【進歩と改革2001年7月号】掲載


和解・統一に向かう朝鮮半島情勢(下) ―新たな国際関係樹立への展望



米日への了解工作

 一方、金大中大統領も、「ベルリン宣言」の後、南北首脳会談の開催を取り付けるために、 自分の腹心をシークレット・メッセンジャーとしてピョンヤンに派遣しました。そして、 確信を得ると、直ちに日本とアメリカに対して根回し工作を始めます。ところが、日本の政府・ 保守政党は、一体何が進んでいるのか分かりません。金大中大統領サイドから、 南北首脳会談のためにピョンヤンに行きたい旨を告げられても、余りの事態の進展に ただただポカンとして声を失っていたそうです。アメリカの場合は、 金大中氏ならピョンヤンに立つであろうことを、多少分かっていました。 日本は、なるべく行って欲しくないという及び腰に終始しますが、やがて押さえにかかります。

 しかし、金大中大統領がこの挙に出ることは、2年半前の大統領選挙の直後から、 外務省の一部などにはほぼ分かっていることでした。 それは、金大中大統領の5年間の任期中、恐らくその前半に、 一気呵成に南北対話に劇的な突破口を開くのではないかという仮説で、 このこと自体は私も予測していたことです。今一つは、金大中氏が当選した直後、 まだ金泳三氏が執権している時にも、さらに就任後も日本に側近を送り、 日本と共和国の関係修復をどんどん進めて欲しいというシグナルを送っていることです。 これは、日本にとって大変にショックな出来事でした。というのも、 日本は共和国との関係改善を遅らせる口実として、韓国の妨害を挙げていました。 つまり、金泳三前大統領などの、北との関係改善をしないで欲しいという妨害発言に常に囚われて、 対韓配慮の名の下に進めてこなかったという背景があります。

 ところが、金大中氏は、それをまるきり反対にしました。自分たちの南北対話を促進するためにも、 日朝関係の前進はプラスになるのだという、それまでの韓国の歴代政権にない発想 をしてきたわけです。この間、韓国の歴代政権は、日朝関係が進めば進むほど、 南北対話の障害になるという理由をもって、日本政府を牽制してきました。 そこに金大中政権が登場すれば、朝鮮半島情勢がどう変わるかということが、 日本政府・外務省にほとんど読めていなかった。いや、読めていたからこそ、 金大中政権の登場を警戒し、あの人が大統領になって欲しくないなと正直にもらした 日本の外交官をたくさん知っていますが、そういうことから考えると、 金大中新政権ができると、和解から統一に向かう劇的な展開があるだろう ということは予測していたと思います。

 しかし、森総理のように蜃気楼みたいな人には、何が起きたのか分かりません。 とにかく今までのまま行けということで、金大中大統領に会っても、 まだ米日韓連携で北に対抗しようなどと言うわけです。金大中大統領にしたら、 今さら米日韓の連携などという古い言葉はやめてくれと言いたいわけで、森総理の顔を見ずに、 横を向いて喋るというような状況さえありました。 つまり、日本に意思が伝わらずにイライラしているわけです。ただ、金大中大統領は、 アメリカに対してもきちっと了解工作をやるものですから、アメリカの方は、 これはもう止むを得ないという状態になってきます。その背景には、 クリントン政権の任期がもうすぐ終わり、いわば死に体になっていることがありますが、 これも恐らく、金大中氏が今年に賭けた要因であり、極めて鋭敏な国際感覚からくる 判断だろうと思います。

 金大中氏自身、今年の8月で5年任期の半分をきり、折り返し点を超えました。 2003年の2月には、政権を別な人に譲らなければならないわけで、 再選が禁止されていることもあり、彼は今後レーム・ダッグ化していかざるを得ません。 この意味において、あと1年が金大中氏にとっての残された政治生命ではないかと思います。 いずれにしても、金大中氏には限界があるということを考えますと、 南北和解を完成させるのは1年以内で、1年を超えると、金大中氏であっても彼の影響力と 支持率は衰えると見て良いと思います。その金大中氏にとって、日本は無視してもいいのでしょうが、 隣国として、小渕総理の時代から何度も特使を派遣しました。 しかし、日本はシグナルに応えきれないまま、南北首脳会談は終わったというのが真相の ようであります。

