「進歩と改革」No.669号
--2007年9月号--
■主張
民主一人勝ち、自民惨敗の参議院選挙
7月29日投票の第21回参議院選挙の結果を商業紙は「自民歴史的惨敗」「民主第一党」などと報じた。この稿は開票直後の時点で、選挙結果の詳しい分析や今後の政局の展開については次号以後に譲るとして、直ちに言及できることに絞って述べておきたい。
選挙結果を見ると、比例区、選挙区の合計で、自民党は当選37人で改選議席を27議席も減らし、民主党は同60で28増、公明は9で3減、共産は3で2減、社民は2で1減、国民新は2で増減なし、日本新も1、無所属が7で6増であった。自民の大敗、民主の大勝は明白だが、公明、共産、社民も軒並み議席を減らす結果となった。公明党の減は自公政権の与党として、当然の減と言えるが、共産、社民の退潮は考えてみなければならない問題を含んでいると思われる。その前に自民大敗、民主一人勝ちの大勝である。
福島社民党党首はこの参議院選挙を安倍首相の不信任選挙として訴えた。安倍首相は首相に相応しいのは私か小沢民主党代表かと訴えて敗れたのだから、首相が不信任されたのは明らかだ。選挙後、首相は大敗の原因を、年金の記録喪失や閣僚の失言、会計処理上の不始末に求め、自らの政治路線には求めず、続投の態度を示した。大敗はすべてミスのせいに矮小化し、政治路線は間違っていないとしたのである。だが、開票当日、ある民放テレビは首相の掲げる憲法改正、改革路線の継続、「美しい国」等についてアンケートしたが、支持は少数、支持しないが圧倒的と報じていた。首相は政治路線を含めて信任されなかったのである。首相は郵政一本で大勝した小泉前首相の後を受け、選挙の洗礼を受けることなく、首相に就任し、教育基本法の改悪、国民投票法、米軍再編特措法、イラク派兵の延長、年金記録喪失対処法などの重要法案の成立を強行した。安倍首相にとって最初の国政選挙で「不信任」された以上、単に首相の進退が問われるだけでなく、成立させられてしまった悪法の始末をどう付けるのか、も問われるところだ。
民主党の大勝は、小泉を圧勝させた民意が今度はその振り子を民主党に振ったことにあるのは明らかだ。その煽りを受けて社民、共産などは議席減を強いられた。一人勝ちした民主党がその責任をどう果たしていけるのか、健康に不安を抱える小沢代表が寄り合い所帯と言われる党内を政権近しという引力でどこまでまとめていけるのか、憲法や安保の不透明な方針を鮮明にしていけるのかも今後、注視していかなければならない課題である。
社民党はなぜ必要か、日常活動で新しい基盤づくりを
6月号の「主張」で、統一自治体選挙で後退を続ける社民党をこのまま衰退させて良いかを問うた。今回の参議院選挙でも福島党首をはじめ社民党はがんばったし、候補者の質は決して見劣りがしなかった。しかし、戦い利あらずで、結果は芳しくなかった。ここでは、有権者と政党の関係のあり方を考えてみたい。
民主党は最高決議機関である全国大会の構成を国会議員全員と都道府県代表各2名に限定している。議員以外の党員はほとんど最高議決機関への参加の道を閉ざされている。議員以外の党員が党の基本政策を修正してもらいたいと思ってもどうしようもない。国会議員におまかせの党であり、このような政党の組織原理は保守政党の原理と言える。社民党から民主党に移った人に民主党の基本路線について問いただすと、上のことは知らない、自分は地域でやるだけだと、半ば投げやりに応えることが多い。公明党は結成直後のころは社会主義がどこでも歓迎されたこともあり、「地球社会主義」「人間性社会主義」などと言っていたが、いまではそれも放棄して、自民党との連立政権から離れようとしない。離れるときは、別の政権党にくっつくときだろう。革新自治体が盛んだったころは途中から革新自治体の与党になって与党内部で共産党と分裂を作り出した前歴がある。
社民党と共産党は全国から党員数比例の代議員を基本とする全国大会を行っている。議員以外の党員でも最高決議機関への参加の可能性を保障されている。これは一般市民が主体的に政党を担う上で決定的に重要な権利である。たとえば憲法改正に執行部が賛成しても、地方党員が反対して大会で逆転することがありうるのである。共産党も同様だが、共産党の経験者によると、実際の党運営は上意下達で行われているという。社民党も理想通りの運営が常に行われているとは限らないが、この大会だけはどうしても継続すべき大事な財産と思われる。
しかし、外では組織に拘束されるのはいやだという意見の持ち主が増えている。関西の有名な女性国会議員(社民党)の足下でも、彼女は好きだが、社民党はいやだという人が少なからずいる。社民党自身が考えて改善すべき点もあるだろうが、マスコミが政党不信を植え付け、有権者の政治の主体的な担い手ではなく観客席に導こうとすることにも大きな問題がある。しかし、国政の仕組みが政党政治になっている下で、政党を我慢強く育てることから逃げていて、政治をよくできるだろうか。有権者市民に考えてもらいたいところだ。
以上の点は、政治を市民が主体的に考えるために、社民党をもういらないとは言えない本誌の立場だ。
それにしても、この調子で後退を続ける社民党がいつまで持つのか不安に感ずる人もあるだろう。この点に関しては諦めたら終わりだということだ。それにしても何とかならないのか。そのためには、手がかりとして、議員定数の多い(当選しやすい)自治体で、若い活動力のある候補者を擁立して、自治体議員から増やす必要がある。そして自治体議員を中心にして、新しい時代に見合った運動を作り出すことではないか。中越沖地震では阪神淡路大震災以来のパターンだが、自衛隊の出動要請とボランティアのかけつけが行われた。日ごろは「官から民へ」と繰り返している人たちが、このようなときだけは自衛隊ほどありがたいものはないと、官依存を植え付けようとしている。実際には自衛隊は上からの命令がなければ動けない組織になっていて、必ずしも使い勝手がよいものではない。それは阪神淡路大震災のときの兵庫県の自治体の首長が語っていた。ボランティアもいろいろあるだろうが、概ね評判がいい。
国が財政難を理由に地方への負担をカットし、福祉を削り、民間の営利企業に公的事業を委託していく傾向が強まっているなかで、介護や育児、社会教育、失業対策そのほか多くの分野で、市民自身による自発的、自主的な取り組みが要請され、実際にそれが行われ、増加しつつある。非営利の社会的取り組みであり、市民自身が担う公共性(圏)として注目を集めている。自治体議員を中心として、このような活動との連携と政策化が進むならば、「市民との絆」がもう一度可能性を増してくるだろう。同時に、劣悪な労働条件化におかれている派遣、パート、下請けなどの労働者の組織化の努力も、これは簡単ではないが、必要なことだ。こうした日常活動による基盤づくりの努力なしに、選挙間際になって、やっと候補者を見つけ、看板やポスターを作っても、そのこと自体は努力に敬意を表するとしても、勝利が遠いことは残念ながら、今回の結果でも言える。社民党の灯を消さないためにさらにがんばりが必要だ。