「進歩と改革」No.718号    --2011年10月号--


■主張 菅内閣の退陣と野田新政権のスタート


  
1年半で幕を閉じた菅政権

 政権発足から1年3カ月、菅直人内閣が退陣した。2010年6月、「政治とカネ」「沖縄普天間問題」で退陣した鳩山内閣をうけて誕生したのが菅政権であった。菅首相の政策は、「強い経済、強い財政、強い社会保障」であったが、「強い財政」論が突出し、2010年7月の参議院選挙で消費税増税を打ち出し大敗。9月代表選では、対抗馬の小沢一郎氏を僅差で破り、その後、「小沢処分」に踏み切った。外交的には、尖閣諸島での中国漁船衝突問題で前原外相(当時)らの強硬策を押さえられず対中関係を悪化させ、沖縄基地問題では、日米合意による普天間飛行場の辺野古移転に固執し、県外移転を求める沖縄県民の声と心に応える姿勢を示さなかった。3・11東日本大震災への対応策に批判が高まり、最後は集団バッシングともいえる状況下で政権の幕を閉じることとなった。

 菅政権発足当初は、「市民派リベラル」としての菅首相への支持があり、「市民自治の政治」実現への期待もあった。最初は70%に近い支持率で、鳩山内閣末期からV字回復をなしとげたが、最後は10%台の支持率で終わった。菅政権を直撃したのは、参院選敗北の結果生じた衆参ねじれ国会である。与野党「熟議の政治」を実現できず、また衆議院再可決へ社民党などの支持を得るための政策転換もできず、民主党内での小沢グループとの対立も激化し、政策推進力を失った。しかし、そうした中にあっても、浜岡原発の稼働中止などの原発事故対応には、菅氏の市民派リベラルな姿勢が発揮されたことも事実であろう。もちろん、菅氏の「将来は原発がなくてもきちんとやっていく社会を実現する」という「脱原発」発言も、最後は個人的見解とされ失望をかった。また、マスコミは、菅首相の原発対応を「拙速な手法」「場当り対策」として批判しているが、しかし、菅氏が首相の座にいなければ、ここまでの決定はできなかったのではないか。菅首相は、政権の最終最後になって、凍結していた朝鮮学校への高校授業料無償化適用手続きの再開を高木文部科学相に指示し、文科省はその手続きに入った。もともとは菅内閣で決定した失策であったが、これが「解除」にむかったのは良かった。せめてもの救いであり、菅氏にとっては市民派リベラルとしての矜持であったろうか。


民主党代表選で、野田氏が逆転勝利

 菅首相の辞任表明をうけて、8月29日、民主党代表選挙が実施された。今回の代表選は、国会議員だけの内向けの選挙であった。立候補したのは、前原誠司、馬淵澄夫、海江田万里、野田佳彦、鹿野道彦の五氏(届出順)。主要な候補とされた野田、海江田、前原氏について、社民党の福島みずほ党首が、野田財務相を「財務省の言いなり」、海江田経済産業相を「経産省の言いなり」、前原前外相を「防衛相と外務省、米国の言いなり」と批判したが、まさにその指摘通りの顔ぶれであった。付け加えれば、その後、海江田氏は菅内閣の経産相として進めたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を「これまで必要性を感じていたが、代表選出馬をきっかけに慎重に対応する」と修正し、党内最大勢力の小沢グループの主張に同調して、その候補となった。前原・野田氏は反小沢非小沢の姿勢で、野田氏の主張は、民主・自民・公明の「3党合意」(子ども手当、高速道路無料化、高校授業料無償化、農業戸別所得保障制度の見直しなど)尊重=民主党マニフェスト修正、さらに「大連立」推進、増税による財政再建路線を主張することで際立った。財務省組織内候補とされるゆえんである。鹿野氏はTPPに反対する農水族を代表した。 

 結果は、第1回投票で海江田143票、野田102票、前原74票、鹿野52票、馬淵24票であった。いずれも投票総数395票の過半数を獲得できず、決選投票に持ち込まれたが、野田、前原、鹿野の2位、3位、4位連合が成立し、野田215票、海江田177票の逆転で、野田氏が民主党新代表に就任した。TPP反対の鹿野陣営が同じ姿勢の海江田氏に同調しなかったのは、第1回投票で決着をつけようとした小沢氏の鹿野陣営への強引な切り崩しが反発をかったと報道されている。海江田陣営には、「第1回投票であと10数票の差がつけば、決選投票の結果は違った」との総括もあるようだが、そうならなかったのは、「小沢傀儡」とされた海江田氏が独自性を示すために行った「3党合意見直し」発言が、衆参ねじれの中での国会運営を心配する中間派の離反を招いたからだとされている。今一つ、これは報道されていないが原発政策である。海江田氏は、これまでの原発推進姿勢をこれまた転換し、「原則、新規建設は凍結し、40年以下に原発ゼロをめざす」と公約した。40年は長いが、一応は「原発ゼロ」である。これに電力資本と結託する旧民社党系議員が反発し、海江田陣営に合流しなかったとされる。

