【進歩と改革2021年5月号】掲載


天皇制と戦争放棄

 菅政権にスキャンダルが続き、改憲は表舞台にはない。しかし政権内には、4月の訪米をきっかけに支持率の浮揚を期待する声もあると伝えられる。これまでも、米国の政権と良い関係を築くことができれば支持が回復してきており、このような思惑も可能性が低いとは言えない。その場合、憲法施行75周年を迎える2022年へ向けて、一挙に改憲への動 きが進むこともあり得る。そこで今回は、よく知られていることではあるが、日本外交から見た日本国憲法制定時の様子を整理する。

 1945年10月11日、外務省は「帝国憲法改正問題試案」を作成し、「天皇ハ帝國肇國ノ大精~ニシテ本制度ノ除去ハ日本帝國ノ滅亡ナリ。如何ナル事態ニ相遇スルモ本制度ノ維持確立ハ帝國存立ノ絶對的基盤」であることを改めて表明した。軍国主義の緩和は、これを「制度」と公言したこと、つまり天皇機関説を唱えたことに見られる程度だった。

 その上で、改憲の方向性として、「從來 天皇ト國民トノ中間ニ存在スル機關ニシテ法律上責任ヲ有セズ而モ國民トモ何等關係ヲ有セザルモノ相當存在シ(例ヘバ内大臣、樞密院ノ如シ)……立憲君主ノ政体ハソノ本來ノ姿ヲ損ハルルニ至レリ」と主張し、同時に示された「憲法改正大綱案」で、「天皇ノ地位ニ関スル現行憲法ノ建前ハ之ヲ堅持スルコト (國体ノ護持)」「「君」ト「萬民」トノ間ニ介在シ來レル従來ノ不純物ヲ除去スルコト(一君萬民ノ政治)」とした。天皇親政、つまり「昭和維新」を唱えて繰り返されたテロ活動などの主張が、初めて政府の公式見解となったとも言い得た。

 12月8日、衆院予算委員会で松本烝治・憲法担当国務相が憲法改正四原則に触れ、「天皇ガ統治權ヲ總攬セラルヽト云フ大原則ハ、是ハ何等變更スル必要モナイシ」と表明し、翌日には「天皇制ガナクナレバ民主主義的ニナリ得ルト云フヤウナ考ヘハ、絶對間違ヒ」、「ドコマデモ憲法ノ天皇ヲ統治權ノ總攬者トシテ居ルト云フ主義ヲ守」ると断言する。

 もちろんこれらは日本内部の議論に過ぎなかった。米国務省が「日本の公的カルトだった国家神道」(The Department of State“Occupation of Japan - Policy and Progress -?.1946)と断じたように、日本軍国主義は狂信的な宗教国家だった。そしてフライシャーが述べたように、「日本との和平を築くことは、我々の歴史の中でこれまで直面した中で も最も難しい課題の一つ」で、その「主要な問題の一つが天皇をどうするか」だった。ただし、「天皇とその基盤を廃止しなければ新たな戦争の種がまかれると、恐れ」る意見がある一方で、「(天皇を)取り除こうとすると憎しみと復習の精神を生み出し、日本が十分に回復したとたんに新たな戦争を起こすことが確実だと信じる者もいる」(Wilfrid Fleisher, “What?to?do?with Japan?. 1945)。天皇を守るためには自爆攻撃も辞さない異常な体制をどうすれば無害化できるか、まさに歴史的な難問だった。

 統治を進めなければならない当事国として米国は天皇制維持を容認したが、連合国の対日政策の最高決定機関である極東委員会が発足すると、米国一カ国で方向性を決めることが難しくなる。GHQはその前に日本の民主化の基本方針を確定する必要があり、時間に余裕がなかった。

 12月15日、GHQは国と神道の分離を指令し、46年1月1日には天皇が神格化を否定するが、それにもかかわらず46年2月1日に毎日新聞がスクープした改憲案は、明治憲法の「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」を「天皇ハ至尊ニシテ侵スベカラズ」と変える程度だった。

 2月26日の極東委員会発足を控えた13日、GHQはこの案を拒否して、独自の草案を示す。米国は天皇制を残すために、民主制の明記や戦争放棄を求めたのである。

 20日、幣原首相は枢密院で、「極東委員会が日本の今回の憲法草案が突如発表されたことに対し不満の意を漏らしているようである。……これ等の状勢を考えると、今日このような草案が成立を見たことは、日本のためにまことに喜ぶべきことで、もし時期を失した場合にはわが皇室の御安泰の上からも極めて懼るべきものがあった」と改正案を説明する。 吉田茂も、2月21日にマッカーサーが幣原に「『何とかして天皇の安泰を図りたいと念願している。しかし極東委員会の日本に対する空気は、想像も及ばぬほど不愉快なものであり、ことにソ連と濠州は極度に日本の復讐を恐れているらしい』といい、総司令部草案は、天皇制護持を念願したもの」と述べたと記した(吉田茂『回想十年』1957年)。

 とはいえ、天皇制の存続は統治当事者である米国の方針に過ぎず、国際的には簡単に認められない。7月2日、極東委員会は「日本の新憲法のための基本原則」を発し、「日本の最終的な政治形態は日本人の自由に表明された意思によって確立されるが……日本人は天皇制を廃止するか、またはより民主的な線に沿って改革するよう勧告されなければなら ない。もし日本人が天皇制を存続しないことを決めるのならば、天皇に対するセーフガードは必要ない」と全会一致で採択することになる。

 17日、GHQ民政局のケーディスは入江法制局長官らと会談し、「マ元帥としては是が非でも天皇を擁護し、その爲に戰ふこと決意してゐた。……然し、マ元帥と雖も全能者ではなく、當時の情勢の儘では何時迄も天皇を擁護し得なかつた」、「明にマ元帥が全幅の賛意を表明したところの新憲法草案の意味と現在議會に於て討議されてゐる憲法の有つ意 味とが全くかけ離れたものになつてしまつてゐる。……司令部としても此の憲法を聯合諸國に對して辯護するのに非常に苦しい立場に置かれる」、「天皇を除去せよとの要求を斥ける唯一の方法は國民が何時でも欲するならば天皇を除去し得る道を拓いて置くこと」と表明した(「憲法改正案に關する會談の件」)。

 45年2月14日、近衛文麿は有名な上奏文で、「敗戦は遺憾ながら最早必至になりと存知候……国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起こることあるべき共 産革命に候」と述べていたが、結果的にその1年後に、天皇制を維持するために民主制や戦争放棄の方針が決められたことになる。この間に東京大空襲、沖縄戦、原爆投下など、多くの人命、自然環境、文化財などが失われた。そうした経験を経た上でやはり天皇制維持のために戦争放棄まで認めたのである。

 天皇制存続のためのセーフガードだった戦争放棄の修正が何を意味するのか、国際的、外交的な視点からも、もう少し議論があるべきだろう。