【進歩と改革2020年12月号】掲載


食料の権利

 2001年、国連総会が初めて「食料の権利」と題する決議を採択した。提案国は最終的に日独伊などの先進国を含めて90カ国を超えた。提案説明をしたキューバは、 人権問題を審議する総会第3委員会で、8億人以上の人々が十分な食料を得ていないことを指摘し、技術資源および財政資源を動員してこのような状況を根絶する必要性を訴えた。

 委員会での投票結果は賛成146に対してイスラエルと米国が反対、オーストラリアとニュージーランドが棄権した。米国はこの年に発足したブッシュ政権で、 提案説明は11月20日で投票は11月27日、9・11の余韻が残り、米国がアフガニスタンを爆撃する中で行われた。本会議では賛成が169に増えたが、反対と棄権は変わらなかった。

 米国は、「食糧安全保障のための最善の道は食糧生産を拡大し、成長する開かれた市場を推進する、確実な政策の採用」と、自由貿易の理念を述べた上で、この決議案が市民がそ の政府から直接食料を受け取る権利を有し、その権利が損なわれたと考える個人に対して法的救済が与えられるとしていることを、反対の理由に挙げた。ニュージーランドとオーストラリアも、 開発を推進し貧困を根絶する上で自由貿易が重要である旨を棄権理由に挙げた。

 02年には賛成176、反対1、棄権7になり、消極的な票がやや増加したが、イラン戦争により世界的に混乱が深まり、特に開発途上国が大きな影響を受けた03年には176‐1‐2に、06年には 185の賛成に対して米国のみが反対を投じることとなった。また07年の決議から、世界食糧計画が資金難により活動を縮小せざるを得ない状態にあることを訴えるようになる。 そして09年からは無投票で採択されるようになった。リーマン・ショックにより世界的な経済危機が招来したことが議論の状況を変えたのではない。オバマ政権が成立したのである。

 しかしトランプ政権の登場がこの状況を覆し、米国は改めて反対票を投じる。17年には187‐2‐10になるが、この年、投票に付された決議で最も賛成を集めたのはアラブ地域の国連 人権訓練センター決議で、188‐0‐1、棄権は、人権政策が国際的な非難を集めていたシリア、次いで187‐0‐0で採択された障害者の権利条約の履行決議だった。

 19年には食料の権利が最も賛成を集めた決議となった。しかし米国は、「国際社会は現代史において最も甚大な食糧危機に直面している」、「誰もが、食糧 を含む適切な生活水準を営む権利があることを支持する」と述べながら、「食糧主権の考え方が保護主義や輸出入を制限する他の措置の正当化に使われること」などを理由に反対した。 ただし、米国が中国に対して追加関税をかけ、中国も報復関税でこれに応じ、さらにファーウェイの通信機器を使用しないように各国に求めるなど、米国自身が貿易制限措置を用いて露骨に 「ディール」を繰り広げ、それが泥沼化する中でのことだった。

 国際協調を否定するブッシュ政権の単独行動主義は国際的な批判を浴びていたが、それでもまだそれなりに他者に語るだけの理念があり、その理念を露骨に否定はしなかった。 しかしトランプ政権下ではもはや建前上の理屈すらなくなった。

 食料の権利自体は、古くから国連機関の中で言及されてきた。例えば1973年に総会が「平和及び社会開発のための科学技術の進展の利用」に関して国連事務総長に報告を求め、 75年にこの報告が提出されたが、ここで事務総長は、科学技術の発展が食料の権利に与える食糧汚染などの悪影響を指摘していた。

 当時は、南の立場から、経済から文化に至るまで世界の秩序の在り方そのものを根本から問い返す激しい動きが展開していた。その中で食料の権利も指摘されたのである。この頃は、国連機関の事務局はこの議論のいわばシンクタンクとしての役割も果たしていた。この事務総長の報告もその一例だが、これに対して特に米国保守派は国連が政治化していると批判し、その弱体化を図る。

 冷戦が終わり、国連の外で軍事化を強めていた米ソなどが改めて国連の利用を始めると、国連を軍事の方向に引っ張るのか、経済社会分野を重視するのかが重要な意味を持つ ようになる。開発途上国の多く、北欧など国際協調を重視してきた一部の先進国、NGOなどは後者に、日本はもちろん前者に属しており、安保理常任理事国への願望を露わにする背景でもあった。 これは、いわゆる新自由主義の動きと冷戦が積み残した問題を改めて問い直す動きがせめぎあったと言っても良い。

 この中で経済社会分野において「食の権利」が改めて提示される。ただしそれは資本主義対社会主義のような大構想をめぐる議論の一部としてよりも、誰も反対できない当たり前の問題としての性格を強く持った。

 この結果、資本主義に未来はあるか、新自由主義とは何だったのか、などの根本的な問いが先進国の中でも盛んに投げかけられるようになりながら、国連でこれらが具体的に議論されることは減る。国連において表面的な合意が高まる一方で大議論は取り残されることになる。

 しかし、国際協調を嫌うブッシュ政権の誕生と9・11などの結果、急速に米国が軍事化する中で、食糧の権利のような当たり前の問題もそのようには位置付けられなくなる。2015年には持続可能な開発目標(SDGs)が採択されるが、これも七〇年代のような大議論の成果と言うよりも、あえて言えば誰もが認めざるを得ない交通安全の標語のようなものと言うことも出来た。ところがそれすらも否定されるようになったのが、この数年間である。

 合意の高まりも単純に好ましいとは言えない。16年2月号で、国連においてテロに関する合意が高まる一方で、パレスチナ問題の進展がないばかりかむしろ後退していることが、人々の政府への幻滅を深めて原理主義の台頭を招くことを指摘したが、これはここにも当てはまる。

 世界食糧計画がノーベル平和賞を受賞した。もちろん、米国自身も認める食糧危機に加えて新型コロナ・ウイルスの影響が加わり、それだけ事態が深刻化していることの反映である。 しかし言うまでもなく、この受賞は新たな問題に光を当てるようなものではない。食料の権利問題だけを見ても、総会で決議されるようになってすでに20年近くが過ぎ、この間 にこれだけ国際的合意が高まっているのだから。国際協調が露骨に否定される中で、これほどの合意が達成されている問題が受賞したことに、ノーベル委員会の迷いの深さが表れているようである。