「進歩と改革」No.725号    --2012年5月号--


■主張 「復帰40年」の年に、「基地のない平和な沖縄」を!



高橋哲哉教授が指摘する「犠牲のシステム 福島・沖縄」


 高橋哲哉・東京大学大学院教授が、『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社文庫)という本を書かれている。 なぜ福島と沖縄なのか。その本の冒頭に「それ1945年の敗戦以後、今日まで日本を『戦後日本』と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシステムを表しているからだ」「福島の原発事故は、戦後日本の国策であった原発推進政策に潜む『犠牲』のありかを暴露した。沖縄の米軍基地は、戦後日本にあって憲法にすら優越する『国体』のような地位を占めてきた日米安保体制における『犠牲』のありかを示している。私はここから、原子力発電と日米安保体制をそれぞれ『犠牲のシステム』ととらえ、ひいては戦後日本国家そのものを『犠牲のシステム』としてとらえかえす視座が必要ではないか、と考えた」とある。

 そして沖縄については、「沖縄が戦後日本の犠牲であったこと。それは沖縄戦という史上稀にみる過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシスコ講和条約第3条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、1972年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の約74%が沖縄に集中しているという、このことをさしている」とされる。福島原発事故も沖縄の置かれた状況も同じ戦後のことだが、福島原発事故は「第二の敗戦」とされ、そこから脱原発・民主主義の再生が問われている。それに対し、沖縄は「第一の敗戦」後の状況が続いていると言えるのではないか。

 その沖縄が「本土復帰」してから今年5月15日で40年が経つ。1952年4月28日、沖縄が日本から切り離され、米軍の施政下に置かれたサンフランシスコ講和条約の発効したからは60年である。「40年」「60年」はとても長い年月だし、東西冷戦の時代も終わったが、それにも関わらず、いまも沖縄県に在日米軍施設面積の約74%が集中している。沖縄県が日本の総面積に占める割合は、わずか0・6%である。これほど、沖縄のおかれた現状を物語るものはない。


「こんな沖縄に誰がした」と大田昌秀・元沖縄県知事

 奪われているのは土地だけではない。大田昌秀・元沖縄県知事(前社民党参議院議員)の『こんな沖縄に誰がした』(同時代社)によれば、「沖縄全域の土地の11%、沖縄本島に限ると20%もが米軍の軍事基地化されているだけでなく、那覇軍港をはじめ29か所の水域も、空域の40%までもが米軍の管理下に置かれている。そのため沖縄の人々は、自分たちの土地も空も海も自由に使えないしまつである」。土地だけではなく、空も海も奪われているのだ。

 そして、「1972年の復帰後からでさえすでに基地から発生する事件・事故は6000件近くも起こっているだけでなく、基地を抱えている地域の幼児や高齢者たちは日夜爆音による心身への悪影響に悩まされている。ちなみに、人間の受忍限度70デシベルをはるかに超える、しかも協定を無視した深夜早朝の飛行の影響で、嘉手納飛行場に隣接する北谷町などでは未熟児や難聴児が生まれるなど、人体への影響ははかりしれない」。物凄い基地被害である。

 大田氏は、「沖縄は、敗戦後65年経った今も、まるでアメリカの領土か占領地のように扱われていて、いかなる意味でも主権国家の一部とはみなされていないのだ」とし、沖縄がこうした事態に陥っているのは「多くの場合、『日米両政府の合作』の産物にほかならない。そして自らの政府の施策に目をつぶっている日米両国民がもたらしたものだ」と指弾している。ここには、高橋教授の指摘する「犠牲のシステム」とも通底して、我われが心にし、応えていかなくてはなら問題が提起されている。大田氏が知事時代の1996年1月、沖縄県は2015年までに沖縄の米軍基地を段階的に返還させる「基地返還アクションプログラム」を発表した。そこに謳われた「基地のない平和な沖縄」を創ることこそ、我われに課せられていることである。

 しかし、沖縄では、「基地のない平和な沖縄」を求める多くの沖縄県民の願いに反することばかりが起きている。米国は、海兵隊の新型輸送機オスプレイ(MV22)を今年10月から配備する計画を発表した。オスプレイは、開発段階から何度も墜落事故を起こしている危険な航空機である。それを「世界一危険な飛行場」である普天間基地に配備するのである。日本政府は、この計画に同意し、沖縄県や関係自治体に正式に伝達したが、日本の防衛省は、1996年から、オスプレイ配備計画の「隠蔽」を米軍側に求めていたことも明らかになった。「沖縄の負担軽減に努める」とは一体、誰の言葉なのか。「日米両政府の合作」による沖縄への犠牲の押しつけをこれ以上許してはならない。


松元剛・琉球新報記者が発信した「沖縄への構造的差別」と「日米地位協定改正」

 3月31日、「伊達判決を活かす会」の主催で「日米地位協定を問う」シンポジュームが東京で開催され、松元剛・琉球新報記者(政治部長)が基調報告を行なった。琉球新報は、昨年11月28日、「犯す前に“犯しますよ”と言いますか」との女性蔑視の暴言を吐いて更迭された田中聡・沖縄防衛局長のオフレコ発言の報道に踏み切った良識ある新聞である。松元氏は、この田中発言の布線には、「沖縄はゆすりの名人」としたケビン・メア米国務省日本部長(更迭)の発言や、「抑止力は方便」とした鳩山発言やなど、2011年に相次いだ沖縄蔑視発言や官僚支配の病弊を浮き彫りにした発言があると指摘した。そして、「これまで沖縄の現状は、本土との不平等・不公平という視点から語られたが、今のキーワードは沖縄への『構造的差別』という言葉になっている」とした。沖縄の思いを発露する痛烈な言葉である。

 沖縄の米軍基地をなくすために何をすべきか。松元氏が強調した一つが「日米地位協定」の改定であった。地位協定は、「日米安保条約に基づき、在日米軍の法的地位を定める。施設区域の提供、適用、米国人の地位を定める」ものだが、夜間の飛行制限が行われないことや、米軍は基地返還の際に環境汚染の原状回復の義務を負わないなど、米軍の特権に満ち満ち、沖縄をはじめ日本国民の人権・生活を侵害している。シンポジュームでは、「在日米軍基地の撤去のためには、米軍(米兵)の居心地を悪くすることが必要で、それは地位協定の改正に行き着く」との発言もあったが、事実、タイでは、米軍基地を縮小する際、残った米兵に特権を与えないとしたら、全ての基地が撤去されたという。沖縄の米軍基地撤去の闘いにおいて、地位協定改正は重要な課題となっている。

 「復帰40年」の年にあたり、「基地のない平和な沖縄」を!と改めて訴えたい。