「進歩と改革」No.794号    --2018年2月号--


■主張 2018年、安倍9条改憲NO!の声と力を大きく!

 “明治150年・明治人の気概で改憲加速を≠ニ「産經新聞」


 痛苦なる現実を超えていく改憲阻止共同戦線形成へ――改憲3分の2議席をまたもや許した昨年の総選挙の結果をうけての本誌の主張である。新しい年を迎え、改憲阻止の新たな共同へ、様ざまな取り組みを進め、立憲・護憲の主体を形成するための努力を積み重ねていきたい。

 元旦の新聞各紙の社説は、朝日「来たるべき民主主義 より長い時間軸の政治を」、読売「緊張を安定に導く対北戦略を」などと論じられたが、産經は「繁栄守る道を自ら進もう」として、安倍首相の9条加憲論を意識してか、自衛隊讃歌が主張された。偏った論理が展開されたのが1月3日付けの同紙社説で、「明治150年『独立自尊」を想起したい 国難乗り越えた先人に学ぼう」である。この社説、「明治の改元から今年は150年となる。日本が進むべき道を、先人の足跡に見出したい」と書き出し、「異国の船が日本の押し寄せた幕末と現代は、よく似ている」と読者を驚かせる。「開国を求めて横浜沖に船を泊めた米国のペリー艦隊」の幕末と「中国の公船が尖閣諸島周辺に押し寄せている。北朝鮮のミサイルがわが国の上空を飛び、あるいは日本海に落下している」現代は、「日本にかかる、あからさまな外圧」という点で共通するという。「今年も北朝鮮と中国の脅威は増すことになろう」から、「国難に向き合い、明治人は何を目指したかを改めて学ぶべきだ」とするのだ。

 産經新聞社説では、明治人はどのように語られるのか。「日清、日露という2つの戦争を明治人は戦った。2つとも、日本の国防にとって要衝の地となる朝鮮半島の安定を目指すものだった。戦ってでも、日本の独立を守ろうとした」。露骨な侵略史観を隠そうともしていない。原朗東京大学名誉教授の『日清・日露戦争をどう見るか』(NHK出版新書)によれば、「日露戦争は…戦争目的を考えると、これも日清戦争と同じくやはり朝鮮の支配権をめぐる戦争でした」とある。そして、「日露戦争における朝鮮問題を考えるうえで、とても重要なことがあります。ふつう日本が韓国を併呑したのは、日露戦争から五年後の1910年だといわれています。しかし、…日露戦争の開始と同時に、日本は事実上、韓国の内政に強制的に干渉し、日露戦争直後までのあいだに、実質的には韓国を支配下に置きました」と指摘している。つまり、日露戦争から敗戦までは「日本による朝鮮支配の40年」であり、「日帝支配40年」である。産經新聞社説は韓国併合などには一切触れず、恥しくもなく、日清、日露戦争を「日本の国防にとって要衝の地となる朝鮮半島の安定を目指すものだった」「戦ってでも、日本の独立を守ろうとした」とする。まさに歴史修正主義に特徴づけられたものである。

 そのうえで産經社説は主張する。「最高法規である憲法について考えてみたい。占領下、連合国軍総司令部のスタッフが大急ぎで草案を作った憲法は、国権の発動である戦争を放棄し、交戦権を認めていない。国家の権利の制限である」。ここまでは押し付け憲法論で陳腐だが、続いて「国の守りについて、手足をしばっているのは専守防衛という考え方だ。抑止力の一環である敵基地攻撃能力の保有について、正面から継続的に語り合う姿を見ることはない。拉致被害者を自力で救出するという議論は起きない」とし、専守防衛を批判するまでに突出。敵基地攻撃を容認し、北朝鮮基地への攻撃で拉致被害者が救出できるかのように主張する。そして、「とうに改正されてしかるべき憲法だが、現政権の下でようやく議論は緒に就いた。これを加速させたい。国難に毅然として立ち向かった明治人の血潮は、現在の日本人にも流れている。現代の国難を乗り越えるため、明治人が見せた気概こそ必要ではないか」と結論づける。東京新聞の社説(1月1日)は「明治150年と民主主義」であるが、そこでは、現在において「思い出すべきは、民権を叫んだ明治人」とあり、産經新聞との違いが示されている。

