【進歩と改革2022年11月号】掲載


新自由主義批判の混乱  

 新自由主義が様々に批判されている。共産と社民は安倍政権の政策を新自由主義的として批判してきたが、参院選で新自由主義的とされる維新が躍進したことを受け、立民も「格差を拡大しかねない新自由主義を容認しない」と選挙を総括した。一方、岸田首相自らも「新自由主義は多くの弊害を生んだ」として、分配重視の「新しい資本主義」を掲げる。また、特に安倍元首相暗殺を契機に、社会から見捨てられた人々への言及もそれまで以上に活発化している。

 中には、外務省国際法局長を経て安倍政権で官房副長官補などを務め、経済安保にも関わった兼原信克同志社大特任教授のように、「冷戦後の新自由主義の潮流で『安全はただ』という感覚だった」(朝日、22年4月6日)などと言う者すらおり、新自由主義に結びつければ何でも批判できるような状況すらある。

 「新自由主義」は様々な文脈で使われてきた。ロシア革命、ナチス台頭、米ソ対立、資本主義の行き詰まり、独裁体制など、様々な事態に対して、それぞれの社会のあり方に応じて、論者によって多様な意味を与えられてきた。対照的な意味で使われることもあり、定義自体が難しい。

 現在の日本では、英国のサッチャー政権、そして特に米国のレーガン政権が影響している。ではレーガンの政策とはどんなものだったのか。

 レーガンは、いわゆるネオコンと呼ばれる新保守派と、宗教層が重なることで支持を拡大した。ここにレーガン自身の強い反共姿勢とあいまって、経済学者のミルトン・フリードマンらのケインズ主義を批判するマネタリストの影響力が増大した。市場原理を従来以上に重視し、小さな政府を目指して福祉などを縮小する政策が現実化したのである。

 ただし、レーガンは経済理論としてのマネタリズムに基づいて経済政策を進めたわけではなく、減税して福祉などは縮小したが、それ以上に軍拡を進めたために、財政均衡どころか巨額の財政赤字を招いた。しかもその穴埋めのために、強いドルは強い米国の象徴と称してドル高に誘導し、本来は開発途上国に向かうべき資金を米国に吸い寄せ、中南米とアフリカは債務危機に陥った。

 ドル高は輸入を刺激する一方で輸出産業にとっては痛手となった。80年代前半に深刻化した日米経済摩擦の背景であり、米国の製造業衰退が早まる原因となった。この結果生まれた貿易赤字は財政赤字とともに米国を苦しめ、世界最大の債権国だった米国は最大の債務国に急落した。レーガノミクスと呼ばれたその経済政策は世界的な混乱をもたらしたが、米国自身もその渦中に陥った。

 レーガン政権の経済政策は論拠のない呪術的なものであるとして、ブードゥー経済などとも揶揄された。しかし、米国経済を危機に陥れるほどの無茶な軍拡は、それに対応せざるを得なくなったソ連により重くのしかかり、結果的に冷戦の終焉を導くことになる。これが意図した結果かどうかはともかく、冷戦を終わらせた大統領として保守派の間でレーガンの評価が高まるが、このことは、レーガンに対する客観的な評価を今なお難しくしていると言えよう。

 では日本ではどうか。かつての右翼政権は財政規律を重んじた。単純に右翼と分類することはできないが、安倍派の前身の清和会に所属し岸信介が支持した福田赳夫は、特にこれを重視した。中曽根康弘も、改憲への思惑や自治労の弱体化などがあって行革を唱えた面があるにしても、建前上は小さな政府の理念に沿っていた。もっともバブル経済を導いてしまい、政策としては破綻したが。また小泉純一郎は、財政出動を重視した田中派と激しく対立して、田中が重宝した財政投融資の主要財源である郵便貯金の民営化を進めた。

 第1次安倍政権は小泉の経済政策を引き継ぐ一方で、政治的には右翼思想をむき出しにしたが、これは戦後日本の右翼政権の本来の姿とも言えた。しかし日本経済の復活には至らず、短命で終わった。

 これに対して第2次安倍政権は経済社会政策においては左派の主張を積極的に取り入れた。例えば、高等教育の無償化は1966年に国連総会で採択された国際人権A規約において規定されたものだが、自民党は長らくこの規定を拒み、留保を続けてきた。民主党政権が留保を撤回し、安倍はこれを利用したわけである。

 ただし財源の裏付けはない。そこで日銀が国債を引き受けた。小さくかつ財政に責任を負う政府ではなく、大きくしかも無責任な政府が生み出された。右翼としては根本的な宗旨替えだった。安倍を新自由主義とは批判できなくなったのである。

 これにより、公共事業を拡大し、防衛費を増加しながら、幼児教育や高等教育の無償化などにも踏み込み、右翼も労組も満足させることに成功した。税金の使い道を決めることこそが政治参加の中心だがそれは重要課題ではなくなり、連合と政権の距離も近づく。安倍政権に比べれば財政再建を尊重し、事業仕分けなどに力を入れた民主党政権の方が、皮肉なことに、若者から見れば新自由主義的だった。安倍自らが「悪夢のような民主党政権」と呼ぶ背景である。安倍が若者から支持されたのは、権威的な姿勢が歓迎されたのでも、若者が政治を諦めたためでもない。

 政治的には異論を許さないが、強い政府の力により公共事業等を推進し、教育、福祉にも取り組む、これは新自由主義ではなく、ばらまきのポピュリズムまたはファシズムである。イタリアでばらまきを掲げる右翼政権が誕生したが、日本はすでにこの状況にある。1月号でヨーロッパ極右が日本を手本に挙げたことを取り上げたが、これを想起して欲しい。参議院選挙でも与野党問わず財政出動を訴え、新自由主義批判で口をそろえ、論点はさらに曖昧になる。

 この点で、安倍が目指した社会のあり方が、安倍が敵視した中国社会の現状に近いことは、偶然ではない。

 この結果、日銀は国債発行残高の半分近く、500兆円以上を背負い込み、財政と経済状況を狂わせた。しかし当然に無理は続かず、ポピュリズムの負の面、言い換えればアベノミクス本来の姿が表面化する。

 問題は、これを新自由主義などと呼ぶことで、国外から来た政治思想であるかのような印象を強めることである。日本の経験で言えば、第1次世界大戦後の不況の中で軍国主義化が進んだことが想起される。

 もともと日本右翼には、様々な勢力が合意し得る経済政策がなく、農本主義的な詩的幻想があった程度だった。第2次世界大戦後は開発重視の姿勢と財政規律重視の姿勢が交代してきたが、安倍は右翼を壊したのである。むしろ新自由主義ではないことの方が危機ではないか。