「進歩と改革」No.826号    --2020年10月号--


■主張  安倍退陣、立憲主義回復と歴史修正主義からの転換を

 安倍「一強政治」の行き詰まりの末に


 安倍晋三首相は8月28日(金)、午後5時から記者会見し辞任することを表明した。辞任理由は持病の悪化で、「病気と治療を抱え、体力が万全ではない中、大切な政治判断を誤ることがあってはならない」「国民の負託に自信をもって応える状態でなくなった以上、首相の地位にあり続けるべきではない」とした。体調は相当に悪かったのであろう。8月24日には史上最長政権となったが、その記録更新だけを待っての辞意表明である。安倍氏の自民党総裁任期は来年9月まであった。07年9月に続く2度目の政権投げ出しであり、ここに7年8カ月続いた安倍政権はとうとう終焉することとなった。

 安倍首相は辞意表明したが、すでに国民の前にトップリーダーとしての存在感を失っていた。何しろ通常国会閉会翌日の7月18日を最後に1カ月半も実質、記者会見はなく、臨時国会召集の要求にも背をむけてきたからだ。福島第1原発事故時に連日連夜記者会見した当時の枝野幸男官房長官に、「枝野、寝ろ」「枝野、寝ろ」とのツイッターが集中したが、今回「安倍、休め」「安倍、休め」とのエールはなかった。

 安倍首相の新型コロナウイルス感染症対策は混迷し、政権支持率は大きく落ちこんでいた。アベノミクスは格差と貧困を拡大し、朝鮮、ロシアとの外交課題解決は道遠く、執着した憲法改正は国民の強い反対の前に動かない。記者会見では「拉致問題を解決できなかったことは痛恨の極み」としたが、安倍3原則を掲げて圧力をかけ続けた自らに責任はないのか。来夏に延期された東京オリンピック・パラリンピックは政権最後の推進力とされたが、その開催も見通せない。もはやこれまで。今回の辞任は安倍一強政治の行き詰まりの結果という以外にない。安倍首相の下での改憲は阻止された。

 コロナ対策無視、憲法・立憲主義破壊の安倍政権


 安倍首相は政権投げ出し批判を避けるため、「今後のコロナ対策」をまとめたことを強調し、辞任のタイミングに利用した。しかし、安倍政権のコロナ対策については、ここで言っておかねばならないことがある。ノンフィクション作家の柳田邦夫氏が『文藝春秋』8月号で「安倍首相の『言語能力』が国を壊した」と題して突きつけている問題で、次の通りである。

 2009年新型インフルエンザ流行への対策遅れを踏まえ、時の民主党政権が専門家を招集して問題点を洗いだし、「新型インフルエンザ等対策特措法」を成立させた(2012年5月)。その後の自民党・安倍政権で特措法に基づく「行動計画」と「ガイドライン」を決定(13年6月)し、そこには「パンデミック下の特別隔離病棟など必要な病床数の増強」「医療者の防護服・医療用マスクの確保」「PCR検査体制の拡充」「一般国民が広くマスクを着用できるような供給体制」など、今回問題になったことがすべて「政策課題」として掲げられていた。しかし、それから七年もの間、安倍政権はその実現に取り組まず、今日の事態を招いたという現実である。この責任は、今後も問われなければならないことだ。

 安倍政治の7年8カ月は、憲法・立憲主義破壊の政治であった。特定秘密保護法成立(13年12月)、集団自衛権行使容認の閣議決定(14年7月)、安全保障関連法成立(15年9月)など、戦後日本の安全保障の根幹を変え、日米の軍事一体化へ自衛隊の海外派遣の枠組みを拡大した。集団的自衛権行使容認では、歴代内閣の解釈を変更するため法制局長官まで代えて、立憲主義破壊の政治を行った。ポスト安倍政治は、この壊された立憲主義を回復しなければならない。 

 モリカケ疑惑、桜を見る会疑惑などで、安倍首相は自らの保身と政権私物化に走った。安倍政治の継承を許さず、新たな政治への転換をはたすことが我々の課題である。

 戦後75年に村山元首相が新談話を発表


 今一つ、ここで指摘したいのは、安倍政権下で強まった歴史修正主義からの転換である。戦後の日本の歴史認識において画期をなすのは1995年、戦後50年にあたって発表された村山首相談話である。日本による植民地支配と侵略によってアジア諸国の人びとに多大な損害と苦痛を与えたことに痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。この村山談話が歴史修正主義者の攻撃の的になり、安倍首相も2015年「戦後70年談話」で、修正をめざしたが、村山談話の重要なキーワードは否定できなかった。しかし、安倍談話は「植民地支配への反省の欠如」「戦争にいたる過程が、……『他人のせい』にされていて、主体的反省が欠如している」(油井大三郎『避けられた戦争』、ちくま新書)と指摘されるものだ。もっとも、それが歴史修正主義者の狙いで、安倍サポーターで産経新聞の右翼論説委員の阿比留瑠比氏などは、「村山談話についても安倍談話で上書きし、有名無実化しています」(月刊『WILL』10月特大号)と、安倍政権の功績を讃えているほどだ。こうした歴史修正を正さねばならない。

 8月15日、村山富市元首相が「戦後75年」「村山首相談話25年」の節目の日にあたり、「村山談話に託した思い」(談話)を発表した。「談話は、『村山首相談話を継承し発展させる会』に所属する学者数人が原案を作成し、村山元首相が推敲した」(『社会新報』9月2日)。そこには村山談話を出すにいたった経過や背景が詳しく書かれた上で、次のようにある。「中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・ヨーロッパでも、日本の戦争を、侵略戦争ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は、全く、受け入れられるはずがないことは、自明の理」「アジアの平和と安定の構築のためには、日中両国の、安定的な政治・経済・文化の交流、発展を築いていかねばなりません」。いまマスコミは中国批判で一色だが、新たな村山談話は日中友好の大事さを指摘して貴重である。