 “改憲 今年中の発議をめざす”と「東京新聞」


 憲法問題を新年の新聞はどのように報道したのか。目を引いたのが東京新聞(1月1日)の1面に載った「改憲 今年中の発議をめざす」である。次のように書かれている。

 「自民党は2018年中の改憲案の国会発議をめざし、議論を加速する方針を固めた。党関係者によると、19年は天皇陛下の退位や参院選など重要日程が相次ぐため、安倍晋三首相(党総裁)が掲げる20年の新たな憲法施行には早期に国民投票まで終えることが望ましいと判断した。衆参両院の憲法審査会で一定の論議を経て、改憲に前向きな政党と協議も始め、改憲原案づくりを進める考えだ」「20年施行に向けては当初、国民投票を19年夏の参院選との『同日選』にするため、19年前半の発議を視野に入れていた。しかし19年は4月30日に天皇陛下の退位、5月1日に新天皇の即位がある。この時期に国民投票運動が重なり、改憲を巡り世論が2分すると、首相を支持する保守層が反発しかねない。4月に統一地方選、7月に参院選もある。参院選後には、改憲勢力が3分の2を割る可能性がある。首相側近は『一八年中に発議しなければ間に合わない』と強調。各党と合意形成が進展すれば、発議は18年の通常国会終盤か、秋の臨時国会、国民投票は18年末か、19年春までを想定する。合意がまとまらない場合は、発議を参院選以降に延ばす選択肢も残している」。

 昨年の5月3日、安倍首相が日本会議のフロント団体の集会にビデオメッセージを送った。そこで主張されたのが「9条への自衛隊加憲」であり、「2020年新憲法施行」であった。2020年新憲法施行にむけた国民投票については、国政選挙のない2018年説、参院選との同時実施の2019年7月説、また衆参同時選挙を構えた2019年7月説があった。そこへの改憲発議を東京新聞は、「参院選以降に延ばす選択肢」も指摘しつつ、具体的に「18年の通常国会終盤か、秋の臨時国会」、国民投票は「18年末か、19年春まで」と的を絞って報道した。注目すべきである。

 自民党が改憲4項目の「論点取りまとめ」


 自民党の憲法改正推進本部(細田博之本部長)は昨年12月20日の全体会合で、改憲四項目に関する「論点取りまとめ」を了承した。論点取りまとめとは、党改正案に先立つ中間報告だという。その内容は、自衛隊について、@9条1・2項を維持した上で自衛隊を憲法に明記するA9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化するの2通りの意見がある。緊急事態について、憲法に@国会議員の任期延長や選挙期日の特例等を規定A政府への権限集中や私権制限を含めた緊急事態条項を規定の2通りの意見がある。参議院の合区解消について、47条を改正し、改選ごとに都道府県から少なくとも一人が選出可能となるように規定する方向でおおむね意見が一致、教育充実について、26条3項を新設し、国が教育環境の整備を不断に推進すべき旨を規定する方向でおおむね意見が一致、というものである。

 それぞれが批判されるべきだが、安倍改憲の焦点は9条にある。自民党案は「9条1・2項を維持した上で自衛隊を憲法に明記する」ことに絞られてくるであろう。安倍改憲にとって、まず問われるのは改憲発議にむけた政党間合意である。めざされるのは、自民・公明・維新・希望の改憲連合である。安倍改憲NO!全国市民アクションを各県各地で立ち上げ、力強く運動をすすめながら、国会での憲法審査会論議に影響を与えていかなければならない。そして国民投票へ構えていかねばならない。そこへむけ、現行の憲法改正国民投票法の問題点を改めていくべきだ。国民投票法の不備として指摘されるのは、@国民の判断を歪めかねない扇情的なテレビCMが野放しになるA運動費用に制限がないため資金力に恵まれた改憲勢力が圧倒的に有利B日本民間放送連盟が11年前に国会で約束した自主ルール作りを放置していることであるが、加えてネット規制がないという問題がある。理由は、国民投票法が成立した安倍第1次政権下の2007年当時には、ツイッターやフェイスブックなどのSNSは産声を上げたばかりであったからだ。適切なファクトチェックが求められている。

 2018年、名護市長選挙の勝利から


アベ政治を許さない! 2018年を安倍改憲を阻止する年に! との思いでつながるものが決意するのは、2月4日投開票の名護市長選挙での現職・稲嶺進氏の勝利である。沖縄平和運動センターの山城博治議長が、稲嶺市政について述べている。「稲嶺市長が8年間、『海にも陸にも新しい基地は造らせない』の公約を掲げて奮闘してきたのは皆が知っていることですが、稲嶺市長がすごい点は他にもあります。前の保守市政時代には、米軍再編交付金でハコモノを造っても、維持費がかかって、結局市の財政は苦しくなり、民政には予算が回らないという悪循環を強いられていました。稲嶺さんは8年前、上から降ってくるカネでは市は潤わず、市民生活もよくならないと訴えて勝利した。そして、市の職員が自ら汗をかいて市民の声を聞き、しごとをつくり、これを根拠にして国に対して堂々と財政措置を求めるということをやり、成果を挙げてきました」(『社会新報』1月1日号)。この稲嶺市政の継続へ、平和を発信する名護・沖縄へ全国から連帯の声と力を届けよう。