「進歩と改革」No.815号    --2019年11月号--


■主張 東電刑事裁判、旧経営陣3人無罪の不当判決

 福島原発刑事訴訟の闘い
 

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故の責任を問う東電刑事裁判の判決を3日後に控えた9月16日、「さようなら原発全国集会」(東京・代々木公園)の場において、福島原発刑事訴訟支援団の千脇美和さんは次のように訴えた。

 「福島原発刑事裁判の判決が9月19日に出されます。あきらめない多くの人びとの力でここまでたどりつくことができました。本当にありがとうございます。世界中を震撼させた福島第1原発事故の責任を問うため、2011年6月に、福島県民をはじめ全国1万4716人が東電などを告訴・告発しました。検察庁が2度にわたる不起訴処分を出しましたが、東京都民による検察審査会の起訴すべきという議決を経て、強制起訴となりました。

 2017年6月から東京電力旧経営陣3人を被告人とする刑事裁判がはじまりました。問われる罪は、業務上過失致死傷罪です。大津波を予見できたのに、対策をせず、事故を引き起こし、死傷者を発生させた罪です。約1年9か月で37回の公判が開かれ、多くの証拠が提出され、隠されてきた驚くべき事実が次々に明らかになりました。

 この法廷で主に争われた争点は、津波対策についてでした。国の耐震バックチェックの中で、津波と地震はセットで考えるべきものと位置づけられていたので、国のチェックに合格するためには2002年に出された政府機関の地震調査研究推進本部(推本)の長期評価を無視できないというのが、電力会社の共通認識でした。東京電力の津波対策を担当していた技術者たちは、福島県沖で発生するマグニチュード8規模の津波地震への対策が必要であると考えました。原発担当職員は10メートルの防潮堤や沖合の防波堤など具体的に検討していました。また東電の子会社である東電設計に、津波の高さのシュミレーションを依頼しました。その津波の高さは推本の長期評価をもとにはじき出されたもので、最大で15・7メートルという結果でした。これは東日本大震災で襲来した津波とほぼ同じ高さでした。

 しかし被告人は2008年7月に、経済的な理由で津波対策を先送りすること決め、原発の安全性を審査する学者への根回りを指示しました。そのため、他の電力会社がやろうとしていた津波対策に口出ししていたことも明らかになりました。日本原子力発電株式会社(原電)と東北電力は、津波対策をしなければ耐震バックチェックに合格しないと考え、対策を進めた結果、原電の東海第2原発は津波襲来にギリギリ間に合い、原子炉は守られました。検察官役の指定弁護士は声明で、被告人は東電設計の計算結果があるにも関わらず何の措置も講じていない、土木学会に検討を委ねたと言いながら何の関心もそそいでいない。彼らの弁解は、原子力発電所という危険な施設の運転・保全をする電気事業者の最高経営にあたるものとして″あるまじき態度”と断罪しました」。  

 過酷な避難による死、これでも罪を問えないのか


 この裁判で認定された被害者は、原発事故でケガをした東電社員や自衛隊の13名と、原発から4・5キロにある双葉病院から避難する際に亡くなった44名の計57人である。引き続き、千脇さんの話を聴こう。

 「東電社員の供述調書では″3号機が爆発して被曝やコンクリートが当たったため死んでしまうのではないかという思いをしたことは、一生忘れることはできません。上司は私が死んでしまったのではないかと心配しました。一号機が爆発して、このままでは他の号機も同じことが起こるのではないという危機感がありました。この事故について、責任の所在が明らかになるのならなってほしいと思います”と言っています。また避難活動にあたった自衛官は″救助作業中に線量計の鳴る間隔がどんどん短くなり、放射線の塊が近づいてくるような感覚だった。医師免許をもった自衛官がもう限界だと叫び、すぐに病院を出発するように指示をした”と言っています。そうした状況で病院での援助活動が途中で打ち切られ、患者が取り残されたことが明らかになりました。双葉病院から出発したバスは11時間かかって工業高校に到着しました。水分も栄養分も摂取できず、医療ケアも排泄ケアも受けれらない11時間でした。双葉病院の看護婦部長の証言によれば″バスの車内は排泄物の悪臭がただよい、バスの座席にキチンと座っている患者はほとんどおらず、防護服を着せられた患者は手足の効かない蓑虫のような状態だった”と言っています。法廷では、病院の医師、看護士が″原発事故さえなかったら亡くなることはなかった”と証言しました」。  

 証拠と矛盾の多い忖度判決、控訴が決定


 しかし判決当日の9月19日、東京地裁(永渕健一裁判長)は、「大津波の予見可能性は認められない」として、勝俣元会長、武藤元副社長、武黒元副社長の3人に無罪判決を言い渡した。地震研究の最高知性を集めた推本の「長期計画」を否定したのだ。この判決に対し、『原発と大津波、警告を葬った人々』(岩波新書)という素晴らしい本を書いているサイエンスライターの添田孝史さんは、支援団のHPで次のように批判している。「(判決要旨の)読み上げを聞いていると、『あの証拠と矛盾している』『そこまで言い切る証拠はどこに在るのか』『なに言ってんだ、それ』という疑問が次から次へと頭に浮かんだ。この裁判では、証言だけでなく、電子メールや議事録など、事故を読み解く豊富な証拠を集めていたはずだ。よい素材はあったのに、どうしてこんなまずい判決になったのだろう」。

 原発被災者の思いに至らない酷い判決である。指定弁護士を務める石田省三郎弁護士は「国の原子力行政を忖度した判決だ」とした。まさに、それでしかない。「この判決をこのまま確定させてはならない。控訴を!」との強い声をうけて、九月三〇日、指定弁護士による控訴が決定した。指定弁護士は次のようなコメントを出した。「判決は被告らの注意義務や結果回避措置という重要な論点の判断を回避したばかりか、その予見可能性すら否定しました。『長期評価』の信頼性、具体性を否定し、しかも『絶対的安全性の確保までを前提としていなかった』などと判断した判決には到底納得できません。『長期評価』に基づく巨大津波襲来を示す具体的な計算結果や、土木調査グループの担当者の危機意識を全く無視するものです。判決をこのまま確定させることは、著しく正義に反します」。

 控訴決定をうけて被害者の代理人の海渡雄一、河合弘之弁護士ら4氏が出したコメントも紹介しておきたい。「判決直後から今日までに、控訴を求める署名がインターネット上で約1万3400名、紙上で約900名、合計約1万4300名の署名が集まっています。…この判決に、多くの市民、とりわけこの事故で被害を受けた地域住民の方々が到底納得していないと思います。私たち被害者参加代理人としては、この事件における指定弁護士の活動を全力で支えていきたいと思います。そして、一審で指定弁護士を務めていただいた石田先生ほか4名のチームで控訴審を闘っていただきたいと思っております」。正義を回復する闘いは続く。その闘いに連なり、学んでいきたい。