「進歩と改革」No.714号    --2011年6月号--


■主張 統一自治体選挙を終えて


  
東日本大震災・福島第一原発事故のなかで

 被災地を除く統一自治体選の前半戦が4月10日、後半戦は4月24日に投票された。民主党政権に変わって初の統一自治体選挙であり、しかも3月11日に起きた東日本大震災と福島第一原発事故という大惨事の中での選挙であった。

 知事選は12都道府県で行われたが、そのうち現職候補9人はすべて当選した。地震・津波・原発事故という悲惨な事態を前に、国民意識が「守る」「現状維持」「保守」へと傾斜したのではないか。民主党と自民党公明党の対決となったのは北海道、東京、三重の3道府県で、いずれも自公が推薦支持する候補が勝利した。東京は菅首相の地元であり、三重は民主党・岡田幹事長の地元である。民主党の敗北を象徴するものであるが、東京では民主党の独自候補すら擁立できず、やむなく都議会民主党が新人候補の応援に回ったものの、勝負にならなかった。不戦敗に近い。この間の菅政権の「国民の生活が第一」路線からの離脱、政局運営の混迷への国民的不信に加え、東日本大震災・原発事故への対応の拙さが民主党への批判に輪をかけ、首都決戦の体制を築けなかったのであろう。投票率は、平均して52・77%で、戦後最低を記録したところが5つもあった。

 道府県議員選の各党獲得議席は、民主党346、自民党1119、公明党171、共産党80、社民党30、みんなの党41などであった。特徴的なことは、民主党が前回当選者数335名から少し増やしたものの、改選前からは議席を減らし、公認立候補者の約6割の当選に止まったことである。立候補者数も当初目標に遠く及ばなかった。これは、政権政党として、地方政治に基盤を築くことができなかったことを意味する。次に、自民党、公明党、共産党、社民党もそれぞれ議席を減らしたことである。社民党は、香川、大分などで健闘したが、前回当選者数44人から後退した(社民党の談話によると、公認・推薦を合わた当選者は61名となる)。既成政党が議席を減らすなかで、とりわけ注目を浴びたのが橋下大阪府知事の「大阪維新の会」の躍進である。今月号には、大阪からの選挙レポートをいただいているが、大阪府議会で「大阪維新の会」は単独過半数を獲得した。民主党や自民党が新しい社会像を打ち出せないなか、橋下府知事の「大阪都構想」は内容はともなく、メディア戦略も相まって強烈なメッセージとなったのであろう。


大きく励まされた保坂展人氏の世田谷区長当選

 社民党は、後半戦では、一般市区議選へ公認・推薦231名が立候補し183人が当選、町村議選へは公認・推薦23名が立候補して22人が当選した。もともと立候補者が少ないなかでのこの結果は、前半戦に続き、かなり厳しいものであろう。社民党にとっては、党員・支持者の高齢化がより一層際立った困難な選挙戦ではなかったか。今回、福島第一原発の事故と放射能の拡散は、俄然、原発問題を自治体選の争点として押し上げた。その結果、原発を抱える鹿児島県の薩摩川内市区(定数3)では、脱原発を訴える社民党推薦候補が、自民党の議席独占を阻止した。また新潟県議選の柏崎・刈羽郡選挙区では、反原発を掲げた武本和幸さんが告示当日に敢然と立候補を決断し、自民党現職に僅差まで迫るという結果となった。大きな変化である。しかし他方で、東京では、原発反対自治体議員連盟の現職リーダー(社民党推薦)が惜敗するなど、残念な結果も残った。ここには原発問題への認識における地域差が示されている。社民党の候補は、「脱原発政党・社民党」を強調したが、その訴えにはこうした現実も踏まえることが必要であろう。

 後半戦で特筆すべきは、東京の世田谷区長選で社民党元衆院議員・保坂展人氏が当選したことである。保坂氏は、告示直前に立候補を決意し、自民党候補が2人に分裂し、民主党・共産党候補も立候補した多数激戦を制した。東日本大震災は、地方自治のあり方を問うているが、それを真っ向から受け止めたのが保坂氏の闘いである。保坂氏によると、きっかけとなったのが原発被害に合った南相馬市の訪問であり、支援の行動を通して「緊急時に首長の覚悟と判断で自治体の力にはっきりした差が出てくること」を痛感したという。その真剣な思いと「原発依存から自然再生エネルギーへ」「心ある被災地支援を徹底しよう」「区民参加の世田谷をつくろう」との主張が支持を得た。保坂氏が得た世田谷区民の共感を汲み取り、社民党共通の教訓へと転じたい。