【進歩と改革2022年2月号】掲載


憲法論議の現在

 12月16日、維新に加えて国民民主も参加する衆院憲法審査会が岸田政権下で初めて開かれた。同日、連合が衆院選の総括を公表し、「基本政策や方向が大きく異なる政党同士が連携・協力することは、多くの有権者の理解を得ることは難しい」と、共産を含む野党共闘を批判した。自民党は、これが立憲民主の敗北、維新の躍進、国民民主の踏みとどまりに影響を与えたと認識し、遠藤利明選挙対策委員長もこの「敵失」によって自民党が絶対安定多数を維持できたと述べた。15日、連合は自民党と政策懇談会を開催したが、自民党の森英介労政局長は「連合と自民党の意見に際立った違いはない。これからもこうした機会を作り」たい、と述べた。連合の自民党への要望書は、憲法には触れていなかった。

 ハト派の岸田が首相に就く一方で、改憲に前向きな維新の躍進により改憲への準与党体制が強化されたことに加え、野党内の改憲許容状況も強まっている。そしてそこで大きな役割を果たしているのが、憲法を主要な政治課題としない連合である。

 前号でフランス極右、エリック・ゼムールの発言、「労働者階級の主要な関心が移民と貿易にある」に触れたが、もともと労働組合は保守的で、自らの雇用の維持を最優先にして、その地位を脅かすものには批判的な姿勢をとることが珍しくない。

 欧米では、リベラルが移民や難民に寛容な姿勢を示し、温暖化問題などに積極的に取り組む一方で、労働者は、自らの生活を脅かすとしてこれらの動きに反発する傾向が強い。ゼムールやトランプが、移民が仕事を奪い、環境対策や貿易が雇用を損なうと訴えるのもこのためで、実際にこれは奏功してきた。そしてリベラルが高等教育を受け、比較的経済的に余裕がある場合が多い「エリート」であるのに対して、ゼムールやトランプを支持するのは日本で言えば高卒の現業職であることが少なくない。このため、今日を生きることが脅かされているとの訴えと、10年後の人類の危機への警鐘が衝突し、分断が生まれる。この中で、温暖化問題はデマだとする主張も力を持つ。

 日本でもこのような状況は基本的に変わらない。改めて言うまでもなく連合は、脱原発を積極的には主張せず、環境問題などへの取り組みも積極的とは言いがたい。投票前の10月22日にも、事務局長が「第6次『エネルギー基本計画』に対する談話」を発表し、「代替エネルギーが確保されるまでの間、(原子力を)活用すべき」で、「地域経済や社会、雇用への影響を最小限にとどめるための「公正な移行」の確保が不可欠」と断言していた。本来は、個々の組合の利害を超えて社会全体が生きることへ目を向けるために、ナショナルセンターとしての連合の役割が重要になるが、賃上げを含めて、連合と安倍政権は親和性が高い。

 さらに、日本では社会全体が温暖化問題などについて表面的に合意してしまうことが、論点をあいまいにする。反新自由主義、反グローバル主義などの議論が、自らを問い直す痛みを経ずに合意を得てしまい、容易に新しい資本主義などの言葉を使うことができてしまうのである。

 例えば英国で新自由主義を批判することは、サッチャー政権以来の自分たちの歩みの見直しを意味する。ドイツで難民受け入れを認めないことはナチスの蛮行に、米国で資本主義を問い直すことは「アメリカ」そのものの問い直しに直結する。だからこそ、これらは激しい議論や対立を招き、社会の分断が招来する。

 ところが日本では、新自由主義などはあくまでも外から持ち込まれたものとして、簡単に批判されてしまう。それどころか、この文脈で日本の伝統を讃え、さらには日本軍国主義への擁護もなされることが多い。

 あえて、典型的な右翼とは見なされていない人物の言説を紹介する。今も産経から朝日まで幅広く登場する佐藤優は、『正論』08年10月号から09年9月号まで「日本哲学の考究“回帰と再生”」を連載し、『日本国家の神髄』として出版した。ここで彼は、1937年に文部省が発行した『国体の本義』を「過去10年間、日本社会に猖獗を極めた新自由主義」を「1930年代にわれわれの先輩が思想的に断罪した『古い思想』が」「反復したにすぎない」(281頁)と断じる。

 近代になって作られた天皇主義を古代から続くものとして称揚する一方で、西洋近代を批判するのは、特に1930年代に頻繁に見られた言説である。盧溝橋事件が起こされる4ヶ月前に文部省が中学などの教材として発行した『国体の本義』はそのような言説を代表するが、それが単純に復活するのである。

 ここで、彼は「私自身の立ち位置は右翼」で、「わが国体が皇統によって担保されていることは明白」(25頁)とした上で、「日本の政治の本質は祭政一致」(212頁)で、「神国であることのありがたさを、日本に生を受けたことのありがたさ」(42頁)、を繰り返し説き、「日本の政治エリートが『国体の本義』の立場にきちんととどまっていれば、少なくとも負け戦に突入することはなかった」(30頁)とも主張する。さらに「外務官僚に毅然たる外交を展開させたり、腐敗政治家が国を売ったりするような行為を行わないようにするために、(行動右翼の)街宣活動は大きな効果があると考え」(22頁)ていることまでも表明する。その上で、「本格保守政権と期待された安倍晋三政権の崩壊後、日本の右翼、保守思想を立て直すために、近過去の思想的遺産を発掘することが焦眉の課題」で、安倍は「小泉純一郎が推進した新自由主義路線からの訣別が十分にできなかったために、自壊してしまった」とする(298―9頁)。

 紙数をとって引用したのは、これが護憲派の議論に通底する面があるためである。共通点を3点にまとめる。第1に日本軍国主義が20世紀の世界に対して与えた衝撃を過小評価していること、第2に、改憲派が押しつけ憲法論を展開してきたことに対抗するために、日本社会の中に憲法の基となった議論があったことを強調しすぎること、第3に、日米安保条約が憲法に対抗する法的基盤として政治利用されてきた上に、駐留米軍の存在や米国の軍事力強化要請などのために米国への批判が強い一方で、自国政治の姿勢を「米国追随」などの言葉で捉え、日本が米国のくびきを離れれば良くなるとする傾向が強いことである。

 野党第3党が積極的改憲派で、野党第1党と第2党の支持母体も改憲容認に近づく中で、日本国憲法発効75周年を迎える。これまでも折に触れて憲法について取り上げてきたが、今年は継続的に論じたいと思う