【進歩と改革2021年8月号】掲載


国際協調と拒否権

  5月に開催されたG7では、バイデンが国際協調への復帰を喧伝すると同時に、中国が掲げる経済圏構想である「一帯一路」への対抗を表明し、新型コロナウイルス・ワクチンへの公正なアクセスなども謳った。これに対して中国は、平和的発展や協力、共存共栄に背くと批判した。

 一方、この直後に激しさを増したイスラエルのガザ爆撃では中国の議長の下で安保理が開催されたが、米国の反対のために決議ができず、中国が皮肉る形となった。国際協調とはほど遠い両国が相手を反国際協調と批判しているのである。

 巨大な力を持つ米中が互いの高圧的な姿勢を非難しても、議論は堂々巡りである。また中国の内政不干渉は、民主的とは言いがたい開発途上国から支持されているように指摘されることも多い。そこで今回は、反国際協調的な姿勢を象徴する国連安保理における拒否権を、「南」の視点から見てみよう。

 中国は、国連に議席を得た71年以降、これまで3回、単独で拒否権を投じている。初めての行使は、復帰の翌年の72年で、パキスタンから独立したバングラデシュの国連加盟に対してだった。中国はその理由として、ソ連の後押しを受けたインドのパキスタン侵略を挙げた。中ソ対立を持ち込んだのである。前年の中国復帰を主導したアフリカ諸国はバングラデシュへの共感を表明しながら、中国に配慮して棄権した。自分たちの仲間として中国の議席回復に努力してきたアフリカは、中国の大国主義的な姿勢に戸惑っていた。同様の姿勢は76年に加盟申請をしたアンゴラにも向けられ、棄権した。アンゴラをソ連が支持していたことを、米国に加えて中国も批判したのである。アフリカは完全に失望した。

 一方、当時は南の主張が次々に形となっていたが、中国はこのような動きに距離を置いた。安保理に登場したのは第3世界の友人ではなく、新たな覇権主義的大国だった。

 その後中国は25年間、拒否権を投じなかった。しかし、97年、グアテマラにおけるPKOの延長に、反対する。背景には90年代に台湾が進めていた国連加盟問題があり、国連においてこの問題を中心的に推進していたのがグアテマラだった。ここで中国は、「グアテマラの平和プロセスを支持」するが、「中国の主権と領土統一を侵害する限り、安保理における中国の協力を期待すべきではない」と言い放った。口先だけでも体裁を整えるのではなく、他国が理解し得ない自国の利害を露骨に表明したのである。各国は立場を超えて、無関係の問題を理由とした拒否権を口々に批判した。

 99年にはマケドニアおけるPKOの延長にも反対する。マケドニアが直前に台湾と国交を持ったためだったが、この際には、ヨーロッパにばかり資源を投じるべきではなく、アフリカに目を向けるべきだと述べて、先進国偏重を嫌う南の感情を利用して、アフリカを隠れ蓑にした。その後、台湾が各国を巻き込んだ国連加盟運動を控えるようになり、このような事例は姿を消す。

 中国の次の拒否権は、2007年にミャンマー問題に対してロシアとともに投じられた。中国は反対の理由に、ミャンマーの経済発展、ASEANの関与、国内問題であることを挙げた。これ以降、中国はロシアとともに拒否権を行使しており、翌年はジンバブエ問題に、話し合いが重要であること、地域全体に関わることを理由に、強い措置に反対した。

 11年からはシリア問題に拒否権を投じる。この問題では地域機関であるアラブ連盟が役割を演じてきたが、ミャンマーやジンバブエに関して地域の役割を強調したにも関わらず、中国はアラブ連盟に言及せず、強制行動は好ましくないと述べる。

 中国がこれらの問題に反対する背景には、中国が自国の国内問題に対する国際的な批判を受け入れないことがある。ただし、大国主義を露骨に表明し、小国を脅していた90年代に比べ、多少は洗練された理屈づけとなっていた。この結果、中国の理屈は、かつて経済権益を優先して南アフリカへの経済制裁に反対し、ミャンマー問題にも強い態度をとろうとしない日本の言葉遣いと類似することとなった。

 1870年代半ば以降、一部の先進国が、開発途上国を含めた国際協調から自分たちの間の国際協調へ転換した。これを象徴するのがG7で、当初、米国のみならず英仏も米国とともに拒否権を投じることが多く、先進国の国連離れが表れていた。しかし英仏は、89年を最後に30年以上拒否権を投じなくなる。

 八九年の拒否権は、「米国によるパナマにおける軍事介入を強く非難する」決議に対して米国とともに投じられた。米国は、当時のノリエガ将軍が軍事独裁であり、その行動は集団的自衛権の行使であり、パナマ国民からも支持されていると主張した。ブッシュ・シニアとゴルバチョフが冷戦の終結を宣言してから20日後の12月23日のことだった。仏は、軍事力の行使は遺憾だが、決議案がノリエガ体制を支持していることを問題にし、英もノリエガの違法性を訴え、米に寄り添った。

 その後、拒否権を投じなくなるが、ここで見逃せないのが、93年にEUが発足したことである。EU内における加盟国の平等と協調が、拒否権の行使に影響を与えている。

 これに対してヨーロッパのような仕組みを欠いた米国では、保守派が反国際協調を強め、特に、国際的な人権基準や環境基準などの受け入れを拒み、パレスチナ問題への反対を続ける。さらにトランプが先進国間の協調すら拒否したために、「国際協調」とは先進国間の協調を意味するものに変わってしまった。

 これは新冷戦なのか。覇権的な大国が自分勝手な理屈を掲げて対立し、それに小国が振り回される点では似ている。しかし米中がともに十分なイデオロギー(理念と言い換えた方が良いが)を示していない点で異なる。米国も中国も、世界に向けて語る言葉の質が劣化している。そしてこの両国とよく似ているのが、国際基準を拒む上に、右傾化して他国が理解できない行動を繰り返し、域内協調にも向かわなかった日本である。

 そのような中で中国が、かつて切り捨てた南に接近している。これが日米などの南に関する言及に繋がっていることは、皮肉である。

 しかし、日米中とも、南を行動主体として尊重しているのではなく、単に自分たちの言うことを聞かせようとしているに過ぎずない。だからこそ、日米中とも国際協調の意味をG7や一帯一路に狭めて、南が発言力を持つ国連には目を向けない。国際協調の内実として問われなければならないのはこのようなことだろう