「進歩と改革」No.722号    --2012年2月号--


■主張 2012年、野田政権へ対抗し脱原発社会の実現を!


  
  福島第一原発の冷温停止を誇る野田首相の「年頭所感」

 2012年、日本は3・11東日本大震災で大きな打撃に見舞われた。大震災による死者・行方不明者が2万人近くに達する戦後最悪の自然災害であった。避難者は、現在でも33万人を超えている。その後に引き起こされた福島第一原発事故被害も甚大であり、今でも放射線被曝は拡大し、除染、ガレキの処理、避難者の帰宅など先の見通せない多くの問題に直面している。新しい年に、震災復興、原発事故収束・脱原発社会実現・自然エネルギーへの転換が問われている。

 しかし、野田首相は昨年12月16日、福島第一原発の「原子炉が冷温停止状態に達し、発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と宣言した。「専門家による緻密な検証作業を経まして、安定して冷却水が循環し、原子炉の底の部分と格納容器内の温度が100度以下に保たれており、万一何らかのトラブルが生じても、敷地外の放射線量が十分低く保たれるといった点が、技術的に確認がされた」というものである。これは、福島第一原発事故を過小に見積もり、原発再稼働へ布石を打つ野田政権の醜い企みである。

 「冷温停止」については、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、次のように発言している。「冷温停止というのは圧力容器が健全の形でその中に水を蓄えられて、その中に炉心というものがまだ存在しているということを前提にして圧力容器の温度が100℃を下がるか上がるかというそういうことを議論しているわけで、そもそも炉心が溶けてしまって圧力容器の外に出てしまっているという状態であれば、そこの温度をいくら測ったところで意味のないこと」「これから問題なのは落っこちてしまった炉心が一体どこにあるのか、それをどうやって閉じ込めることができるかというそういう議論こそ本当はしなくてはいけません」。小出氏が指摘するのは、「地震に襲われていますのでそこら中で割れが生じているはずです。地下に流れ出して汚染を広げて海にも多分流れ出ているんだと私は思います。一刻も早く地下に遮水壁、あるいはバリアバウンダリーというものを作るべきだ」ということである。

 こうした指摘にも関わらず、野田首相は1月1日の「年頭所感」において、この冷温停止状態達成を誇り、「震災復興と福島再生は、これから大きくスピードアップさせ」、今年を「日本再生に歩み始める最初の年」と位置づけた。原発事故はすでに収束したとの認識である。原発震災を反省し、菅政権の「脱原発依存社会」を推し進めるのではなく、それをボロ雑巾のように投げ捨て、逆に原発再稼働、さらに原発輸出へピッチを上げているのが野田政権である。これで「希望と誇りのある国・日本」(年頭所感)が実現できるのか。脱原発宣言こそが希望と誇りであり、野田首相は、年頭にあたり省みるべきであった。


現場の切迫感を伝える東電「中間報告」

 ここで紹介しておきたいのは、昨年12月2日、東京電力自身が公表した「福島原子力事故調査報告書」(中間報告)である。この東電による中間報告は、「原発事故 大津波が原因」と報道されたように、地震による事故を否定し、また津波対策の責任を否定するなど多くの疑問・不信が突き付けられている代物である。同時に本編とは別に記載された別冊資料には、原発過酷事故発生後の現場の切迫感が伝わってくる。何点かを紹介する。
・操作員が「海水が流れ込んでいる」と、中央制御室に大声で叫びながら戻ってきて、津波の襲来を知った。
・電源を失って、何も出来なくなったと感じた。他の運転員は、不安そうだった。「操作もできず、手も足も 出ないので、我々がここにいる意味があるのか」と紛糾した。自分がここに残ってくれを頭を下げ、了解を得た。
・ベント作業が、電源を喪失したことから、手動で弁の開放作業をせざるを得なかった。しかし、現場での開 放作業では、高線量被ばくの恐れがあり、ベントに行ける人間を書き出して、党直長をそれぞれ割り振るよう に編成した。完全装備とはいえ、放射線量が高い中を行かせるので、若い人には行かせたくなかった。
・ベントの開放のため、現場に出かけた。トーラスに近づいた際、ボコッ、ボコッという大きく、不気味な音 が聞こえた。弁が一番上の物であったので、トーラス部分に足をかけ作業をしようとしたら、黒い長靴がズルッ と溶けた。
・相当大きい余震があり、全面マスク着用のまま死に物狂いで、高台に走っていかざるを得ないことも多かった。
・通常であれば、ケーブルの敷設作業は、1、2ケ月を要するが、数時間でやり遂げた。また、暗闇の中、敷設のための貫通部を見つけたり、端末処理を行う必要もあり。水たまりの中での作業で、感電の恐怖すらあった。

 「黒い長靴がズルッと溶けた」「感電の恐怖すらあった」と関係者が発言している。これらはほんの一部であろう。福島第一原発の吉田前所長(11月末に病気で交代)は、「事故直後の1週間は死ぬだろうと思ったことが数度あった。何度も地獄を見た」とインタビューに答えている(1月号、浅野健一「東電原発『事件』大大本営発表報道の問題点」)。こうした原発事故の深刻さを考えるにつけ、野田首相の原発再稼働・原発輸出政策には怒りを禁じ得ない。12月26日には、政府の「東京電力福島原子力発電所のおける事故調査・検証委員会〔畑村委員長〕」の中間報告も発表された。今春には、いま動いている原発も定期検査で止まり、全機停止が避けられない状況にある。新潟県の泉田裕彦知事は、定期検査などのため3月中に全七基が停止する東京電力柏崎刈羽原発について、その再稼働は「福島第一原発事故の検証が先だ」と述べている。地震が事故原因となれば再稼働などできない。野田首相には、「冷温停止状態宣言」などで誤魔化さず、しっかりと検証をしてもらいたいものだし、市民の監視を強めなければならない。


今改めて「1000万人署名」へ全力を

 新しい年に求められるのは脱原発社会実現にむけた市民共同の力の強化である。運動的には、言うまでもなく「さようなら原発1000万人アクション」としての1000万人署名の達成である。しかし、今月号掲載のアクション事務局の鈴木智氏の報告では「300万人に迫る」という現状にある。これを残された期間、全力で進めたい。特に原水禁国民会議に結集する労組・団体、全国の平和フォーラムの地域的な運動展開が強く求められている。脱原発運動の当面の環である1000万人署名に集中しようではないか。