 この間に、南北の朝鮮が周辺各国に働きかけた外交努力はすさまじいものでした。 例えば、北側は1月にイタリア、そしてオーストラリア、さらにフィリピン、カナダ、 ニュージーランドと関係改善をします。これだけの外交関係を開いていくというのは、 並々ならぬ努力だろうと思いますが、これをやってのけているわけです。金大中氏にとっては、 極めて困難だったのがアメリカの強硬派です。つまり、アメリカのクリントン大統領および 国務省の穏健派は、ある程度は金大中氏の動きを読めるのですが、クリントンを良からず思う軍事筋 ・国防総省・共和党筋・民主党の反リベラル派からすると、アメリカが面倒を見ている韓国が、 アメリカの東アジア戦略に触れるようなことをするのは許さないという強い反対があったわけです。 言い換えると、ピョンヤンとの交渉はワシントンがすべて命令しなければならないという 暗黙の関係が、米日韓の間に機能してきました。

 この点に関連して、今から10年前に、金丸・田辺氏が訪朝し、金容淳書記が訪日するという、 これは日朝関係が大きく動くなと思われる時代がありました。 しかし、当時はアメリカが朝鮮政策をまだ全く動かしておらず、 共和国との関係改善が緒にも着いていなかった時であり、日本はアメリカの逆鱗に触れて、 それが金丸失脚という形で現れました。結果、日朝関係改善を先行させることなど 一瞬にして消えたわけで、これはアメリカの強い圧力以外に他に一切の原因がありません。 当時の自民党の現職幹事長であった小沢一郎氏ですら、日朝問題に触るだけでも火傷しそうだと、 金丸氏とともに葬られる寸前に逃げたというのが政界の常識です。

 しかし、今回は、金大中大統領がこの東アジアをめぐるアメリカの政策から抜きん出て、 南北和解を実行したということが言えようかと思います。その中では、 日本が一番遅れていることは言うまでもありませんが、それは日本が冷戦の受益者に 甘んじているからだと言って良いと思います。つまり、東アジアの冷戦の中にどっぷり 浸かっているのは、朝鮮半島ではなく日本であって、朝鮮半島の方がずっと脱冷戦の方向に 向かったことは、はっきりしているわけです。

南北共同宣言の大きな意義

 従って、南北共同宣言の中身を見てみますと、韓国に大きな影響を及ぼしたアメリカや 日本という大国の意志を跳ね除けたいという思いが大変に強く反映しています。 それは、わが民族の問題を他国に頼らず、自主的に解決をめざすということを、第一項目に 入れた点に現れています。

 金大中大統領の「声明」では、72年の7・4共同声明は今から28年前の歴史的な文言であるが、 それをあえて共同宣言に盛り込むよう金正日総書記との会談で言ったといっています。 そして、自分たちのことは自分たちで解決することが至極当然のことであるけれども、 この28年間、それをすることができなかったと述べているわけです。 これは相手を非難しているのではありません。7・4共同声明を結んだのは 朴正煕大統領の時代ですが、それを一度も実行しなかったことに対する自戒、反省です。 つまり、その原因は外に依存したからである、アメリカや日本の力に依存したから我われは 7・4共同声明を実行できなかったということを率直に金正日総書記に言い、 自主的にということを再三強調したと言っています。

 もう一つは、平和的にということですが、これは二度と武力を持って同族が争うこと のないようにする、武力を持って統一にこぎつけることは一切しないということです。 こうして自主的・平和的にという7・4共同声明の文言をもう一度確認したというのが、 南北共同宣言の第一項に盛り込んである内容です。金大中大統領がもう一つ言っているのは、 共同宣言を単なるリップサービスにしないようにということでした。そこで、お互いの交流と協力、 朝鮮半島の非核化まで盛り込んだ92年の南北基本合意をもう一度確認し合ったと言っています。

