「進歩と改革」No.690号    --2009年6月号--


■主張 連立政権の追求と政党の比例区票



 小沢民主党代表の公設秘書起訴で、政権交代の気運はやや水を差された感がある。しかし、小泉「改革」以後の新自由主義に基づく格差拡大、社会保障制度の崩壊に対し、批判と政権交代を望む声は依然として根強いものがある。民主党は小沢代表のままで総選挙に望むのか、他の代表で態勢を組みなおすのか、社民党などとの協力関係はどのように変わるのか、変わらないのか注視の必要がある。しかし、政権交代を望む国民の声がある以上、 現野党による非自公連立政権を実現し、そこによりよい政策を盛り込んでいくことは、社民党にとって重要な課題であり、それ自体が当面の最も重要な闘いである。

 本誌は4月号主張で「自公政権に代わる連立政権の論議を」において、その趣旨を述べ、社民党にそのための論議を期待した。2月28日、社民党の第2回全国代表者会議が開かれ、この問題に関連する討議が行われた。そこで出された意見は、本誌の主張と調和するものもあったが、異なると思われる意見もかなり多かったようだ。そこで、この議論を深めるためにもう一度取り上げてみたい。

 代表者会議で出された意見で、本誌の主張と異なると思われる代表的な意見を、社民党全国連合機関紙「社会新報」3月11日付の紙面からいくつか引用してみたい。それは次のようなものだ。

 「連立の話は選挙が終わってからの話であり、選挙前に党から言い出すべきではないのはもちろん、他党からの話にも乗るべきではない。このことを明確にしてほしい。連立するのが分っているのならと、社民票が他党に流れてしまうことを危ぐする」

 「選挙前から連立参加の是非を議論はすべきではない。新聞の活字を踊らすようなことはしないでいただきたい。比例票拡大の運動に水をかけるものとなる。連立については党内合意が得られる議論のやり方を望む。また、選挙協力が必要な場合があることは理解するが、比例票拡大にはつながらないと考える。民主の小選挙区予定候補は海自ソマリア派遣や雇用問題で明確な主張をしていない。国民新党との関係も慎重な対処を」

 などである。また、連立政権に協力するとしても、せいぜい閣外協力だとする意見もあったようだ。

 3月1日付朝日新聞は、この会議を「民主との連立結論出ず 社民代表会議 反対意見相次ぐ」の見出しで伝え、記事の末尾で「これ(連立)に対し、出席した地方代表からは連立に前向きな意見も出たが、九四年に前身の社会党が自民党との連立政権で、自衛隊を合憲と認めるなど基本政策の転換に追い込まれた経験から『下手をすると、今度は党がなくなる』との指摘も出た」と伝えた。これらのことから社民党内には連立協議と総選挙を めぐって、次のような意見があると見られる。

 @、比例区票を出すためには、党の独自性を訴える必要があり、そのためには選挙前の連立協議はマイナスであり、してはならないA連立政権に加わることは、党の基本政策をまもる上で危険があり、下手をすると、党がなくなるB連立協議は行うとしても選挙後であり、連立政権を支持するとしても、せいぜい閣外協力である。

 これらの意見については、率直に言って、次のような疑問がある。その第一は、政党を選ぶ選挙においては、政党には常に独自性、他党とは区別される特徴が必要なことは当然であるが、それは選挙前に連立政権を協議すれば失われるのかということである。

 第二は、政権協議の時機は具体的な情勢によって決まるものであり、選挙の前か後かは必ずしも個々の政党の都合だけでは決められないのではないか、ということである。

 第三は、閣外協力か否かは、具体的な政権協議の結果によるのであって、最初から閣外協力と決めるのはいかがなものか、ということである。

 第四に、社民党の今日の苦境は、村山連立政権を組んだのが悪かったのか、原因は何かということである。

 これらは、一つには連立政権をどう捉えるか、二つには連立の時代と言われるなかでの、政党の独自性をどのように発揮していくかの問題である。


二大政党時代か連立時代か、連立しても失われない独自性こそ

 小選挙区制の導入以来、メディアは鳴り物入りで、二大政党の対立をあおってきた。しかし、現在の政権は自公連立政権であり、政権が変わるとすれば、やはり現野党の連立、または自民、民主にまたがる大連立と言われている。また小沢代表秘書の問題で、仮に民主党が第一党になるとしても単独の圧倒的多数はなくなったのではないかとも言われている。つまり、鳴り物入りで二大政党対立が奏でられているにも拘らず、現実は連立の時代が続いているのである。民意無視の保守再編、大連立から単一の巨大保守政党でも成立しない限り、これは変わらないと思われる。

 だとすれば、政党の独自性とは、連立の時代と両立する独自性が求められるのではないか。他党と連立しても失われない独自性とその発現である。だからこそ社民党の「社民党宣言」も改革の過程として、連立政権を肯定しているのではないか。連立協議をしたら、党の独自性が失われるというのでは、連立の時代に対応できないのではないか。時代に対応できないのでは、有権者から見捨てられていくのではないか。この問題をクリアしなけ れば、社民党は社会民主主義政党として、政権について政策を実行していく現実的役割を果たせないであろう。それでもいいと言うのであれば、革命政党の方向を追求するしかないだろう。

