屈の精神があったからだと思えてなりません。当時は、文字を取得し、書くことが闘いでした。
 それは朝早くから、夜は9時が就寝時間ですが、9時を過ぎても勉強しました。目を悪くして見えなくなるまで、勉強しましたね。だから体重が72キロにまでなりました。運動もせずに、勉強、勉強でしたからね。調べてみたら糖尿病になっていました。それで体重を落として、いまは43キロです。
 字を覚えてから心豊かになりましたから、いろんなことが分かってくるようになりました。極端なことを言えば、地元の市長の名前さえ知らなかった私が、いまは本を通してですが、世界のどこに誰がいるかが分るようになってきました。それは、刑務官のお陰でもあったし、私の取り組み姿勢がこのようにさせてくれたんだと思います。最近、私の書く文章やメッセージが雑になったとよく言われるんですよ。あの当時の気持ちに戻らなくてはいけないなと思っています。

 ―その字を教えてくれた刑務官は、東京拘置所の人でした。

 石川 あの人に出会わなかったら、多分私は今も無学だったと思いますね。世間知らずで出たと思います。そういった正義感の強い人がクビを覚悟で私に字を教えてくれたということは、手を合わせて感謝しても、本当に感謝しきれません。

 ―石川さんが子どものとき、小学校にも通えて読み書きが覚えられ、そして冤罪で逮捕もされないような社会であったらよかったなと思います。

 石川 ええ、そうですね。いまちょっと思うのは、私の小さい頃、もし仮に特措法ができていて、そして義務教育の間は無料であったら、私もある程度、読み書きができたんじゃないか、違った人生を歩んでいたんじゃないかということですね。それは思います。

 ―私たちは、「石川青年とりもどそう」と歌ってきましたが、石川青年は71歳になられました。

 石川 いやぁ、石川青年という言葉を聞くと、恥ずかしい気がしますね。(笑)

 早智子 最初は、少し違和感があったみたいですよ。

 石川 でも歴史だからね。


  生涯をかけて闘いたい

 ―毎日、健康のために5キロのジョギングをされていると聞きました。再審開始・無罪の勝利の日を迎えるため、これからもお体を大事にして下さい。

 石川 私の勝利の日のためにではなくて、二度と再び、私のような事件を出させないために、生涯をかけて闘っていくつもりです。私はまだまだこれからですからね。いまは皆さんにお願いだけですが、無罪を勝ちとってからは今度は自分の姿勢が問われるわけです。私が無罪を勝ちとってから先の人生を皆さんにお示ししなければならないわけですから、健康のために自分を律していかなくてはならないと思っています。
 千葉刑務所にいたときに一番うれしかったのは、全国各地から激励の手紙をいただくことでした。これが私の支えになりました。特にお子さんたちからの手紙がきて、励まされ、私のこれからの人生が変わっていくような気になりました。さっき言われた石川青年じゃないけど、石川のお兄ちゃんへという手紙ですね。私の頭がはげていることは知りませんからね。そういったお子さんたちに私は励まされて大きくなってきましたから、やはりその恩返しをどうにかしてやらなくてはいけないなということで、勉強もしたわけですね。だから、これからも解放運動に没頭していこうと思うんですよ。早くこんな悲惨なことをなくしていかなくてはならないと思っていますから。

 早智子 いまも全国を駆け回っているんですよ。事件から47年経っていますが、一昨日は現地調査があったんです。去年12月の証拠開示勧告から、この4月5月にかけて、たくさんの現地調査がありました。これは皆さんが狭山に期待してくれている、待っていてくれている証しで、狭山の闘いは熱と光のある温かくすばらしい運動です。
 47年間の厳しい闘いでありながら、そこに人と人とのつながりが生まれています。特に部落のおじちゃんやおばちゃんたちが、一雄さんを自分の息子・夫だという思いの中で一緒に頑張ってくれています。また、子どもたちが石川のおじさんのように自分も一生懸命勉強しようと頑張っています。こうしたいろいろな思いが重なり合って、本当に熱と光のある運動になっている、そう思っています。

 石川 私も、本当に励まされてきました。

 早智子 それから共闘運動ですね。私は、狭山も部落解放の運動もやっていなかったんです。それを自治労運動の中で、東京に行き、狭山の闘いに出会い、解放運動に出会いました。その意味でも、共闘運動は大事ですね。私は、共闘運動に感謝しています。

 ―証拠開示と事実調べを求めて開かれた5月12日の緊急集会で、再審が決定した布川事件の桜井昌司さんが「足利事件の菅家さんは無罪になった。私はつぎに無罪になる。そのつぎは石川さんを勝たせたい」と発言されています。まったくその通りです。

 石川 彼とは、千葉刑務所でしょっちゅう会っていたんです。昨日は、袴田事件の袴田さんの会にメッセージを頼まれたので、書いて送りました。ともに手をたずさえて闘っていこうというメッセージです。

 早智子 狭山の闘いも少し光がさしてきました。これまで多くの皆さんにご支援をいただいてきました。3者協議には福島みずほさんや新潟の近藤正道さんにも出席いただきました。近藤さんには、12月の3者協議に出ていただき、鋭い追及をしてもらいました。あれは良かったね。

 石川 本当に良かった。次の3者協議は9月です。検察側があとどういう証拠を開示するか、これは最大の山場ですね。

 早智子 政権も代りましたから、今はチャンスだと思っています。

 ―情報公開など政権交代した意義は大きいですね。

 石川 そうですね。私が千葉刑務所を出たときも村山政権でした。村山政権の前に細川政権、羽田政権があって、それで私は出れたんですね。私の仮釈放の手続きをした法務大臣は中井洽さんでしたが、三重県の集会でお会いしました。中井さんは集会に出るのを躊躇されたようですが、勇気をもって出ていただき、そこでお会いできたのはうれしかったですね。

 ―今日はありがとうございました。(見出し・文責は編集部)