 その次が、私たちがびっくりした南の連合制案と北の連邦制案の二つに共通点があるということ の確認です。この二つを合体させることによって、南北二つの政府から閣僚を出し合って、 あるいは双方の国会議員を出し合って、中央政府をこしらえて、その中央政府が軍事や外交を一括 して行いながら将来の統一に繋げていくという、かなり具体的なところまで盛り込んだわけです。 三番目以降は、8月に実現してしまった南北離散家族の再会などで、 非転向長期因の送還も進んでいます。こうして見ると、6月以降3カ月の間で、 どんどん具体的な南北和解と信頼醸成措置が進んでいることが分かりますが、 さらに南北の国防相会談が開かれるということで、ついに軍事問題にも踏み込みつつあるわけです。

 南北の和解と信頼醸成の一つの具体化が、鉄道の連結です。例えば、かつてソウルから 新義州まで繋がっていた京義線と呼ばれる鉄道がありますが、その中の24キロが途絶えています。 全線が途絶えていることではありませんが、金大中大統領が言うように、この部分を連結すると、 プサンの端から何とヨーロッパの端まで大陸横断鉄道が繋がります。24キロだけ 朝鮮半島で途切れているが故に、プサンの端からヨーロッパの端まで鉄道が通っていないのです。 しかし、この24キロ部分に非武装地帯があり、この非武装地帯を挟んで双方の軍隊が 対決しています。非武装地帯の中は、一歩も横に反れないほどの地雷原になっています。今、 世界で様々な地雷原がありますが、恐らく朝鮮半島の東海岸から西海岸に至る200数十キロ、 幅4キロの非武装地帯ほど、多数の地雷が埋まっている地雷原はないと言われているわけです。

 従って、この24キロを復旧さす作業は、鉄道を再開するとか、以前のように列車を走らせる という単純な復旧作業ではなく、実は非軍事化する作業です。鉄道一本通すために、 南北の兵士が一緒に地雷を除去していくというのは、これこそ劇的な軍縮行為であり、 それ自体が、過去55年間の全ての清算であり、南北が対決してきた武力の非軍事化ということに 繋がります。ここに南北を繋ぐ鉄道ができることが、どれほど大きな意味を持つのか。 たった24キロの復旧工事であったなら、日本では一日で完成するかも知れません。 しかし、そんな問題ではないのです。実際には何カ月もかかるのでしょうが、 この9月から開始をするとしています。まさに夢にみた瞬間であろうと思います。

 これを日本から見ますと、日本から玄界灘を越えて、さらに朝鮮半島の南端のプサンから イギリスに至るまで鉄道で物が運べるということが、夢でなくなってくるということです。 京義線の復旧は、将来のあらゆる輸送関係を大きく変えるであろうと言われており、 そのメリットは日本から考えても計り知れないとも言われています。つまり、これは朝鮮半島の 和解と統一がどう日本に関係してくるのかという具体的な例ですが、鉄道が繋がるという一つを とっても、極めて重大な意味を持っているわけです。

 また、南北の国防相会談によって、ついに軍事的な問題に足を踏み入れることになります。 大統領と総書記間のホットラインではなく、軍事的な電話線を繋いでしまったり、 双方が軍隊の移動をする時にもこれは害のない移動であるということを相手に伝えたり、 あるいは、軍事演習をする場合でも敵意のあるものではないことを通知し合うということ まで話し合うとされています。これは、特に北側から持ち出されている問題で、 今はアメリカの軍事偵察衛星によって、軍隊の移動などは何人が動いたか、ジープとトラック が何台動いたかなどまで分かる時代ですから、そうしたことを南北で徹底的に明るみに出していけば、 無用な衝突が一気に減っていくということになるわけです。

日朝国交正常化交渉における日本政府の及び腰

 さて、次の問題は、日本と朝鮮との関係を日本はどう捉えているのかということです。 南北首脳会談について、「良かった。良かった。不幸続きだったお隣りにもようやく明るい 結婚話がでた」というように、隣りの慶事を寿ぐというのも悪くはないのでしょうが、 問題はそれほど他人事ではないのです。つまり、「これは私たちの祝い事ではないか」 という感覚がないと、これから先は読めません。