 連立を組んでも失われない党の独自性とは、連立のなかで、自らの政策を主張し、実現し、実行していく表現力、それを支える運動と組織力である。そのことを通じて連立政権を成功させていく党の政策、党そのものの優位性である。4月号主張で、野党共闘の「品質保証」論は連立政権の「品質保証」にも適用できるのではないか、と提起したのは、連立のなかでの党の優位性確保とそのアピールのためであった。もちろん、これはそれだけが絶対という主張ではない。もっといい表現があるかもしれない。お互いに知恵を絞ったらどうだろう。

 連立一般は否定しないが、いまの民主党は信用できない、協議の対象に値しないというかもしれない。それならば、政権交代を望む国民の声にどう応えるか、自らを野党共闘の要と位置づけ、部分的ではあれ選挙共闘も成立させてきた経過をどうするのか。協議をして、重要な政策で一致しなければ別々にやるというのもありだろうが、協議もせずにイヤだと言うのでは、説得力がないだろう。そのときは選挙協力も解消するのか。

 連立政権の重要性は、今の状況にも規定されている。この間、小泉内閣以降、新自由主義に基づいて推進されてきた規制緩和、民営化、格差拡大、社会保障政策の崩壊をきたした日本の政治に対して、ノーと言いながら、代わるべき政権を提示せず、あるいは代わるべき政権に始めから閣外でフリーハンドでいたいなどと言うのは無責任と言われても仕方ないだろう。

 幸か不幸か。小沢民主党代表の秘書逮捕で、野党間の政権協議は遅れそうだが、民主党、国民新党の間では、社民党を入れた三党で、野党共同のマニフェスト作成の協議をしようとの話になっていた。選挙前に再びこの課題が浮上したとき、連立消極派の人々は「社民党は選挙前には協議には応じられません」と言えというのであろうか。他の野党からは「社民党はやる気がない」と見られ、すでに進行している野党の選挙協力にもマイナスとなり、マスコミにも社民党は政権交代に後ろ向きと批判されたら、この人々が何より重視する比例区票にもマイナスとなるのではないか。やはり、連立の時代の認識とそのなかでの独自の役割についての認識を深める必要があるのではないか。

 いまの資本主義の危機は百年に一度の危機と言われている。にも拘らず、社民党の支持率はほとんど上がっていない。最近、僅かな上昇の数字は見られるものの、それは微小である。実際の投票となれば、得票率は若干支持率を上回るのが過去の例だが、一所懸命がんばるのは当然としても、どれだけ上回れるか。それで目標の二ケタの議席を実現できるか。党の生き残りのためには、目標実現に向けて、考えられるすべてのことをすべきでは ないか。

 社民党の代表者会議で、大分から「九ブロは小選挙区3、比例区2の5議席を目指す。自公相手に野党共闘でなければ勝てない。野党合計票で上回りつつ分裂選挙で負けた07年参院選大分選挙区の経験を繰り返すわけにはいかない。社民党の主導で民主、国民新を巻き込む状況をつくるくらいの構えが必要だ」とのべていた。

 近畿では、辻元議員は自力を基本に野党共闘も生かして小選挙区で勝つことによって、比例区で、もう一人以上の当選をかちとり、議席増を果たしたいと集会で述べている。

 もちろん選挙は蓋を開けてみるまでわからない。計算通りになる保障はないが、それなりに根拠のある言い方だ。低支持率のまま時代にフィットしない「独自性」頼みで、二ケタ当選に自信があるのか。もし今度、議席を減らすようなことがあれば、組織の弱い県から崩れ始めるのではないか。 それとも孤高を守る快感を味わいながら、新社会党の後を追うのか。ここは重要な岐路である。

 最後に、社民党が少数になった原因は、村山(連立)政権にあったのか、否か、社民党の過去に基づいて検証してみよう。

 社民党結党以来の衆議院総選挙の結果は次の通りである。上から総選挙時機、小選挙区当選者数、小選挙区得票数、同得票率、比例区当選者数、比例区得票数、同得票率、当選者合計である。
 96年10月 4 1240640 2・19 11 3547240 6・38 15
 00年 6月 4 2315234 3・80 15 5603680 9・36 19
 03年11月 1 1708671  2・9  5 3027390 5・1   6
 05年 9月 1  996007  1・5  6 3719522 5・5   7

 村山政権は94年6月6日に成立し、96年1月11日まで続いた。その後も自社さ連立政権が続き、98年5月に解消された。村山政権で社民党が批判されたなら、96年の総選挙で社民党は大きく後退するはずだが、このときは15議席を獲得している。自社さ政権が批判を受けるなら00年6月の選挙であるが、このときは19議席を得ている。それでは、03年の大後退は何があったか。それは02年9月の日朝首脳会談とそこから始まる拉致問題と03年7月の辻元清美代議士の「秘書給与詐取事件」であった。拉致問題では、土井党首の事務所の拉致家族への対応まで持ち出されてまるで拉致への共犯者のようにキャンペーンされた。辻元代議士の秘書給与では、もっと悪質な例があると言われたのに辻元代議士は公設秘書給与分で私設秘書を多くおいただけなのに辻元だけが逮捕された。辻元代議士が小泉首相を「ソーリ、ソーリ」と追及して、首相が「これからは辻元に対するガードを考えなければ」と語って間もなくであった。二つの事件はこのままでは社民党がなくならない、二大政党対立にならないという政治状況の下でおきた。社民党に責があるとすれば、いわれなき攻撃を受けた際の危機対処能力の問題であった。この問題は今後もありうるし、民主党も政権交代を前にしてやられた。連立政権に応じたのが原因というのは当らないのである。