「進歩と改革」No.692号    --2009年8月号--


■主張 64年目の夏に


核実験の翌日に「敵基地攻撃力整備」論

 今年の8月15日は日本がアジア・太平洋戦争に負けて、64年目となる。6月23日は沖縄戦の最後の激戦地となった糸満市で、式典が行われ、不戦の誓いが鮮明にされた。8月6日はヒロシマ、9日はナガサキで、原爆被爆の式典と核廃絶を求める集会が、アピールが行われる。

 今年は5月25日に朝鮮の核実験もあり、これに対し、日本では翌26日の自民党国防部会小委員会の提言素案には「憲法改正」「集団的自衛権の憲法解釈変更」「敵基地攻撃能力の整備」「武器輸出三原則の見直し」「中小零細の防衛産業への補助金」などが並んだ(同27日付日経)。朝鮮への制裁強化論と並んで、排外的、好戦的な発言が一斉に噴出している。敵(朝鮮)基地攻撃能力を整備するということは、文字通り戦争の用意をするということである。

 もちろん本誌はいかなる国の核実験にも反対であり、朝鮮にも抗議するが、これを機会に日本国内で排外的、好戦的な発言が強まることには強い警戒の念と反対を表明せざるをえない。

 敗戦直後には、日本の侵略戦争を反省し、平和国家、文化国家建設を政府も、政党も、マスコミも、あらゆる言論がうたい上げた。戦後64年経って、いまこの国の論壇は大きく様変わりしているようだ。あの悲惨な体験をした世代があるいは死し、あるいは高齢化して、世代が代るだけで、政治も論壇も様変わりしてしまうのであろうか。


戦争の被害を受けるのは女性、子ども、障害者、実態は深刻になるばかり

 戦争の悲惨さは時代が変わっても、一つも変わらないどころか、ますます深刻になっている。アメリカのイラン侵略も、イスラエルのガザ侵攻も伝えられる実態は悲惨そのものである。「対テロ戦争」を叫ぶアメリカの兵士の死亡は一人ひとり数えられるが、イラクでも、ガザでも、現地民の特に非戦闘員の死亡数は数えられない。数え切れないのだ。南京大虐殺はウソだという主張がなされている。女性、子どもを含む30万人が殺されたというが、誇大な数字だという。しかし、数えられないほどの人を殺して、数が信用できないからウソだと言えるだろうか。「日本の軍隊がそんなことをするはずがない」という史実を無視する言い方から「戦争だから仕方がない」という言い方まである。しかし戦争末期に中国東北部に入ったソ連軍兵士の日本女性に対する暴行には「戦争だから仕方がない」とは言わないだろう。逆にソ連の蛮行を忘れるなと憎しみをかきたててきたはずだ。

 中西輝政京大教授は雑誌(『文藝春秋』04年5月号)で日露戦争を「今日の日本を築いた栄光の戦い」であったとし、戦後60年を経て、「昭和の大戦」の評価もそのように正されつつあるとの認識を示した。ここにあるのは、戦争を評価するのに、国家の栄光という観点で、不幸にして戦争に際会した個人の運命に対する思いはない。特に、非戦闘員、女性、子ども、障害者など非業の死への思いはない。戦死者を英霊として靖国神社に祀ることで足るとの考えであろう。あそこには祀ってほしくなかったという遺族もいる。だが、神として一度祀ったら取り消しはできないという非常に硬直した考えで、個人の思いは無視されるし、戦死者として崇められるより、うちのお父さんには生きて帰ってほしかったという思いを抱く遺族はほとんどのはずだ。「国家の栄光」のためには、個人の犠牲は耐え忍ぶべきだ、敵は殺しても当然だ、仕方がないという考えと、兵士も、非戦闘員も、他国の兵士も、非戦闘員も個人個人の命を重く考え、個人の生活を侵すべきではないとする考えの対立が戦争の肯定と否定につながる。個人の痛みを感じるより、国家の栄光を考える人が戦争を肯定する。


平和憲法のおかげで戦争はなかった、だが一貫してアメリカの戦争に協力してきた

 戦後64年、平和憲法の下で、日本は戦争をしてこなかったと言う。国として表向きはそうだろう。しかし、戦争には協力してきた。朝鮮戦争で、ベトナム戦争で、中東での戦争で、米軍は沖縄をはじめ税日米軍基地から戦場へ向かっていった。中曽根元首相ではないが、日本はアメリカの「不沈空母」の役割を果たしたのだ。沖縄の人はそのことを目で見て、肌で感じて、知っている。沖縄から出てゆく米軍を、戦塵にまみれて帰ってきた米軍の車両を、死の恐怖を忘れようと、薬や歓楽に耽る米兵の姿を生々しく見てきたのだ。しかし、本土の多くの人は、忘れたり、気がつかずにいる。その隙を突いて、「敵基地攻撃」論や、集団自衛権行使、憲法改正論が出てきている。

