【進歩と改革2022年10月号】掲載


ユン政権と日韓共同宣言  

 8月15日、ユン・ソンニョル韓国大統領が「光復節」の演説をし、日本を「力を合わせていかなければならない隣人」とし、歴代大統領と比べても、いわゆる親日的姿勢を示し、日韓関係の回復を表明した。

 ユンは大統領選に勝利はしたが、わずか0・7ポイント差の辛勝で、支持率は20%台に低迷、議会では野党が多数を占める。この政治情勢から見れば対日批判を強めてもおかしくなかったが、そうしなかった。

 しかし日本の反応は素っ気なかった。外務省は、18日に竹島近海で韓国の海洋調査船が活動したことへの抗議については記事資料を出したが、光復節の演説や、17日、ユンが大統領就任100日に初めて記者会見を行ったことについては対応を公表せず、大臣等も言及しなかった。

 報道も同様だった。翌日の社説で反応したのは読売だけで、「歴史問題に固執していた前政権の対日政策を転換し、未来志向に基づく関係改善を打ち出したことは評価できる」とした上で、元徴用工問題について韓国大審院(最高裁)の判決に基づく日本企業資産の現金化の凍結、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の再開などを求め、「現金化されれば、関係改善の道が閉ざされかねない」と評した。

 日本政府は、戦時補償問題は65年の日韓条約で解決済みで、それにもかかわらず大審院が未払い賃金の支払いを求め、これがなされない場合は日本企業の資産の現金化を決めたことは条約違反と主張してきた。そして、韓国政府の対応は不十分で、「日韓間の信頼関係が著しく損なわれた」として、19年7月には輸出管理上優遇される国から韓国を除外した。現金化された場合にはさらに厳しい報復も表明している。

 これに対して韓国は、特に北朝鮮への対応上重要とされるGSOMIAの破棄を決めるが、通告はなされず、宙ぶらりんの状態にある。

 読売は、関係悪化の責任は韓国にあり、日本側に見直すべき点はないとの安倍の姿勢を全面的に踏襲したのである。右派の読売だけに当然だが、朝日や毎日は社説では触れなかった。外務省の記者会見でも、10日の大臣会見で時事通信が現金化への対応を質問した程度だった。

 朝毎両紙が日韓関係を取り上げたのは、大統領就任100日会見の後だった。ここでユンは、「日本が憂慮する問題と衝突せず、債権者が補償を受けられる案を今深く講じている」と述べ、日本政府に全面的に歩み寄る姿勢を示した。これを受けて朝日は「歴史に責任を持つ当事者である日本の側も、呼応した動きをみせるべき」、「輸出規制強化措置の解除に向けた手続きを始めてはどうか」等と表明した(18日社説)。毎日も「評価できる」とした上で、「呼応する動きが日本政府に見られない」と、輸出規制の見直しを求めた(22日社説)。

 ここで注目すべきことが3つある。第1は、GSOMIAなどを含めて日韓関係強化を日本政府が重視していないことである。政府は北朝鮮の脅威を繰り返し唱え、林外相が、ユン政権発足前の5月9日に、後に外相に就くパク・チンと会談した際にも、「日韓、日韓米の戦略的連携がこれほど必要な時はなく、日韓関係の改善は待ったなしであるとの認識で一致」したと発表したのだが。

 北朝鮮の脅威や対中対応が喫緊の課題であり、そのために日米韓の軍事協力が不可欠であるのならば、GSOMIAの再開と、日韓の軍事協力の推進に勝るものはないはずである。しかし、それを自ら損ない、3年間機能せずとも問題はない。日本政府が盛んに喧伝する北朝鮮の「脅威」とはその程度のものに過ぎない。中朝の脅威を理由に改憲を求める大合唱が続くが、日本政府自身はそれほどの脅威とは全く認識していない。

 第2は、3権分立に対する考え方の差である。日本では、民間が政府の責任を問うて起こした訴訟で、最高裁が行政府の責任を認めることも、違憲立法審査権を行使することも、さらには自治体が中央政府に真っ向から逆らうことも希である。政府が沖縄県の動きを無視し、政府の意を汲む司法も沖縄県の訴えを退けているように。その日本の感覚から見れば、大審院の判決は行政府の意向の反映に他ならないのだろう。

 米国議会下院議長の台湾訪問を大統領が阻止できないことに中国が不信を表明しているが、これと日本が大審院判決に苦慮する韓国政府を批判することは類似しているのである。

 第三に、そして最も重要なのは、ユンが光復節の演説で、1998年に小渕首相とキム・デジュン大統領が発表した日韓共同宣言の継承を表明したが、読売や産経のみならず朝日や毎日も触れなかったことである。

 日韓共同宣言は、死刑囚だったキム・デジュンが大統領に就くという、韓国政治が革命的な転換を遂げる中で結ばれたものだった。これに対して、日本では歴史修正主義の動きが強まり、同じ99年には石原慎太郎が都知事となり、01年には「つくる会」の歴史教科書が検定を合格した。中韓は修正を求めるが、日本が事実上、再修正に応じなかった。これを受けて韓国議会は日韓共同宣言破棄を含めた対日関係見直しを全会一致で決議した。1ヶ月後、小泉が靖国に参拝し、溝はさらに深まった。

 大統領選投票日直前、光復節と並んで日韓近代史で重要な3・1独立運動記念日を迎えた際、ユンの対立候補だった進歩派のイ・ジェミョンも日韓共同宣言に触れ、日本が宣言を守らなかったことを批判した。ユンは、韓国社会では批判の多い問題の継承をあえて唱えたのである。

 小渕政権は、旧田中派の小渕に、高度経済成長を進めた池田勇人の側近だった宮沢喜一が協力した、旧来型の自民党政権だった。しかし、それが経済再建できなかったことが、森、小泉、安倍と続く右派政権を導く。この中で右派は旧来型自民党政権の行動の見直しに力を入れる。安倍が、宮沢政権時代に河野官房長官が行った慰安婦に関する談話の見直しに固執したように。旧社会党などの主張はもはや批判すべき対象ですらなくなったのである。

 このように見ると、右派にとっては共同宣言は見直す対象でこそあれ、継承すべきものではない。池田を尊敬する岸田も今のところ積極的には反応せず、朝毎も触れない。ユンの呼びかけを受け止める政治的社会的基盤が今の日本にはない。

 キム・ヨンサムが93年に大統領に就任し、韓国が名実ともに民主化してから来年で30年である。同じ年、日本でも細川政権が誕生し、ようやく政権交代が実現したかに見えた。しかし、着実に政権交代を繰り返す韓国に対して、日本は右傾化を強める。その差に愕然とする。