「進歩と改革」No.813号    --2019年9月号--


■主張 山崎一三「019参院選挙闘争の総括と課題―「令和時代の国づくり」をめぐる闘いと社会民主主義者の使命」
 
 一 改憲勢力3分の2を割り込む
 

 第25回参議院議員選挙(改選総数124議席)は、7月4日(木)に公示され、同月21日(日)に投開票された。その結果、与党の自民党は57議席(改選数66)、公明党は14議席(改選数11)で、改選過半数の63議席を上回る計71議席を獲得した。改選後の全議席は245だが、自民党は非改選56議席を加え113議席、公明党は同14議席を加えて28議席で計141議席、与党は参院過半数を維持した。

 一方、立憲野党では、立憲民主党が17議席(改選数9)、共産党が7議席(改選数8)、国民民主党が6議席(改選数8)、社民党が1議席(改選数1)、れいわ新選組2議席(改選数1)であった。立憲民主党15、日本共産党6、国民民主党15、社民党1議席の非改選議席を加え計70議席である。改憲派の日本維新の会は10議席(改選数7)で、非改選を含め16議席と議席増をはたしたが、維新を含め改憲派勢力は参議院での3分の2議席を割り込んだ。今回、全国32ある1人区で立憲野党・市民の共同で擁立した統一候補は、10選挙区で勝利し、改選2議席から大きく前進した。政党要件の確保をかけて比例得票率2%以上をめざした社民党は、2・09%の得票率で厳しい闘いとなったが、政党要件は何とかクリアする結果となった。前党首の吉田ただとも氏が比例当選した。

 なお今回の投票率は48・80%で、16年参院選の54・70%を大きく下回り、国政選挙として過去最低であった1995年参院選(44・52%)以来24年ぶりに50%を割り、過去2番目の低投票率となった。  

 二 9条改憲阻止の大衆闘争の再構築へ
 

 今次参院選挙闘争におけるわれわれの主体的課題は、あまりにも明白であった。第一は改憲勢力の3分の2確保をなんとしても断ち切ることであった。そして二つ目の課題は社民党の得票率2%以上を獲得し、政党要件を確保することにあった。

 結果としてはわれわれは、この二つの死活要件をクリアすることができた。二つともまさにギリギリの線上での結果であった。「首の皮一枚」でつながったのだ。われわれはいま危機のど真中にある。それ故にこそ、われわれはこの結果が突きつけている意味をしっかりと考察し、新たな展望に向けた課題を具体的な形で鮮明化させていかねばならないだろう。

 第一は改憲阻止の課題だ。国会発議を阻止し得る4議席の意味はあまりにも大きい。投票日翌日の新聞各紙の見出しのトップは「改憲勢力3分の2届かず」であった。しかし闘いの攻防はまさに今から始ったのではないか。『産経新聞』によれば、21日夕、投票箱が閉まる直前に、安倍首相は富ヶ谷の私邸で麻生副総理と会談し、その中で「憲法改正をやるつもりだ」と語り、今後の1年が勝負の年になるとの認識を共有したという。

 そして22日の首相記者会見では、自らが掲げた「2020年改正憲法施行」について,「今もその思いには変わりはない」と強調した。さらに、3分の2を割った現状を踏まえ「自民改正案にとらわれず与野党の枠を超えて賛同が得られるよう柔軟に議論していく」と表明し、「国民民主党内には議論に前向きな人が多い」とまで踏み込んだ。

 首相はその後、参院選の結果は野党の一部を巻き込んでいくには「ちょうどよいくらいの数ですね」と周囲に語ったというが、これは本質負け惜しみというべきではないか。しかし、3分の2を割った結果に立脚した今後への現実対応感覚は恐るべきだ。現実に、25日のインターネット番組で、玉木国民民主党代表が「私、生まれ変わりました。我々も改憲論議は進めるし、安倍首相にもぶつける」と発言し波紋を広げた。野党5党派は「安倍政権の下での9条改正は反対。発議もさせない」ということで一致していたはずだ。国民民主党の議員はどうか。協同通信社による今回の当選者と非改選議員へのアンケートでは、「憲法改正の要否」の問いについては、確かに「必要」が53・3%に上っている。しかし重要なことは、「憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正」案に対しては、国民民主党の全議員が反対と答えている点だ。野党5党派の確認事項は守られているのだ。

