【進歩と改革2021年1月号】掲載


中国の「自由化」

 香港やウイグルから軍事、経済に至るまで、中国への警戒が強まっている。しかしそれらの中国脅威論の中には、トランプのように自分への支持を集めるためのものや、日本右派のように日本軍国主義を正当化するための、意図的な批判も少なくない。このため、中国がそのよう な行動に出る背景については目が向きにくい状態も生まれている。

 このような議論の単純化は例えばトランプ現象についてもあてはまる。私は本誌で繰り返し、トランプの主張のどの部分が伝統的な保守派を踏まえており、どの部分がそうではないのかを指摘し、トランプと日本のリベラルが類似した主張をしていることも問題にしてきた。 しかし今でも保守多数派の主張などには必ずしも焦点が当てられていない。これではトランプが7000万票を超える得票を得た理由が見えにくくなる。

 中国に関しても同様である。中国がそのような行動をとる背景を考えずに一方的に批判しても、問題の理解にも解決にもつながらない。もちろん中国を擁護するつもりはなく、また中国研究者には常識的なことだろうとは思うが、あえてとりあげる。

 1976年、毛沢東による権力闘争だった文化大革命が終わり、78年12月に改革開放が決められ、中国の経済発展が始まる。 89年には民主化運動を弾圧した天安門事件が起こるが、92年にケ小平が改めて改革開放を表明する。しかし経済発展の矛盾も大きくなり、2002年に発足した胡錦涛政権は「和諧社会」を掲げ、格差の是正を中心的な課題に据えた。04年には憲法を改正して私有財産権の保護を 謳い、戸籍制度の改革にも着手した。

 中国では、都市への人口流入を制限するために、農村地域とされた地域に居住する者を農村戸籍として登録して移動を制限してきた。かし改革開放に 伴う労働力不足に対応する意味からも暫定的な都市への移住が認められ、3億人近い農民工を生んだ。彼らは低賃金で働く工場労働者として安い中国製品を支えただけではなく、都市のいわゆる3K仕事や飲食業なども担ってきたが、都市戸籍を持つ者が受ける医療や教育は受けら れず、農民工の子どもに特化した学校なども作られてきた。人口の5分の1がいわば2級市民となる異常な2元社会が生み出されてきたのである。この是正は不可避だった。92年にケ小平が発した言葉を借りれば、豊かになれる者から豊かになったので、豊かさを社会全体に広げなければならなかったのである。

 胡は賃金格差の是正などを進めるが、それに留まらず、農村戸籍の都市戸籍への切り替えも進め、特に内陸の大都市である重慶 は2010年から戸籍の切り替えを始めた。これは、沿岸部の都市に集中する農民工を帰郷させて、格差是正のために内陸地域の開発を進めるための労働力として、さらには安定した消費人口とするものでもあり、特に人口減に至る中では重要だった。戸籍問題の解決は、格差の解消の面 からも経済政策の面からも、避けて通れないものだった。なお日本では、胡錦濤政権が発足した当時、中国における賃金の上昇が大きく取り上げられがちだったが、これは日本社会がもっぱら安い労働力として中国を見ていたことの反映だった。このような傾向は今も続いている。

 習近平政権も戸籍制度改革を推進し、14年には戸籍を一元化する方針を決めた。ただし農村戸籍により土地を耕作する権利が生じることから都市戸籍に移ることを嫌う者も多く、進んでいない面もある。中国は強権的と言われがちだが、単純にそのように断ずるのは早 計で、地方政府などの独立性の高さなどを含めてもっと多面的に見るべきである。

 また、戸籍制度とともに悪名高かった1人っ子政策の見直しも進められ、13年には夫婦のどちらかが1人っ子であれば2人目の出産が認められ、さらに15年には全面的な廃止が決められた。この背景に、急速に進む少子高齢化による労働人口の減少と高齢者問題があ ることは言うまでもないが、深刻な人権侵害と非難されてきた措置が撤回されたことは認めるべきである。民主化とまでは言えないが、少なく とも中国が「自由化」を進めたことは間違いない。

 19年に香港政府が提案した逃亡犯条例の改正、すなわち、容疑者の身柄を中国に引き渡せるようにすることも、このような中国における「自由化」を反映していた。この改正案については香港市民が台湾で起こした殺人事件に言及されることが多いが、中国側から見れ ば、1国2制度の下で香港やマカオが「国内」である一方で、中国で自由化が進んで人の移動が激しくなることは、香港やマカオが法の抜け道になるという深刻な問題を生んでいた。

 中国で自由が厳しく制限された状況が続いていれば1国2制度に大きな問題は起きない。1国と言いながらも実態は2国なのだから。しかし中国で自由化が進むことによって、1国2制度が持つ矛盾が明白になり、1国2制度とは何かが改めて問われるようになったと言 えよう。もちろん、香港市民がこのような提案に反発するのは当然である。しかし少なくとも、習近平が独裁を強めるから1国2制度が損なわれていると単純化することには、問題がある。

 03年に総理となってこれらの改革を進めた温家宝は、80年代に民主化を進めた胡耀邦や天安門事件で失脚した趙紫陽を支えた人物でもある。また習が重要課題として進める腐敗の取り締まりは天安門事件における学生の要求でもある。天安門事件は共産党の強権 支配の下で強制的に封印されてきたと言うよりも、共産党が天安門事件の教訓を吸収し、部分的にではあってもそれを実現してきた面も見過ごすべきではない。

 韓国が軍事独裁政権だった頃、日本政府は韓国政府と近い関係を誇り、特に中曽根は民主化運動を弾圧したチョン・ドファン政権に接近し、首相として初めて韓国を公式訪問した。しかし韓国が民主化した頃から逆に韓国との距離を広げ始める。キム・ヨンサムが選挙で えらばれた文民として大統領となった93年は、細川内閣の成立をきっかけに日本で歴史修正主義の動きが強まる時でもあった。同様に中国が自由化する中で、中国との距離も拡大している。

 中国の民主化がなお遠く、香港やウイグルなどから目を背けてはならないことは言うまでもないが、このような日本政府の姿がこれらの問題をむしろ歪めている面はないだろうか。菅政権は、日本学術会議を中国社会科学院のように政府の指図で動く組織にしたいらし いが、もしかしたら、中国化を進める日本と自由化を進める中国が逆転をする日が来るのも、遠くないかもしれない。