 金大中大統領は、口を酸っぱくして日本の政府に南北対話より先に日朝関係をやって下さい と言い続けましたが、この点では、日本政府の、「南北対話を進める上で日朝関係が邪魔になるなら、 後ろに引いて待ちましょう」などという発想自体が間違っています。言い換えますと、この間、 日本と韓国とアメリカは緊密に一体化し協調していましたが、ことアジア情勢に関しては、 三者の思惑と将来を見据える感覚が、かなりズレていることが分ります。

 特に朝鮮半島情勢については、私から言いますと、最終バスはとっくに出ていっており、 バスに乗っていないのは日本だけという状態になっています。そして、日朝交渉は、共和国が、 「もう一度、日本のために最終バスを出すよ」と言ってくれているようなものですから、 乗客一人でもいいから乗って運んでもらわないと、夜中に一人で歩いて行かねばならなくなって しまいます。私は、今が日本にとっては最後のチャンスだと見ていますが、木更津で開かれ 第10回交渉もそうですが、日本政府の態度の煮え切らないこと夥しく、なぜ、ここで日本人の 期待する劇的な局面打開の方向が打ち出されないのか疑問に思います。

 しかも、朝鮮代表団が帰ってしまった後から、今度は世界食料機構が30万トンの食料支援 を求めてきたのに対し、50万トン出すといったようなことをしているわけです。 いまどき50万トン出しても喜ぶかなと思う位の出し遅れであり、本当に欲しい時に、 なぜ出さなかったのかということです。最初から世界食料機構の言う通りに出していたら、 共和国にどれだけ喜ばれ、和解になり、信頼の醸成になったか。しかも、これを小渕前総理は 人道支援と言い、今度の森総理の下では政治的配慮だと言うものですから、 余計に訳が分からなくなります。コメ支援を政治的配慮に絡ませたら、それこそ大変なことで、 人道支援で通していた方が良かったのです。

 本来、日朝交渉というのは、金大中大統領が現れる前、つまり南北対話の前からやるべきで、 日本にそれだけの見通しと度量がなかったということが大変に悔やまれてなりません。私などは、 80年代から、日本は南北対話を妨害するのではなく促進するためにも、対共和国関係を促進 すべきだと言い続けてきましたが、金大中大統領が出てくるまで、日本政府は分かりませんでした。 金大中大統領になり、当たり前のことになりましたが、今度は逆に遅れてしまったわけです。 日本はなぜ先に進めなかったのか。木更津までの10回を数える日朝交渉においても、 何もできていません。

 また、先日、拉致疑惑の家族が首相を訪れた際、森首相はこの問題を棚上げして日朝交渉 を進めないという約束をしてしまったりしています。そうすると、多少は動こうかなと 思っていた外務省が、また後ろに引っ込んでしまいます。そこで、この拉致疑惑の問題を、 その事実関係は分からないにしても、なぜ日朝交渉の一番最初に持ち出すかということです。 これは交渉を潰す目的以外、何者でもないと思います。つまり、国交交渉によって国交を開き、 和解し合い、お互いに信頼関係ができた後に、外交交渉として、具体的な懸案を一つ一つ解決 していくというのが本来の姿です。しかし、最初から大きな石をドンと持ち出して、 障害物を置いて交渉しようなどというのは、交渉する意志がないからであって、 これが拉致されたという家族たちの真意なのかどうかということです。このままでは 日朝交渉は一歩も進まないわけで、進まなければ今の状態がずうっと続いていくという この矛盾が分かっているのかいないのかという問題です。日本政府が、拉致問題を 棚上げにした交渉はしないなどと約束することは、自らの手を縛ってしまうことになり、 それは朝鮮半島の変化に伴って、日本が過去55年の間違いを正しつつ、 日本を再生していく道を、さらに遠のかせてしまうことになるのではないかと思うわけです。

北朝鮮崩壊せず

 そこで、日朝交渉について、木更津で10回目の会議を開いて、 これは物別れに終わっていませんから、次回もやるということにはなっています。 しかし、この日本の態度が、少なくとも今のアメリカ・クリントン政権が昨年の9月 に打ち出した程度の政策にまで達しているかどうかを、国民は知る必要があります。