 9条改憲をめぐる最新の国民全体の世調はどうか。投票当日の共同通信の出口調査によれば、「安倍首相の下での憲法改正」については、全体で反対が47%で賛成の40%を上回っている。また国民民主党支持層では74・3%が反対し、賛成18・9%を大幅に上回っている。さらにもう一つ押さえるべきは、『朝日新聞』23日の世調によれば、改憲派が3分の2を割ったことについて「よかった」が43%で、「よくなかった」は26%しか無かった点だ。さらに、「安倍首相に一番望む政策」では、圧倒的に社会保障(38%)と教育・子育て(23%)なのであり、「憲法改正」はわずかに3%でしかない。にもかかわらず、安倍首相は「自己の歴史的使命」とのガチガチの観念のもとに、これからの1年間において改憲にすべてのエネルギーを集中する構えを変えようとはしていない。

 こうした情勢の中、われわれ社会民主主義者に課せられた役割とは実に明白だ。改憲に向け新たな攻防がスタートした今、われわれはもう一度しっかりと9条改憲阻止の市民運動、大衆闘争のうねりを再構築していくことだ。改憲発議3分の2を阻止したこの情勢は、われわれに有利だ。「国民民主党系の一部議員の動揺」という危機をはらみつつも、それは市民運動、大衆闘争の大きなうねりを創出していくことによってこそ乗り越えていけるであろう。そしてなによりも、このような国民運動のうねりが形成されていくならば、創価学会・公明党をも規定できる可能性がつくられるのではないか。   

 三 改憲論争の本質とは「国家像」をめぐる闘い
 

 改憲をめぐる根本問題について、さらに考察したい。安倍首相は22日の記者会見の中で「安定した政治基盤の上に、新しい令和時代の国づくりを進めよとの力強い信任をいただいた」と強調している。選挙直後の『日経新聞』の解説記事によれば、首相は親しい議員に「ポスト安倍は私の路線を引き継いでくれる人がふさわしい」と語ってはいるが、改憲を任せられるとは思っていない、という。彼は、祖父・岸信介元首相が「経済政策は官僚でもできる。憲法改正など国家そのものに関わる仕事は政治家にしかできない」と述べていた言葉を反すうしている、という。『日経新聞』のこの解説記事の見出しとは、「改憲論議、国家像示せるか」である。

 まさに改憲論議を貫く本質とは「国家像」をめぐる争闘以外のなにものでもない。元伊藤忠商事会長で中国大使も務めた丹羽宇一郎氏が今年2月に『日本をどのような国にするのか』(岩波新書)という本を発行した。問われている根本問題とはこのようなテーマであろう。中国とインドを中心に数百年ぶりにアジアが世界の中軸に躍り出ようという世界史的転換期が始まりつつある今、まさに日本の生き方が歴史的に問われているのである。ちょうど150年前の明治維新変革期において、国家像をめぐり二つの総路線が激突した。明治政府は天皇制国家を確立し、「脱亜入欧」と「富国強兵」の旗のもと、大国主義(帝国日本)とアジア侵略路線へと直進していった。それに対抗し自由民権派は、「小国主義」と「アジア共同主義」の旗をかかげて対峙した。軍事大国化への道は歩むべきではなく、道義立国を基本とした「アジア共同主義」と「集団安全保障(万国協議政府)」の可能性を追求すべきであると主張した。しかし歴史の現実展開とは、自由民権派が明治国家の弾圧によって押しつぶされ、以降日本は日清・日露戦争を経て、朝鮮や中国を踏みにじる帝国主義国家の道へと驀進した。日本は1868年の明治維新政府樹立以降、1945年の今次世界大戦の終了までの77年間に14回もの対外戦争・戦闘(事変)を引き起こしたのである。そして14回のうち10回はアジア諸民族、とくに朝鮮と中国を相手として戦争を起こしたのである。その結果としてアジア・太平洋戦争の奈落へと暴走・転落するに至った。

 日本国憲法とそれがめざす国家体制とは、まさに310万人の日本の兵士・民衆の犠牲と3000万人ともいわれるアジア民衆の血の犠牲の上に結実したものであった。「小国主義」と「アジア共同主義」路線が明治以降初めて現実の形となったのだ。  こうした中、安倍首相がめざす「国のかたち」とは何か。平和憲法を打ち砕き、大国主義(帝国日本)と日米同盟(脱亜入欧)路線に全面回帰しようというのである。アジアの勃興という歴史の大転換期に反逆する道以外何ものでもない。@小国主義、Aアジア共同主義、B村山談話のわれわれの3本の旗は鮮明だ。

 以上の総括点に立脚する時、この参院選直前の7月1日に突如日本政府が発表した韓国への半導体材料の輸出規制問題は重大な注目点だ。7月3日に行なわれた日本記者クラブの党首討論会で、安倍首相は元徴用工訴訟に対処しない韓国政府への事実上の対抗措置だという認識を示した。

