「進歩と改革」No.675号    --2008年3月号--


■主張  世界的な金融危機、スタグフレーションに対する生活防衛の闘いを構えよう



 アメリカのサブプライムローンに始まる金融危機と原油価格の高騰は本格的な経済の破綻を予感させる段階に入りつつあるかに見える。これに対する政策的な対応があるか、探求の必要と同時に勤労者・市民の生活防衛の闘いの構えが必要になってきた。
 アメリカのサブプライム問題は、本誌でもすでに鎌倉孝夫氏の「経済診断」でとりあげてきたが、比較的低収入の人々に住宅の購買意欲をそそるために初期にはローンの金利を安くし、次第に高金利に移行させる仕組みで、さらにこのローンを担保にローンを組ませ、車、電気製品などを買わせて、人為的に需要を拡大させてきた。需要の拡大は当然、価格を上昇させるが、借金による需要は限界を超えれば破綻する。バブルが弾けると、銀行には不良債権が拡大する。これは日本でもバブル・住専問題で経験してきたところである。
 しかし、アメリカの場合、世界経済の中心であり、ケタが違うし、その影響はあまりにも大きい。アメリカは自国の債券を世界中に売りつけている。(サブプライムローンをめぐる欧米金融機関の損失額は07年12月期までに総額1250億ドル、約13兆円と報じられている。)日本の金融機関も大量に買っており、ドルが暴落すれば大変なことになるし、すでに損失が拡大している。アラブの政府系ファンドもオイルマネーを中心にアメリカに大量に投資してきた。これを背景に王族は優雅で贅沢な生活を楽しんできたが、バブルの様相に、投資先を原油、食糧など現物に変え始めた。これが原油高騰の大きな要因と見られる。
 問題はこのバブルの破裂、アメリカの金融危機が世界的にどこまで拡大するかであるが、どうやら確たる見通しは立たないというのが正直なところのようだ。もちろん当局者は不安の拡大をおそれて危機を深刻には言わないが、大衆は肌で不安を感じ始めている。
 日本のバブルのときは或る程度、不良債権の規模を把握できたが、問題が世界大となっていて先行きも未だ不透明な今回は把握も難しいようだ。ということは対策も難しいということになる。日本でやったように国家資金の一斉投入を含めた国際的協調もないとは言えないがタイミングが難しい。
 日本の場合、中国経済が順調ならば、北京オリンピックの需要を含めて、製造業はまだましかもしれないが、中国もユーロに切替え始めているとはいえ、米国債を抱え込んでいる。国内政治の場では、民主党はガソリン税などの暫定税率の撤廃を主張している。これに対し、社民党の福島党首はガソリン税などの暫定税率の撤廃には環境税の設立をセットにしなければ賛成できないと主張している。物価の高騰が始まっているなかで、ガソリンの値段を多少とも下げるのは意味がないわけではないが、(特に過疎で車依存度の高い地方では)クルマ社会を維持して石油消費を続けるよりは、環境税で資源の浪費を縮小していく方が本筋という評価がある。社民党にはこの点でもがんばってもらいたい。
 物価が一斉に上がり始めた。電気、ガスの大幅値上げが決まったし、食料品もタクシーも上がっている。(総務省発表の07年12月全国消費者物価指数は前年同月比〇・8%の上昇)その前に医療保険などの負担増が決まっている。市民の肌で感ずる物価上昇は官庁統計より深刻だ。経済危機が本格化すれば、リストラの集中豪雨の再現もありうる。こうなると、自分たちの生活は自分たちでまもるという自覚が何よりも必要だろう。今年の春季生活闘争は重要性を増してきた。


春闘は大衆運動としての構えを取り戻すべきだ

 いまの春闘は、地域への賃上げ相場の波及力がない。連合が主張しているように、非正規労働者の待遇を改善し、最低賃金額を改善して、春闘の波及効果をつくらなければならない。
 連合は政策提言など、企業の外での発言で、企業の内部にかかわることは単産自決、単産は単組まかせできたが、もうそうは言っていられないのではないか。
 最近の春闘は、特に民間大手の多くは、企業別に水面下の交渉に終始し、回答額即妥結額が常識化している。 かつての賃金闘争では、闘いの成否の7、8割は要求討論で決まると言われた。闘いの決意、スト権の確立を含めて、 職場討議を通じて組合員大衆が要求に確信を持ち、目の色が変わってくるかどうか、いまそのような職場討議をしている 民間大手労組がはたしてどれだけあるか。要求の決定から妥結まで、いまの賃金闘争は大衆運動ではないだけでなく、 幹部請負闘争ですらない。企業と労組幹部の談合でしかないと言われても仕方ない面があるのではないか。そこには組合員の 声が反映する余地はないし、リストラに次ぐリストラで辛うじて生き残った社員たちは、労働組合とは自分たちをまもる 組織だという自覚も失っているのではないか。
 リストラの集中豪雨のときは、連合はリストラに反対したが、大手単組の多くは次々にリストラを受け入れていった。 自分たちが加盟している上部団体が反対と言っているときに単組がサッサと妥結してしまっては統一闘争は成り立たない。 妥結を保留して、統一行動に参加するぐらいのことは労組として最低限のモラルだ。連合は政策あって力なしと言われてきたが、 単なるメッセージ団体で終わっては意味がない。もう大分前になるが私鉄大手がストに入ったとき、あそこは労使関係が成熟 していないからと、他単産の幹部のなかに嘲笑する声があったとの報道があった。ストライキ至上主義になる必要はないが、 本当に必要なときはやらなければならない。自分たちの生活は自分たちでまもるという初歩的な自覚をまず固めることが先決 である。そうでなければ、金融危機と物価高のなかで、本格的に生活危機が襲ってきたとき、労働組合は物の役に立たないだろう。 今年の春闘を、僅かでもいいからその姿勢をつくり直す一つのステップとすることが望まれる。