「進歩と改革」No.717号    --2011年9月号--


■主張 狭山事件の再審を実現しよう!


  
無実の石川一雄さんが逮捕され約半世紀、いまだに晴れない冤罪

 「水戸黄門」などに出演し、名脇役として知られる俳優の入川保則さんが『そのときは、笑ってさよなら』(株式会社ワニブックス刊)という本を出版されている。副題に「俳優・入川保則 余命半年の生き方」とあるように、入川さんは、今年1月、医師によって直腸がんのため8月までの命と告げられたが、延命治療を拒否した。壮絶な闘病生活をしたジャーナリスト・筑紫哲也氏と自らを比べ、「筑紫さんはチェ・ゲバラのような人。僕はガンジーの無抵抗主義で行きます」という入川さんの「死を怖れない」独自の死生観を綴ったのがこの本である。

 入川さんは、狭山事件をテーマにした映画『造花の判決』(梅津明治郎監督、1976年製作)の主演男優である。本の中にも、「映画『造花の判決』も、僕には忘れがたいものです。いわゆる狭山事件を扱った作品ですが、僕は主演をやらせて頂いた。このとき、公判調書を半年かけて勉強したことで、その後も『狭山1000万人署名運動』の呼びかけ人として活動させてもらいました。もうあの映画から35年が経とうとしていますが、今でも何かにつけ声を掛けてくださいます」「自分の余命に未練はない僕ではありますが、狭山裁判だけは解決を見てから死にたかったな・・・・・」とある。この間、狭山の闘いに連帯し、いま狭山事件の再審実現・石川一雄さんの無罪確定に期待する入川さんの熱い思いが綴られている。

 狭山事件は、1963年5月、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、自宅に脅迫状が届けられ、警察が犯人逮捕に失敗した後、殺害された死体が発見された事件である。別件逮捕され犯人にでっち上げられた石川一雄さんは1カ月にわたって無実を訴え続けたが、連日、自白を迫る取調官の「認めれば10年で出してやる」といった偽計、「兄を逮捕する」といった脅迫や誘導によってウソの自白をしてしまった。64年3月、第1審の浦和地裁で死刑判決、その後、警察に騙されたことに気づいた石川さんは、東京高裁での第2審第1回公判で無実を訴えたが、74年10月、寺尾正二裁判長は無期懲役判決を下した。

 2審判決後、弁護団は新証拠をあげて上告したが、77年8月9日、最高裁は上告を棄却。その結果、無期懲役が確定し、石川さんは千葉刑務所に入所した。部落差別の中で文字を奪われていた石川さんは、東京拘置所で文字を習得し、獄中から無実を訴え続け、94年12月21日に仮出獄、故郷・狭山の地に戻った。24歳で別件逮捕されて以来、実に31年7カ月ぶりのことであった。仮出獄から今年は17年を迎える。石川さんの別件逮捕からは47年、半世紀近くが経とうとしている。司法検察警察権力が強いる何という過酷さであろうか。


「吹き抜ける風の如くはいかねども、やっと見えたる再審の道」

 石川一雄さん(そして早智子夫人)と弁護団は、いま第3次再審を闘っている。その闘いに、新たな動きが生まれてきた。「いままで、裁判所から冷たくあしらわれつづけてきた『狭山事件』にも、ようやく陽の光が当たるのを感じられるようになった。2009年8月、定年退官を翌年に控えた東京高裁の門野博裁判長は、面会した弁護団(中山武敏弁護人)にたいして、9月に裁判官、弁護団、検察官による『3者協議』をひらく、と発言した。これは今後の審理のすすめ方について、弁護団からの意見も聞く、というもので、いままで凍結されていたかのようにまったく動くことのなかった狭山裁判に、遠い春の雪解けをもたらすものだった。・・・最高裁に上告、棄却され、高裁に第2次再審請求、それも最高裁で棄却された。2006年、高裁への3度目の再審請求となっているのだが、この36年ものあいだ、一度の事実調べもなく、一度の鑑定人訊問もなく、木で鼻を括るように『棄却』が繰り返され、門戸は堅く閉ざされてきた。だから、3者協議の開始は高裁判決36年目にして、ようやく手にした朗報であった」(鎌田慧『狭山事件の真実』、岩波現代文庫、二〇一〇年刊)

 こうして3者協議が開始された。昨年5月13日に開催あれた第3回3者協議では、門野裁判長の東京高検への勧告(第2回)に基づき、代わった岡田裁判長の下で36点の証拠が新たに開示された。証拠開示により石川さんの逮捕当日の上申書が47年ぶりに明らかになったが、その筆跡は脅迫状のものと明らかに異なっており、決定的な無実の証拠であった。しかし、この開示証拠に基づく筆跡鑑定について鑑定人訊問の事実調べは行われておらず、なお開示されない証拠が多い。

 いま弁護団は、死体を埋めるために使われたスコップに石川さんの指紋はなかったことを明らかにする「スコップ指紋の検査報告書」、「犯行現場」とされた「雑木林のルミノール反応検査の血痕検査および結果に関する書類」、「犯行時間」と同じ時間帯に「犯行現場」のすぐ隣で農作業をしていたが「悲鳴は聞かなかった」「何も見なかった」と証言している「Oさんの証人尋問」など七項目の証拠開示・事実調べを要求している。これらは、石川さんの自白が真実かどうかを検討する重要な証拠であり、実現すれば、石川さんの無実はたちどころに証明されることとなる。それ故にであろう、東京高検は依然として証拠開示を拒んでいる。東京高裁はより徹底した開示勧告を行うべきであるし、この壁を突き崩す力が求められている。

 「吹き抜ける風の如くはいかねども、やっと見えたる再審への道」。石川さんが今夏に詠んだ短歌である。「やっと見えた再審への道」を確実なものとしたい。


7・12狭山事件の再審を求める市民集会―足利、布川につづけ!

 7月12日、「狭山事件の再審を求める市民集会」が総評会館で開催され、会場に溢れる400名の参加者が集った。集会には、入川保則さんも参加され、「かならず、私の微微たる力でも石川さんを立派に無実であると立証させたい。そう願っている。それまで私は死にません」と特別アピールした。この日は足利、布川事件の再審で無罪となった菅家利和さんや桜井昌司さん、そして袴田事件の袴田巖さんの姉の袴田ひで子さんも連帯に駆けつけた。桜井さんは、「勝利できたのは検察官が隠し持っていた証拠がでてきたことが大きい。検察官が税金で集めた証拠を独り占めしている制度が、そのそも間違っている」と発言した。布川事件でも、再審請求でずっと隠されてきた証拠が裁判所の勧告でようやく検察官から開示され、無実を示す新証拠が発見され、再審開始の理由となった。証拠開示・事実調べが狭山再審実現のカギであり、集会では取り調べの可視化・証拠開示の法制化を求める請願署名(年内に100万人)の開始を確認した。石川一雄さん、早智子さんも力強く決意を披瀝し、一層の支援を訴えた。石川さんの「(不当逮捕以来)半世紀(が経過する)までに、無罪を確定したいと」との決意、桜井さんの「石川さんを勝たせたい。そして石川さんに涙を流させたい」との思いに連帯しよう。