 投票に先立つ政見演説で、野田氏は「ドジョウが金魚の真似をしても仕方ない≠ニいう言葉が好きだ。ドジョウだが、ドジョウらしく泥臭く、汗をかいて政治を前進させる」と演説し、これも中間派への支持を広げたとされ、選挙後もマスコミで評判になっている。安来節の「ドジョウすくい」にもあるように、ドジョウはすくわれるものとばかり思っていたが、ドジョウが民主党をすくいとることとなった。しかし、これは選挙の一面でしかない。野田勝利の根底にある要因は、やはり民主党内にある小沢支配復活への反発であろう。確かに、世論調査をみても小沢氏への国民的批判は強い。そこから「国民の信頼が第一」(岡田幹事長、当時)と主張され、民主党内の反小沢感情が、候補者のなかで最も強硬な増税・原発擁護路線をとる野田氏を選択する結果となった。これは「国民の生活が第一」との民主党の基本理念とそこへの国民の期待に背くものであり、皮肉なことである。


原発擁護、改憲・A級戦犯擁護のタカ派保守主義者

 野田氏には、「わが政権構想―今こそ中庸の政治を」という文章がある(『文藝芸春秋』9月号)。この中では、東日本大震災からの復興とともに、直面する危機として@国内産業の空洞化、A電力・エネルギー問題、B財政の三つが挙げられている。電力・エネルギー問題では、「日本の電力不足は日に日に悪化する懸念があり」「厳しい現実を直視すれば、安全性を徹底的に検証した原発について、当面は再稼動に向けて努力することが最善の策」とし、日本の原発輸出についても「短兵急の原発輸出を止めるべきではない」としている。原発擁護の姿勢は明確である。8月29日、政府は東京電力や東北電力に義務付けていた電力使用制限(節電)を解除する方針を決めた。理由は、電力が余っているからである。これを、「日に日に悪化する電力不足」を心配する野田氏はどう考えるのであろうか。

 野田氏が憲法改正に賛成していることは、2009年総選挙に際して行われた候補者アンケート(朝日新聞・東大調査)で裏づけられている。また、野田氏は「『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」としている。これは靖国派の言辞であり、タカ派保守主義者のものである。アジア諸国から批判の声が挙がっている。


日本財界に熱烈歓迎される野田新政権

 8月30日、野田氏は、国会で第95代首相に指名された。財務省組織内候補から財務省傀儡政権への昇格であり、初の松下政経塾出身の首相でもある。菅内閣は、結局は松下政経塾政権への橋渡しでしかなかった。 この野田首相を財界が熱烈に歓迎している。日本経団連の米倉弘昌会長は「税制、財政、社会保障はじめ、政策に通じた、明るい、非常に安定した、行動力のある政治的リーダとかねてから思っていた」「野田大臣が新代表につかれたということは非常に心強い」と称賛し、、また、「(菅首相とは)首の上の質が違う」と発言した。財界トップが、これほどあからさまに退任する首相を批判したことはなかったのではないか。菅氏は、原発問題で「浜岡原発停止以降、政権への包囲が強まった」との発言したというが、米倉発言には、こうした現実も反映しているのであろう。米倉氏は、代表選前から「次期総理には、野田氏か仙谷氏がふさわしい」としてきた。これは「大連立」への期待である。

 また、経済同友会の長谷川閑央代表幹事は、「TPPは11月にハワイで開かれるアジア太平洋経済協力会議までに交渉参加の意思を表明するのが望ましい」「野田氏は五人の候補の中でただ一人財政再建を進める姿勢が鮮明だった。この姿勢を続けてほしい」「電力不足への対応では、ストレステスト(耐震検査)などで安全性を確かめたうえで、原子力発電所を再開していくことが通れない」としている。TPP参加、消費税を含む大増税と財政再建、原発稼働、そして「大連立」が野田首相に突き付けられている。野田首相は、代表選後の記者会見で、「(普天間飛行場を辺野古へ移転する日米合意について)合意を踏まえ、菅政権の政策は継承していきたい」と明言している。「米官財一体」とは植草一秀氏の造語だが、この米官財が一体で支援しているのが、野田首相と新政権ではないか。一見庶民的なドジョウ発言にごまかされず、その政策展開に警戒が必要である。