「進歩と改革」No.785号    --2017年5月号--


■主張 東日本大震災から6年、原発のない社会を築こう!

 避難指示解除が進められるが・・・


 2011年3月11日の東日本大震災から6年が経った。死者は1万5893人、行方不明者は2559人、震災関連死は3523人にのぼっている。甚大な犠牲であった。直後の東京電力福島第1原発事故では、福島県下11町村で約8万1000人に避難指示が出された。この間、5つの市町村で避難指示が解除されてきたが、それに続いて政府は、3月31日に浪江町、飯舘村、川俣町山木屋地区、4月1日に富岡町で解除し、帰宅困難区域を除いてはほぼ避難指示が解除されることになった。これで避難区域の全体面積は、当初の3分の1に縮小する。政府の「復興加速化」にともなった措置である。避難指示がまったく解除されていないのは、第1原発立地自治体の双葉、大熊両町である。

 しかし、住民の帰還意欲は低い。1昨年9月に避難指示が解除された楢葉町では、帰還した人はいまも1割強である。昨年9月に解除された葛尾村は1割に届かないという。それには理由がある。福島第1原発が見える14キロの地点にある浪江町の「希望の牧場」で、被ばくした牛とともに生きる牧場主・芳沢正己氏は次のように言っている。「町内には、除染土壌を詰めたフレコンバッグが山積み。地権者の承諾が取れない今のままでは、中間貯蔵施設が最終処分場になる可能性大。ライフラインの復旧も家屋の修理もこれから。帰ってきたって、仕事も産業も店も病院もない。隣の家には人がいない。そんなところに住めますか? 住めますか?」「浪江町は避難解除後には10分の1程度の人が、高齢者を中心に戻る寂しいところになるでしょう。町でもない村でもない、それ以下の姿になるだろうし、街とは一体何かの意味が問われます。生きて自分の家には帰らず、死んでも自分の墓には帰ることのできない人たちの、無念の気持ちを知って下さい」(BECO新聞第3号)。除染し、避難指示解除をしても、元の浪江には戻れない! 痛烈な発言だ。

 復興庁の発表(3月28日)によれば、東日本大震災によって、全国各県各地で約11万7000人がいまも避難生活を送っている。福島県民では8万人近くが避難を続けており、県内外の割合は半々だという(3月11日、『福島民友』)。それらの人に、「除染、復興、再建、帰還という国からのレールに何としても乗せようとする上からの圧力」(BECO新聞、同)がある。安倍首相は、政府主催の「東日本大震災6周年追悼式」で、「復興の新たな段階に入りつつあることを感じます」とあいさつした。避難指示解除を進めて、「復興の新たな段階に入った」ことで、賠償を止め、「原発事故は終わった」ことにしたいのであろう。

 現に今村雅弘復興相は、「ふるさとを捨てるというのは簡単だが、戻ってとにかく頑張っていくんだという気持ちをしっかり持ってもらいたい」(3月12日、NHK日曜討論)と述べ、避難者の帰還を急がせている。避難者が好きでふるさとを捨てたかのような発言で許せない。原発事故までは住み続けていたふるさとであり、放射能などの心配がなく帰れるものなら帰りたいのが、避難者の思いである。避難者一人ひとりの生活再建に寄り添う帰還策こそが求められている。

 いのちを守れ! フクシマを忘れない!


 3月20日、さようなら原発全国集会が東京都内・代々木公園で開催された。タイトルは「いのちを守れ! フクシマを忘れない!」である。集会では、福島からの避難者の置かれた現実が訴えられた。強く訴えられたのは、避難指示区域外からの自主避難者にとって、唯一の支援ともいえる災害賠償法に基づく無償住宅提供が、国・福島県によって3月末に打ち切られることである。そこで、4月以降に住む家が決まらない、住む家が決まっても生活困窮で家賃が払えないという声が、支援活動を行っている「避難の共同センター」に届いている。避難者は孤立した状態に置かれている。その一人ひとりに、今の避難先住宅から出ていけとの通告が行われた。「この5年間、自分が避難者であることを言えなかった」という人たちが、いま悲痛な声を上げているのである。

 福島県民健康調査では、事故当時18歳以下の子どもたちで甲状腺がん悪性、または疑いとされた子たちが増えている。子どもたちを原発事故による放射能から守るために自主避難してきた人たちが、住む家に困り、生活に困っている状況に追い込まれているのは、余りに理不尽である。国・福島県の無償住宅提供への責任はもちろんだが、避難先の自治体によるサポート体制の強化も問われている。フクシマを忘れない!とは、福島からの避難者も忘れない、ことであろう。避難者の子どもたちへの「いじめ」が報道されて心が重いが、集会では避難者より、「いじめを受けているのは子どもたちだけではない。ラーメンを食べているだけで、避難者がうまいものを食べていると悪口を言われる。好きで福島を離れたわけではない」と発言された。『朝日新聞』(2月25日)によれば、避難先でいじめや差別を受けたり、被害を見聞きしたりしたことがあると答えた人は62%に上っている。「原発事故の責任の所在があいまいで、『避難者は事故の被害者』という認識が社会で共有できていないことがいじめにつながっている」。その通りである。

 原発再稼働を許さない闘いへ


 福島から避難した人びとからふるさとを奪ったのは東京電力と国である。3月17日の前橋地裁判決がそれを明らかにした。これは福島第1原発事故で群馬県内に避難した住民が、国と東電に総額約15億円の損害賠償を求めた集団訴訟である。前橋地裁の原道子裁判長は、「国と東電は津波を予見できた」「事故は防げたのに対策を怠った」として、国・東電に賠償を命令した。しかし判決は、原告130名(提訴時は、後に亡くなられた3名などを含めて原告137名)のうち、慰謝料の支払いを命じたのは62名だけで金額も低く、避難者の思いには至らず、裁判は控訴審へと続くが、東電と国の責任を明確にした前橋地裁判決の意義は大きい。

 福島第一原発では、東京電力が1月末に行った2号機格納容器内のロボット調査で、毎時530シーベルトもの高線量を計測したことを明らかにした(二月二日)。人間が1分足らずで死んでしまう量である。さらに、調査ロボットが、めざす圧力容器に到達する前に堆積物に妨げられ、わずか2メートル進んでストップ、動けなくなった(2月16日)。代用ロボットは存在しない。これで廃炉への道筋はどう画かれるのであろうか。

 福島第1原発事故は終息していない。それなのに、安倍政権は原発再稼働に躍起である。3月28日には、高浜原発3・4号機の運転を差し止めた1年前の大津地裁決定を大阪高裁が覆した。この判決に負けまい。原子力村は必死だが、原発に未来はない。原発の再稼働に反対し、フクシマの被災者・避難者と連帯しようではないか。