【進歩と改革2022年7月号】掲載


ツィメルマンの警告  

 6月27日、テニスのウィンブルドン選手権が開幕する。しかし4月20日、主催者がロシアとベラルーシの選手の出場を認めないと発表したことで、他国の選手やテニス団体からも批判の声が上がっている。

 同様の事態は芸術の世界でも起きており、ロシア人音楽家が踏み絵を迫られている。マリインスキー劇場を世界一流の歌劇場に育て上げ、国際的に活躍する指揮者のヴァレリー・ゲルギエフは、プーチン支持を表明してきた。このため特に批判を受け、指揮者を務めるミュンヘン・フィルからプーチンを批判する声明を出すよう求められたが、応じなかったことで解任された。フランスのトゥールーズ管弦楽団とモスクワのボリショイ劇場の指揮者だったトゥガン・ソキエフも声明を求められたが、結局、両方のポストを辞任した。花形ソプラノ歌手アンナ・ネトレプコは戦争には反対したが、プーチンを明確に批判していないことで批判を受け、自ら活動を停止した。

 これらが適切な対応かどうか、意見が分かれるだろう。もともとスポーツや芸術は国威発揚に直接繋がることから、政治とのつながりが深い。中でも、多くの人員を抱えて維持するだけでも大変な劇場やオーケストラ、制作に費用がかかる映画、都市計画までをも伴う建築などでは、創作側が政治に接近することも多い。

 それは、愛国的かどうか、その政権を支持するか否かなどの問題に自ら関わることにもつながる。ナチスとシュペーア、リーフェンシュタール、フルトヴェングラー、軍国主義下の山田耕筰など、戦後にその責任が問われることも少なくない。平時においても、支援者への対応や政治家との付き合いは指揮者や劇場監督に不可欠な業務である。

 逆に、責任を自覚しない人々に芸術家が問いかけることもある。2006年、ポーランド出身の世界的なピアニスト、クリスティアン・ツィメルマンが日本で演奏会を開いたが、彼はここで日本がイラク戦争を支持したことに遺憾の意を示すスピーチをし、来日時の記者会見を含めてこの言及を繰り返した。

 当時毎日新聞記者で、現在は桐朋学園大学学長を務める梅津時比古が、ツィメルマンの言葉を記事にしている。彼は「これまで10回日本へ来て、日本が大好きだが、イラク戦争に日本が参加したのは残念です。人々の意識はもう薄れているかもしれないが、アメリカは、結局は、原子爆弾を持っていなければ言うことをきかない、と示しているように思える。悪い武器か、テロかは、アメリカの主観的な見方による。私は娘に、この戦争を止めるために何をしたのかと問われ答えに窮した。アメリカでは私は、今の政府に投票しなかった人々のためにコンサートを開いている、と言明しました」と語った(毎日新聞 06年516日夕刊)。

 しかし日本社会、特にイラク戦争を支持した保守派は強く反発し、ネット上では、音楽家が政治的発言をすべきではない、反日だ、と批判が相次いだ。当時は米国でもイラク戦争への反省が強まっていたが、日本社会は批判に不寛容だった。

 このツィメルマンの発言が伝えられてから1ヶ月後の6月16日、参議院は北朝鮮人権侵害対処法を可決した。さらに7月5日には北朝鮮がミサイル実験を行い、日本は北朝鮮への制裁を発動する。9月26日には第1次安倍内閣が発足し、その2週間後には北朝鮮が核実験を行うなど、04年に首脳会談を行ったばかりの日朝関係は一挙に悪化した。

 イラン、イラク、北朝鮮を悪の枢軸と名指しし、イラク戦争に突き進んだブッシュ政権を、世界で最も強く支持した国が日本だった。それにもかかわらず北朝鮮は日本に接近したわけだが、日本はむしろ核保有に追いやってしまった。ツィメルマンの警告が現実となった。その後、北朝鮮は日本を交渉すべき相手とはみなさなくなり、日本も交渉するきっかけ自体を失って今に至る。

 ツィメルマンは社会主義下のポーランドで生まれ、音楽教育を受けた。ナチスとソ連に踏みにじられてきたポーランドは、今、ウクライナ難民を最も多く受け入れている。もちろんツィメルマン個人の姿勢とポーランド政府・社会のあり方を単純に重ねることはできない。しかし、日本のイラン戦争への姿勢を警告した人物の一人がポーランド人だったことは、偶然ではないように感じる。

 これに対して、ナチスと同盟を結んだばかりか、時にナチスをしのぐ異常さを発揮した日本は、戦後も踏みにじられる側ではなく、踏みにじる側に近い姿勢をとることが多い。それは、覇権的と批判される米国とも相容れない面がある。ミャンマーとの関係はその一例である。

 21年2月1日、ミャンマーで国軍がクーデターを起すが、市民の犠牲が増えたことを受けて、5月4日、米国下院外交委員会は「拡大するビルマ危機」と題する公聴会を開いた。証人は、軍政を批判するミャンマーの国連大使チョー・モー・トゥン、ミャンマーの民主活動家キン・オーマル、グローバル女性問題担当大使を務めたケリー・カリーだった。

 民主党のグレゴリー・ミークス委員長に続いて共和党の筆頭として、マイケル・マッコールが演説をした。彼は「本委員会は、軍政から自分たちを解放し、人権を保護し、民主制を擁護するために戦うビルマの人々と常にともにある」と、「共和党でも民主党でもなく、我々の価値に則した外交政策を指揮するアメリカ人として」断じた。これは、リベラルか保守かも、新保守かトランプ主義かをも超えた問題だった。

 証言が終わった後の質疑で、共和党のティム・バーチェットが「もし西側企業が政情不安のために撤退したら、結局中国が西側の資産を手に入れるとは思わないか」と尋ねた。軍部を批判しすぎると、ミャンマーを中国側に追いやるとして、強い態度をとらないことの理由として日本でしばしば挙げられる論点である。

 これに対して、カリーは「ミャンマー国軍は全く反中国であることを思い出してもらいたい。彼らは誰に対してもアンチなのだ。彼らは大変に外国嫌いで、民族主義的であり、彼らが中国の侵入を許すとしても限度がある」と応じた。そして「彼らは他のアジアのパートナーを探すだろう。可能性が高いのはシンガポールだが、米国やヨーロッパに比べれば、日本や韓国も軍事政権との協力を受け入れやすい」とも付け加えた。

 日本は欧米諸国と理念を共有しているとは言い切れず、米国にとっても面倒な存在である場合がある。しかも許容度の低さではウィンブルドンに負けない。その国が改憲に突き進む。イラク戦争にも、ミャンマーにも責任を感じることもないままで