 ご承知の通り、クリントン政権は、アメリカが朝鮮政策を変えていく上で何が必要か を正確に把握するために、元国防長官であったペリーという人を、共和国だけでなく韓国、 中国、日本にも順番に訪問させ、慎重な根回しを行いました。これをペリー・プロセスと言いますが、 ペリー報告書としてまとめられた中身は大変に重要なものでした。というのも、この数年、 北朝鮮はまもなく崩壊するであろうというアメリカの保守政界、あるいは軍事筋の筋書きに則って、 日本の中でも北朝鮮は遅かれ早かれ崩壊する、ちょっと押せば倒れるということが、 まことしやかに囁かれ、それが政策の中心まで至って、北朝鮮など相手にする必要がない という考え方が支配してきたわけです。

 ところが、アメリカのペリー報告書は、ペリー氏自身が言っているように、 「朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記とその政権はそんなに簡単に崩壊するものでない ことが分かった」と率直に述べていまして、崩壊を待つなどという愚を避けるために、 我われはこの政権と交渉しなければならないと、朝鮮政策の見直しの根本的理由を述べて いるわけです。そして、この53〜4年の長きにわたった北朝鮮への制裁・包囲網を解く 処置に入りました。つまり、アメリカの飛行機も北朝鮮へ飛べるし、北朝鮮の飛行機も アメリカへ飛べるようにする、また軍需物資を除いてあらゆる民間物資の交流は認める、 あるいは北朝鮮製の産品がアメリカに入ってくるのも認めるというように、かなり大幅な緩和措置 に踏み切りました。

 しかし、この間の北朝鮮への経済制裁の張本人は、実は、アメリカではなく日本なのです。 例えば、ココムという対共産圏禁輸措置がありますが、これも日本だけが忠実にワシントン の命令を守って、北朝鮮を徹底的に締め上げてきました。北朝鮮を崩壊さすために、日本の 政界は全力を挙げてきましたし、経済界も皆それに倣ってきたわけです。ココムのリストなど、 アメリカの誰が持っているのか未だに不明ですが、通産省の役人は一々お伺いを立てて、 禁輸処置を取ってきました。アメリカの場合は、北朝鮮と具体的に貿易はしませんでしたから、 アメリカの商品が北に届くというのは、もともとないわけです。その点では、アメリカが 禁輸処置を取ったことで、北がダメージを受けたことは、全くありません。

 しかし、日本はワープロからパソコン、ちょっとしたカメラまで、徹底して北朝鮮 への輸出を妨害し押さえてきましたし、こうした形で北を叩くのは、全て日本でありました。 これは、アメリカに従属し、アメリカから強制されたことに従うという、文字通りの冷戦構造下で、 文字通りの冷戦思考の日本がやったわけです。このような歴史がありますから、 今日の朝鮮半島で進んでいる脱冷戦の事態を、日本の人々や政府が理解できないのは 無理からぬところがありますが、しかし、アメリカの対北朝鮮政策の転換にも関わらず、 日本が未だに、「ひょっとしたら北朝鮮を崩壊させることができるのではないか」といった 訳の分からない幻想に取り付かれたり、妄想の中で相手を見ていきますと、まるきり違った 局面になったときに、もう慌てても遅いということになります。

日本再生の道につながるか

 朝鮮半島が分断されている限り武力対立が続き、軍事衝突の危険が増大します。 そして、まさにこれを口実として、2年前、小渕首相の下で、今から見ても時代錯誤 の新ガイドライン法案が通り、盗聴法を始めとするたくさんの反動法が作られました。 今日の朝鮮半島の事態を見通す先見の明が日本政府になかったのは仕方ないとしても、 こうした全体主義と冷戦時代の真ん中にある古色蒼然とした法律を作っていく古い感覚 の政治と政府・政党を私たちは持っているわけです。こうして、日本の剣呑な新ガイドライン 体制はすでに法律となり、いつでも抜くことのできるものになっています。これを絶対に 実行させてはならない、これを一切使わせることなく廃棄してしまい、 以前のなかった状態に戻すというということが求められています。

