「進歩と改革」837号    --2021年9月号--


■主張  宮本太郎著『貧困・介護・育児の政治』「ベーシックアセットの福祉国家へ」を読む  

  「東京 爆発的感染拡大」「コロナ大失態の菅政権」

 東京五輪開催下の7月30日、朝日新聞朝刊は「東京『爆発的感染拡大』」と報道した。東京都は、1日あたりの新規コロナウイルス感染者数(一週間平均)が8月11日に4532人に 達するとの試算を公表し、専門家は「経験したことのない爆発的な感染拡大に向かっている」と危機感を示している。入院患者数も1カ月で倍増し、「医療提供体制の逼迫が始まっている」とした。大変な事態が予想される。

 問われるのは政治の責任である。『金融財政ビジネス』(7月29日号)のINSIDE欄は、「コロナ大失態の菅政権」とタイトルにした。次のようにある。「菅政権は『コロナとの戦いに打ち勝った証し』として五輪を開催するはずだったが、結果を残せなかった。今後も感染拡大が続くと、最悪の事態も懸念される」「酒類販売業者に、酒の提供を続ける飲食店との取引中止を要請するなど、 政府の『圧力』と迷走が内閣支持率を低下させている。西村康稔経済再生担当相が、東京で飲食店と取引のある金融機関を使って圧力をかけようとした発言は、与野党や世論の強い反発を招き、政府方針は1日で撤回された。首相は『承知していない』としらを切ったが、知らないはずはなかった」「7月の時事通信の世論調査で内閣支持率がついに30%を切って、過去最低の29・3%となった。このラインを切ると自民党の動揺は止まらなくなる。菅首相は衆院解散を打てるだろうか」。この記事に注目するのは「首相のおわびを何度聞いたか。聞き飽きた謝罪は今後も繰り返されよう。責任を取るべき事態となる可能性もある」と、菅退陣に言及しているからである。

 菅政権をめぐっては、西村発言への批判が特段に強い。この発言に反発し、それまで従っていた酒提供の自粛・中止の解除に踏みきった飲食店舗が多い。それは明治維新前・幕末の「いいじゃないか」状態だという。「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか、酒を出してもええじゃないか」。政権批判である。人流増加によるコロナ感染拡大は警戒だが、菅政権批判は高まり、日本の政治において大きな転換が生じようとしている。

 コロナ禍での「新しい生活困難層」と「新しい社会的リスク」を前に
 

 コロナ禍で生活困窮者が増え、また国民生活が破壊される中、宮本太郎・中央大学法学部教授の著『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』(朝日新聞出版)を手にすることができた。〈ベーシックアセット〉という我われには余りなじみのない言葉にひかれ、「ベーシックアセットの福祉国家へ」という提起に強い関心を寄せた。

 宮本氏は、本書発刊の意図を次のように言っている。「コロナ禍の打撃をもっとも強く受けたのは、非正規雇用、フリーランス等の不安定就労層、低所得世帯の人々であった。安定した仕事に就くこともできず、さりと て福祉の受給条件にも合致しない、いわば制度の狭間にいる人々を、本書は『生活困難層』と呼ぶ」「『新しい生活困難層』は、すでにバブル崩壊後の1990年代半ばから増大し、旧来の制度が対応できていないことがしだいに明らかになっていた」。雇用と家族形態の変容で日本型生活保障の仕組みが根本から揺らぎ、貧国、介護、育児という3つの制度をめぐる「新しい社会的リスク」が深まっている。。この状況に、宮本氏は「ベーシックアセットという考え方」で対処し、「福祉国家と社会民主主義再生の手がかりを見出していく」としている。

 「サービス給付と現金給付の新しい連携」としてのベーシックアセット


 それでは〈ベーシックアセット〉とはなにか。〈ベーシックアセット〉でどう福祉国家が構想されるのか。アセットを英和辞典でひくと「資産・財産」である。「ベーシックアセットは、ベーシックインカムとベーシックサービスとに対置される考え方である」。〈ベーシックインカム〉は、竹中平蔵・パソナグループ会長の新自由主義からの提唱もあり知られているが、それへの批判は、ベストセラーの『人新世の「資本論」』(集英社新書)著者の斎藤幸平氏が編集の『未来への大分岐』(同)からも知ることができる。 

 本書での規定は「所得調査を課したり、就労を求めたりすることなく、無条件に、すべての個人を対象として、定期的におこなわれる現金給付」であり、他方〈ベーシックサービス〉は、「すべての人々が、その負担能力の如何に依らず、ニーズを満たす上で基本的で十分な(公共)サービスを受ける」ことである。同額の現金給付の〈べーシックインカム〉、公共サービス給付の〈ベーシックサービス〉に対し、〈ベーシックアセット〉は「当事者の事情に適したサービスと所得保障を実現する」、つまり「最適なサービスと現金給付を組み合わせて人々を社会(コミュニティー)につなぐ」ものである。ここでは「ひとかたまりの有益な資源」が〈ベーシックアセット〉とされる。

 〈ベーシックインカム〉と〈ベーシックサービス〉論の対立は激しい。だが〈ベーシックインカム〉と言っても現金給付だけが主張されるわけではない。〈ベーシックサービス〉と言っても公共サービス給付だけを主張するものではない。「結局は、現金給付もサービス給付もどちらもという議論である」。そこで重要なことは「サービス給付と現金給付の新しい連携」であり、〈ベーシックアセット〉である。

 本書では、日本の福祉構造・歴史が「日常現実としての保守主義」「磁力としての新自由主義」「例外状況としての社会民主主義」の対抗から分析されている。その上で、「準市場」と「社会的投資」という方法に注目して、「ベーシックアセットの福祉国家」が展望される。「準市場」とは、「公的財源でサービスを選択できる仕組み」であり、「社会的投資」は「北欧の社民主義が貧困抑制の手段としてきた」ものである。

 福祉国家・社会民主主義再生のために


 日本の貧困・介護・育児の現状については、学業を犠牲にして介護を担う「ヤングケアラー」問題、老々介護を超えて認知症当事者が認知症当事者を介護する「認認介護」問題、80代の老親の年金収入に依拠して50年代の息子娘世代がひきこもる「8050問題」があり、無職で独身の40代から50代の子が高齢の親と同居し生活を親に頼っている家庭は約五七万世帯あると、本書は言う。そこから「日本における生活保障の転換が求められる」のである。

 宮本太郎氏は、2015年の「生活困窮者自立支援法」に尽力された。本書にも「貧困政治における制度改革の進行」と困窮法が評価されている(現状の不足も指摘されている)が、困窮法についてはNPO関係者からの強い批判も存在する。そうした指摘と乖離はあるとしても、本書発刊は福祉国家、社会民主主義再生への提言として意義深く、多くを摂取すべきと思う。

 なお、この〈主張〉欄を書き終えた後、生活経済政策研究所発行の『生活経済政策』8月号が届いた。そこに〈総会記念シンポジウム)として「貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ」が特集され、三浦まり、宮本太郎、香取照幸、今井貴子、平川則男の各氏の対談が掲載されている。ここで紹介する時間も紙幅もない。参照を頂きたいと思う。(7月31日)