 これに対し韓国の文大統領は15日、「日本が歴史問題を経済問題と関連付けたことは、両国関係発展の歴史に逆行する」と非難し、「結局は日本経済に、より大きな被害が及ぶ」との警告を行なっている。7月2日の『朝日新聞』は、「参院選控え強硬措置」との見出しを付けて、「参院選公示を前に明確な姿勢を示す狙いもある」と報じた。事実、『朝日新聞』「論壇時評」(7月25日)での津田大介氏(ジャーナリスト)によれば、ネット上で「輸出規制措置をとることは、韓国の無法を国際的に知らしめる」「韓国経済の生死を決めるのは日本であることをわからせなければならない」などの勇ましい言葉が目立つという。

 思い起こせば、2017年の衆院選の時は、安倍政権は北朝鮮のミサイル脅威を煽りまくり、“国難突破解散”と名付けて大勝した。今や米朝和解の流れができる中、この度は“嫌韓感情”に火をつけ、参院選勝利に利用しようとしたのだ。実際、7月23日の『読売新聞』の世調によれば、この日本政府の対応に対して、なんと71%の国民が支持している(支持しないはわずか17%)。

 選挙戦終盤で、河野外相の「無礼」発言が大きな話題となった。7月19日、元徴用工問題をめぐり、韓国の南官杓駐日大使を外務省に呼んだ際、韓国側の発言をさえぎって「極めて無礼」と非難の言葉を発し、怒りをあらわにした。上の者が下の者を見下す態度以外のなにものでもない。

 河野外相の父親である河野洋平氏が、この事態の直前に、『月刊世界』7月号で「政党・政治家への直言」を発していた。「若い国会議員の皆さんの一部に、現在の日米関係を不動の前提とし、一方で中国や韓国、東南アジアをことさらに低く見るような視線を感じますが、アジアの中で生きていく日本の外交ということを、より視野を広くして考えていってほしい」「その第一は、やはり歴史問題です。……過去の歴史は動きません。動かない歴史ときちんと向き合う外交を日本が進めた先に、揺るぎない信頼関係に基づいたアジアの中の安全と平和が見えてきます」。

 丹羽宇一郎氏も繰り返し言っている。「日本の国是は平和と自由貿易です。……日本の国是は中国にとっても国是であるわけです。中国も平和でなければやっていけないのだから、これからも中国と日本、隣国の韓国が戦いを交じえてはいけない。日中、日韓の平和は(われわれにとって)必須です」。  

 四 野党は「自公共同戦線」の強さに学べ
 

 「改憲勢力3分の2割れ」をつくり出した力とは、いうまでもなく1人区決戦での10選挙区の勝利であった。開票当日は、1人区での一つ一つのギリギリの勝利に全国各地の無数の選対事務所で拍手がわき起こったことだろう。新潟、大分…… そして東北の各県、さらには滋賀の嘉田さんの勝利や、最後に決まった宮城の勝利には多くの人々が歓喜したことであろう。

 これらの1人区決戦の勝利を可能としたのは「野党と市民の共同戦線」の力であった。『朝日新聞』(7月24日)は「野党共闘効果 票数1・14倍」との分析記事を載せた。野党統一候補の得票が各党の比例票の合計よりどれだけ多くなったかの分析だ。愛媛、滋賀、秋田、山形では133%〜188%の共闘達成率であったと分析する。勝利した10選挙区で平均は127%だったとする。勝利した選挙区での野党共闘の力は明白で、その力は無党派層の6割以上を引き寄せ、さらには自民党と公明党票の一部も食ったのだ。

 もう一点、注目すべき点がある。投票率である。今回の投票率は48・80%で、前回より5・9ポイント下がり、過去2番目に低かった。しかし1人区決戦で野党が勝利した選挙区では、沖縄を除き52%以上であり、より多くは55%から60%の水準であった。つまりは野党共闘で自公と競り合うところまで闘いを激烈化した選挙区では投票率は上昇している。

 全体としての低投票率について、『朝日新聞』社説の見出しは「政党が『棄権』に負けた」であった。しかし政党が負けたのではなく、野党が「棄権」に負けたのだ。その結果としての自公の勝利であった。ちなみに自民党は選挙区では74人のうち38人を押さえた。しかし絶対得票率は18・9%でしかないのだ。比例票に至っては自民党の絶対得票率は16・7%でしかない。

 安倍政権が成立した12年衆院選も含め今回まで6回の国政選挙が行なわれ、彼らは6連勝している。考えても見れば恐るべきことだ。ここまで国の基本的在り方を根幹から堕落させてきた政権が勝利し続けてきているのだ。その総括ポイントの最重点事項が「低投票率」であろう。