 その点で、南北首脳会談からもたらされるべき教訓は、朝鮮半島の和解の機を逃さず、 日本が朝鮮半島を有事の対象とすることなく、日本と共に生きていく相手であり、 そこにこそ21世紀に生きていく日本の道があるのだという国民のコンセンサスを生み出 していくことであろうと思います。そうすれば、日本ははっきりと生まれ変わることができます。

 今、日本の軍事支出は世界第5位で、武器の輸入では何と3番目です。 今日のテーマと少し違いますが、日本は世界の先進国の中でトップを切って、 極めて厳しい少子高齢化社会を走っており、やがて老人が大半を占める社会になることは、 すでに統計が示しています。その国家の中で、誰がこの巨大な軍事大国の財源を担うのか、 そんな財源は全くなくなるのです。日本の経済力が衰えていく中で、大量の高齢者を抱え、 アメリカから莫大な武器を買って軍事大国の道を歩むのかどうかが鋭く問われるところに来ています。 このような軍事大国を平和国家に切り替えるか否かは、朝鮮半島が敵でなくなるかどうかで、 大きく変わってきます。「朝鮮有事」が使えなくなる、「朝鮮脅威論」を使わせないよう にするということは、その最大のきっかけです。その意味でも、20世紀の最後についに 芽を出した朝鮮半島の和解というこのきっかけを、日本の再生に結びつけない手はないのです。

 ご承知のように、日本の保守勢力、右翼勢力、国粋勢力は、常に「朝鮮有事」「朝鮮脅威論」 を唱え、仮想敵を朝鮮に据えて日本を軍事化の方向へ引っ張ってきました。それは、日常茶飯の 生活の中にも、日本人の心を捉えてしまっていて、朝鮮半島を敵に見るという刷り込まれた 意識を抜け出すことができません。従って、私は、朝鮮の南北首脳会談をきっかけに始まった 和解の潮流に日本が一緒に乗るという思いなくして、日本の再生に結びつけることはできない のではないかと思っています。

 日本が軍事大国の方向に行くか、あるいは平和国家に行くかという問題を、 今度は朝鮮半島から逆に考えて見ますと、日本が平和国家の方向へ行けば、 朝鮮半島の統一はさらに促進されるのは当然です。ところが、日本が極めて危険な軍事大国ですと、 朝鮮半島は統一どころか、南北双方が今度は日本に向かってますます武力を拡大するという 一番悪い状況に入ってきます。実は、これが日本人にはほとんど理解されないところであって、 常に北が責めてくる、あるいは朝鮮半島から脅威がやってくるというまことしやかな 何の根拠もないことについて怯え、慄くという状態が続いています。 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がありますが、実際は幽霊どころか、 何の実体もないものを恐れているのは、やはり心の問題でしょう。心に相手を信じず、 敵を見出してきたその刷り込まれた先入観をどこかで脱ぎとらない限り、この朝鮮半島の事態は 我がこととして、理解はできないと思います。

 私は、今が、「朝鮮有事」「朝鮮脅威論」を主張する人たちの口を封じ込める最後のチャンス かなと思っています。日本の運命は朝鮮半島から来ていると言っても過言でないわけで、 日本は今のチャンスを逃せば、もう最終バスはありません。この最終バスは、決して日朝交渉 だけのバスではないのです。朝鮮半島で起きている新しい事態を、日本の内政に 反映させなければならないわけで、その意味でも、唯一で最大の最後のチャンス だと思っています。そして、それは、日本の戦後55年間が、アメリカに振り回された、 本当の意味での独立国家でない状態にあることを踏まえますと、朝鮮半島の新事態を、 日本の自主独立、さらに沖縄の基地問題の解決へ結び付けなくてはなりません。

 最後になりますが、私たちは、心の中の幽霊とでも言いましょうか、 それを完全に取り去って、あるがままの朝鮮半島を分析し、冷静に観察して、 国家の行う外交も民間の行う交流も、あらゆる意味で十重二十重に信頼関係を 作っていくということが大事であり、その気持ちにならなければ、朝鮮半島で当事者 が進めている和解と統一の方向に同調できないのではないかと思います (『進歩と改革』全国セミナーから、文責・編集部)。