【進歩と改革2021年12月号】掲載


外務省出身最高裁判事

 今回の総選挙では最高裁判事の国民審査についても関心が集まった。しかし、15人の判事のうち、1、2名が行政官出身者に当てられていること、特に外務省出身者、中でも国際法局長(2004年までは条約局)経験者が多くを占めていることにはあまり注意が寄せられなかった。

 これが問題になるのは、外務省が単に事務としての外交を担当するだけではなく、日本政府全体が憲法の制約を逃れる上で重要な役割を担っているためである。外務省は「条約その他の国際約束の締結」を権限の一つとしていたが、「その権限の行使」の根拠には「条約、確立された国際法規及び法律」が挙げられていた。つまり政府は、自らが締結した条約に基づいて権限を行使でき、その条約を解釈し実施する権限も持つ。憲法と安保条約の二重構造などと呼ばれる日本政治の背景である。

 この二重構造を決定づけたのが最高裁が示した統治行為論で、59年12月16日に出されるが、新安保条約が署名されたのは1ヶ月後だった。その後も、沖縄の基地問題など、条約と国内法のどちらが優先するかが問題であり続けている。

 今回の審査では、国際法局長や駐英大使などを務めた長嶺安政が対象となったが、彼は2021年2月に判事となったばかりで、判断材料が乏しく、その是非は注目されなかった。また彼の前任者と言うことができる、国際法局長や駐英大使を務めた林景一元判事は2017年の総選挙の際に国民審査を受けたが、彼も同年4月に判事となったばかりで判断材料がなく、本格的な国民審査を受けずに定年を迎えた。なお、林の後任の国際法局長が、安倍政権が憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認するために内閣法制局長官に任命した小松一郎である。このような視点から、今回は、林の最高裁における活動を紹介しよう。

 東京メトロの子会社であるメトロコマースが展開する地下鉄構内の売店の元契約社員が、退職金、手当、時間外労働の割増率などが正社員と異なることを訴えた。東京高裁は、支給されなかった退職金について、10年以上勤続した社員には正社員の25%程度は支給すべきとの判断を示した。同一労働同一賃金に関して注目すべき判例だった。

 この上告審は15人の判事全員が参加する大法廷ではなく、5人の判事からなる小法廷が扱ったが、ここで裁判長を務めたのが林だった。2020年、最高裁は、正社員と契約社員では職務が異なること、正社員への登用試験制度があることなどから退職金の不支給は不合理とまでは言えないと、高裁判決を覆した。林も、長期雇用が想定されており、職務内容が実質的に異ならない場合には不合理となることもあると補足して、この判決を支持した。反対は今回審査を受けた宇賀克也だけだった。

 もう一つ注目された判決が那覇市の孔子廟に関するもので、那覇市が公園内の土地を孔子廟に無償提供したが、これは憲法の政教分離に反するとして訴えられた。

 第一審の陳述書によれば、原告は1967年に「日教組に反対する運動」を「最初の市民運動」として始め、その後も「多くの保守系の市民活動に関わ」り、2016年からは「ネットTVチャンネル桜の沖縄支局で水曜と金曜の番組キャスターを務めて」おり、「国からの一括交付金を使って那覇市の玄関にあたる若狭緑地に巨大な『龍柱』が設置される」との報に「衝撃を受け」、「尖閣で日中間の緊張が高まっています。若狭緑地と孔子廟に建つ4本爪と5本爪の龍柱は中国共産党が虎視眈々と狙っている沖縄侵略の象徴のように思えました」とも表明していた。

 那覇地裁では全面敗訴だったが、高裁で差し戻された。差し戻し審では使用料を取らないことは違法とされ、控訴審でもこれが確認された。これを受けて2021年2月24日、最高裁大法廷が判決を出し、「市と宗教との関わり合いが……憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当すると解するのが相当」として、元々の原告の全面勝訴となった。

 ここで唯一反対したのが林だった。彼は、「信仰に基づく宗教行為というよりも、代々引き継がれた伝統ないし習俗の継承であって、宗教性は仮に残存していたとしても、もはや希薄であるとみる余地が十分にある」とその理由を述べた。

 この裁判はいわゆる反中、中国警戒論の流れの中にある動きだったが、右派にとっては単純にこの判決を歓迎できない面があった。これが津地鎮祭訴訟で示された、政府や自治体の宗教活動に対する緩やかな判断を逆転させる可能性があるためである。だからこそ、右派の産経は「『違憲』が独り歩きしては困る。今回の判決を盾に、社寺の伝統行事などにまで目くじらを立てるような『政教分離』の過熱化は避けたい」「首相ら公人の靖国神社参拝や真榊奉納に『政教分離』を持ち出す愚も避けるべきだ」(2月25日「主張」)と釘を刺す。判事はこれほど露骨な意見を書くことはできないが、林の反対意見の背景だったと言えよう。

 チャンネル桜は2004年に設立された右派メデイアだが、13年には初の支局として「沖縄支局」を設置していた。沖縄戦の歴史を持ち、今も在日米軍基地の70%を抱え、安倍政権などと激しく対立する一方で、尖閣問題などでは中国警戒論も根強く、同時に台湾や中国からの観光客が多く訪れる沖縄を重視してきたのである。この問題も度々取り上げており、最高裁で勝訴した際には、担当した弁護士が番組内で林の反対意見に次のようにコメントした。

 「政教分離の問題は何せ靖国神社……我が国の国体としての神社の信仰のあり方あるいは共同体の祭祀のありかたという問題と密接に結びついた問題」、「単に形式的に宗教だからということで結論をつけなかったあるいはそういう点について反対意見が出たと言うことは、大変この問題を考える上にでも、また深めていく上にでも意義のある判決」。林の反対意見の意味をよく承知しており、この訴訟が靖国などに影響を与えることに警戒していた。

 71年1月12日に判事となった下田武三前駐米大使が尊属殺人の違憲判決に唯一反対意見を表明したのを代表として、外務省出身判事が示すこのような例は他にも多い。また下田の判事就任は、密約のあった沖縄返還に関する国会審議が進む中のことだった。さらにこの密約に関する公電漏洩について西山太吉元毎日新聞記者が逮捕されるが、その裁判を担当した小法廷の判事の一人が、元外務官僚の藤崎萬里だった。

 最高裁判事に行政官枠があり、特に外務官僚が取り立てられていることはもっと注目されるべきである。