 思い起こせば、民主、社民、国民新党の3党連立政権を実現した2009年の衆院選の投票率は69・28%であった。民主党政権崩壊以降、今次参院選に至るまで投票率は52〜57%で推移し、そして今や48%台となってしまった。3党連立政権を押し上げたあの力はどこへ行ってしまったのか。今やざっと1500万人の有権者が投票所に足を運ばなくなってしまった。コアな自民党支持層とガチガチの公明党票を押さえれば勝てるという「必勝パターン」が確立してしまったかに見える。そこに維新が伸びてきて改憲勢力を盛り上げている。

 なぜなのか。選挙直後の『朝日新聞』世調では、低投票率の理由について、「投票しても政治は変らない」が最も多く43%で、「政治に関心がない」が32%となっている。また『読売新聞』世調では、低投票率の理由については、「野党が安倍内閣に不満を持つ人の受け皿になれなかった」23%、「政治に関心がない人が多い」63%などであった。しかし又、選挙結果については「ちょうどいい」が38%に対し、「野党がもっと議席を取った方がよかった」が41%なのだ。

 以上の現実状況を踏まえるならば、野党・市民の側が選挙に勝つための方策は実に明解だ。無党派層をどれだけ動かせるのか、また自公政権を打倒して野党政権を打ち立てるためには、1500万人に迫る無党派国民が投票箱に足を運ぶための方策を打ち出せるのかどうかにある、ということだ。現実はあまりにも厳しい。主軸たるべき立憲が現段階ではそのような戦略も気迫も持ち得ていないからだ。

 参院選公示の1カ月前に『なぜリベラルは負け続けるのか』(集英社)という本が出版された。著者の岡田憲治・専修大学教授は言う。「野党陣営はいったいなぜこのような『ボロ負け』状態になったのでしょうか? それはひとえに野党側が、小さな違いを懐に収めながら大同団結するという判断をせず、非常に狭い範囲で個々に戦いをしてきたからです。もし少数野党が一つにまとまって自公の政権に対峙していたならば、たとえ政権交代までには至らなかったとしても、ここまでの横紙破りを政権もできなかったでしょう。そんなことは何も私の『大発見』などではなく、小学生にだって分る理屈です。……そもそも野党陣営の一部の人たちが『あそこの党と組むくらいなら死んだ方がマシだ』などと思っている節さえあるのですから、これはもう相当絶望的です」。まったくその通りなのではないか。

 こうした中、気鋭の政治学者の中北浩爾・一ツ橋大大学院教授は、これも5月に出版された『自公政権とは何か』(ちくま新書)でズバリと「野党は自公連立20年に学べ」との核心をついた提起を行なっている。公明党は全国で3000人の地方議員を抱え、1小選挙区あたり2万〜2万5000票を有している。自民党は、まさにこの20年間、創価学会・公明党とガッチリと一体的な選挙協力を行ない、見事に連立政権を形成してきているのだ。そして特筆すべきは、「衆議院の小選挙区と参議院の1・2人区で、自民党候補が公明党の支援を受ける代わりに、『比例は公明』という呼びかけを実施していることだ。こうした票の融通は、衆参両院、国会と地方議会といった異なるレベルの選挙の間でも行なわれている」。

 われわれは、このような完璧に近い選挙協力と連立を形成している自公の体制と闘わねばならないのである。野党・市民の共闘の側は根底的総括を行ない、その中から投票箱に足を運ばない1500万人を揺り動かしていかねばならないのだ。そのヒントとは、なによりも今回勝った10の1人区決戦の教訓の中にこそある。同時に又、「自公共同戦線」の強さの分析の中にも見い出すことができるのではないか。  

 五 「れいわ新選組」の勝利はわれわれに何を突きつけたか
 

 冒頭書いた通り、われわれにとって今次参院選闘争の決定的に重要な主体的課題とは、社民党得票率の2%以上確保の課題にあった。結果は104万6011票、2・09%であった。絶対得票率はわずか1%である。文字通り、この数年来の政党支持率そのものである。又市党首は22日の記者会見で「2年前の衆院選からみれば一歩前進だ。しかし、決して党として危機的な状況を脱したわけではない」、そして「なぜ十分な得票に結びつかなかったのか、しっかりと議論を深めていかなければならない」と述べた。確かに17年衆院選のドン底にくらべ10万5000票増えて政党要件は「首の皮一枚」でつながった。しかし冷静に分析するならば、第一点として前回参院選と比較して49万票も減らしている。ざっと3分の1減らしたのだ。ここのところの深刻な事実を凝視しない限り、まともな総括は出てこないであろう。実は、3年前の参院選の敗北の総括の中で、当時の又市幹事長は、「全党員は、わが党が『国民の共有財産』だということを再確認してほしい」と発言していた。この言葉は当時の『社会新報』で、とりわけ大きな見出しで掲載された。全国で1%の支持率しかなく、わずか3年間でさらにその3分の1の票を失ない、100万票しか集票できない政党が「国民の共有の財産」などと「自画自賛」できるであろうか。その意味とは何なのか。

