【編集後記】
●長い間ご愛読をいただいた宝樹さんの「証言 戦後労働運動史」は、今月号で終わりです。長時間、貴重なお話の数々をお聞かせいただいた宝樹さんに読者とともに心からお礼申し上げたいと存じます。
最後になって、またまたスゴイ話が出てきます。労戦統一も大詰めとなり、残るは自治労、日教組の動向となったとき、自治労については丸山自治労委員長と竪山中立労連議長、宝樹さんの三者会談で握手。そして、ある夜11時に宝樹さん宅の電話が鳴ります。田中日教組委員長からでした。
●日教組の状況を述べる田中委員長に宝樹さんは策を授け、君はがんばれるか、君は山梨県人だろう、私は甲府49連隊の出身だとハッパをかけます。「はっ、機山公(武田信玄)の流れを汲む田中一朗はがんばります」と。田中委員長はその瞬間、電話口で直立不動の姿勢をとったのではないかと想像したくなるほどのやりとり。これがなんと、日教組のいわゆる400日抗争の発端だったとは。
当時、本誌の読者には太田さんたちの立場を支持して対立する側に身を措いていた人は少なくなかったと思います。しかし、「闘わない統一」になるとして反対しながら今日、連合が定着した事実を認めた上で労働運動の改革を図ろうとする立場と労戦統一促進の立場で努力して、今日の連合の現状をよしとできない人との間にはそれほどの距離はないのではないでしょうか。宝樹さんが労働戦線統一に生命をかけながら、連合の現状に満足されていないことは連載のなかで言葉の端々から伺えるところです。
●連載中、「宝樹さんがこんな人とは知らなかった」「宝樹さんを見直した」という声を多く聞きました。太田さんにしても、宝樹さんにしても、労働運動でことを成したリーダーに毀誉褒貶はつきものです。「誉」と「褒」だけで、「毀」と「貶」を被らない人というのは、どこかの国の神格化された指導者ならいざ知らず、ありえないことです。太田さんも宝樹さんもそれは免れないでしょう。ただ願わくは「毀誉褒貶」が先入観や偏見に基づかず、より客観的な評価に基づいてされてほしいをと思います。この連載は、宝樹さんの人物像を争うために始めたのではなく、それは主要には労働運動の歴史をより正確に知る一助になればと思ってのことで、またそのために必要な知られざる事実を宝樹さんから少しでもお聞きしておこうとのことでした。
●それにしても、宝樹さんを「ライシャワー路線」という共産党系のレッテルはともかく、「労働運動を右傾化させた人物」という一部の先入観を除くうえで、なにがしか役立ったとすれば、それもよかったのではないかと思います。
いずれ、この連載は太田さんが亡くなったときの追悼のお話と合わせ、一冊の本になるかと思いますが、そのときはまた単行本で読み返していただければと思います。
末筆ながら宝樹さんのご健勝をお祈りしたいと存じます。
さて、世はイラク戦争の危機と統一自治体選挙にむけてのさなかです。これが今月号のテーマです。(松本)
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