 ブッシュ政権のアメリカでは、貧富の差の拡大の下で、軍隊に行くしかパンが得られない。学費を手にできない若者を狙って軍の入隊の勧誘が行われている。堤未果氏の『ルポ・貧困大国アメリカ』がその一端を明らかにしている。いま底の見えない不況が世界を覆っている。1929年の世界大恐慌は一方にニューディール政策を生み出したが、もう一方に日独伊のファシズム、軍国主義を生みだした。不況と戦争のつながりを考えるとき、われわれは不況の深刻化をただ経済の問題とだけ考えることはできない。


「はだしのゲン」がオバマ演説を評価する

 マンガ「はだしのゲン」の作者、中沢啓治氏が朝日新聞で語っている。「原爆に遭った」と口にしたとき、漫画家仲間が見せた目つきが忘れられない。「そばに近寄りたくない」と無言で語っていた、と。「米国には恨みがある」という中沢氏がオバマ米大統領のプラハ演説は何回も読み直し、この大統領は違うと思った、と。「世界の核保有国がすぐに核兵器を手放すとまで僕は楽観していない。ただオバマさんと同じ考えを持つ人が少しずつでも増えてほしい」「日本の現状も心配だ。・・・政治家が『先制攻撃すべきだ』とあおるのは危ない」t。

 オバマ大統領が4月5日のプラハ演説は「核を使用した唯一の国としての道義的責任」にふれ、「核のない平和で安全な世界をアメリカが追求していく」と明確に宣言した。中沢氏が言うように現実には簡単に進まないとしても、世界最大の核保有国アメリカが率先して、核軍縮、核攻撃へ具体的一歩を踏み出さなければ、朝鮮の核問題も解決の方向に進まないだろう。

 日本の言論は、そのことに触れず、ただ一方的に朝鮮の核放棄と、制裁・圧力の強化を合唱している。制裁と圧力では解決しない。朝鮮と交渉すべきだという識者の声も増え始めたが、政府の態度にも、メディアの主張にもなりえていない。「身の安全を自力で守ることができないのであれば、ケンカの強い者と仲良くするというの、子どもでも知っている生活の知恵」だと麻生首相は言ったが(「とてつもない日本」)こんなことを言って、アメリカの尻馬にのったつもりでいても、今号の河辺一郎氏の「核実験と日米の認識のズレ」に見るようにブッシュ時代からずれている。朝鮮からみれば、バカにされるだけであろう。せいぜい子どもの論理で大人の言葉になりえていないのだ。


民主党岡田幹事長の「東北アジア非核兵器地帯構想」と土井ドクトリン

 同じ今号で、山崎一三氏が戦後64年の総括を試みているが、ドイツと日本の政治家の比較をされている。ドイツの政治家たちは、ナチスの犯した罪の反省を行為にあらわしたが、日本では村山元首相が就任時、8月15日の談話だけでなく、中国や東南アジア諸国を歴訪して、日本軍の犠牲になった人々の記念碑などに花束を捧げ、初めて日本の首相が来てくれたと言われ、南京の虐殺記念館は村山首相のパネル写真が飾られた。このような行為が有効の礎になるのに、日本の右翼は土下座外交と批判し、教科書問題でも村山政権に対する反革命として、その後の右翼化が進められた。安倍や麻生はその流れにのって出てきたのであり、この流れの克服が必要になっている。

 民主党の岡田克也幹事長は「東北アジア非核兵器地帯設置構想」を打ち出した。これは2001年にすでに社民党が土井ドクトリンとして提起した内容を基に、その後の状況を加味して出したものと言える。基本的には結構なことではないか。05年9月の6カ国協議が合意した共同声明も、朝鮮半島の非核平和を掲げたのであり、その目標を東北アジアの冷戦構造を解体する過程で実現すると規定した。日本では、朝鮮の核実験だけを6カ国共同声明違反として、制裁の対象にしようとしているが、一面的ではなく、相互の努力が必要であり、そうしなければ東北アジアに平和は実現できない。もう少し、相互の努力に向けた幅のある視野を獲得したいものである。