 全国各地の議員と党員は、今回はとりわけ必死で取り組んだ。議員は自治体選挙を闘い終えたばかりだ。皆が数千票から1万数万票を確保して這い上った。そして疲れた体にムチ打って連続して参院選闘争に突入した。しかし、「これだけ頑張ってなぜ社民党票はこれしか集まらないのか」とのまことに厳しい声が寄せられている。自治体選は公認の旗で闘って、参院選では「比例は社民へ」を自分の闘いと同様に懸命に取り組んだ。しかし、結果は自分の票に比べて3分の1前後しか取れないのだ。まさに全国連合指導部を頂点とする社民党総体の自己改革が迫られている。党の革命的自己改革か、はたまた党の解体(流れ解散)か――われわれは今、ギリギリの瀬戸際に立っているのだ。

 そして今や、政党の革命的自己改革の見事なお手本というべき流れが、日本の政治総体に対して突如として突き出された。山本太郎氏を代表とする「れいわ新選組」の登場だ。政党要件のない諸派の闘いにもかかわらず、結果として228万票(得票率4・6%)を獲得した。山本代表本人も、ほぼ社民党比例票に並ぶ100万票近く集票し、個人得票ランキングで断トツの1位となった。そして今や連日、「特定枠」で当選させることができた難病ALS患者の舩後靖彦氏と、脳性まひで重度障害者の木村英子氏の国会登場をめぐり、日本の政治と社会を大きく揺り動かしてきている。

 「れいわ新選組」の選挙戦は次の3点において、文字通りラディカルであった。@「弱い者の側に立つ」という主張を、抽象的政策や観念的スローガンではなく、「生身の現実」の形(2人の闘う障害者)として突き出した、A消費税廃止と法人税・所得税の累進制導入、全国一律最賃1500円、奨学金徳政令、保育・介護職員などの公務員化、原発即時禁止など、アメリカやヨーロッパの若者を席巻している社民左派の政策の全面展開、B安倍政権打倒に向けた巧みな共同戦線戦略。山本代表は、宮城の石垣のり子(立憲公認)、大阪の辰巳孝太郎(共産公認)など野党各党の候補の応援演説を展開し、次なる野党共同戦線形成への布石を打った。今回の「れいわ新選組」の前進は、「人間の価値は生産性では計れない」「障害者が当たり前に暮せる社会をめざす」と主張する2人の新国会議員の登場で、「共生社会を体現する」国会の実現へと直進するであろう。

 また注目すべきは、今後の政治戦略=安倍政権打倒に向けた山本代表の『野望』だ。過去、1992年に細川護煕氏が日本新党を設立。その2ケ月後の参院選で360万票を獲得し、4人が当選。翌年の衆院選で一挙に35議席を得て、細川氏は非自民連立政権の首相の座に就いた。山本代表も、選挙直後の記者会見で「衆院選で大きく議席を取る。政権を取りにいく気迫で行きたい」と述べている。山本「れいわ新選組」は、現段階「少数者の反乱」と言うべきであろうが、しかし今後、澱みきった日本政治に風穴をあけていく大きな存在となる可能性をはらんでいる。

 われわれ社会民主主義者は、このような動きを真剣に主体化せねばならない。さしずめ、われわれが立脚する社民党の革命的自己改革をめざそう。国民に顔の見える中枢指導部に、当選した吉田ただとも氏は当然だが、今回参院選を全力で闘い抜いた仲村みおさんや大椿ゆうこさんのようなキラキラ輝く人材を据えて、社民党の「変革の姿」を国民に示していこうではないか。さらには、党員も読まないような政策を羅列するのではなく、@全原発の廃炉と自然エネルギー社会の創造、A沖縄の基地撤去、米国兵器の「爆買い」を許さず、保育・教育・福祉へ、B最賃1500円実現、格差・貧困をなくす、などの社民党をストレートに体現する簡潔な政策・スローガンを鮮明に訴えていくべきだ。

 爆発的前進を実現した山本「れいわ新選組」に学ぼうではないか。