【進歩と改革2020年10月号】掲載


国連創設75年をめぐって

 第2次世界大戦の終結75周年である今年は、戦争の記憶の継承に留意されることが多い。しかし高齢化のために、語られる戦争の経験の中心が幼少期の苦しい記憶となる傾向が一層強まっており、日本軍国主義が世界に惨劇をもたらしたことを意識的に語る必要が高まっている。

 10月24日、国連は発足75周年を迎える。国連憲章検討会議は4月25日にサンフランシスコで始まり、6月26日に閉会した。一方、米軍が沖縄本島に上陸したのが4月1日で、組織的戦闘が止むのは6月23日であり、国連は沖縄戦の中で作られたとも言い得る。そこで、国連創設会議の議事録から紹介する。

 この会議に参加したアジア諸国は、参加国の関心を太平洋に向けることに力を入れた。開会から5日後の4月300日にはヒトラーが自殺する状況で、ヨーロッパはすでに解放の喜びに沸いていたのである。しかもアジア諸国の多くは未だに独立 しえておらず、この会議に参加した南アジア以東の諸国は、中国、インド、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国に留まった。

 さらに、ヨーロッパ諸国にとっては、古代ローマ帝国以来、ヨーロッパ文明の基盤であり続けたイタリアにおいてファシズムが形成され、ルター、バッハ、ゲーテ、ヘーゲルらを生み、特に近代以降のヨーロッパ文化の柱の一つを形成してきたドイツにおいてナチズムが支持されたことは大きな衝撃だが、それに比べれば、極東の島国で異常な侵略体制が生まれたことへの関心は低かった。日本右翼的な言い方をすれば、ヨーロッパ中心でアジア軽視である。

 世界に日本の侵略を訴え続けながら十分な支援を得られなかった中国が、「第2次世界大戦は1931年に日本が満州を侵略した時に始まった」と強調し、「この悲惨な戦争が勃発した時に、連盟理事会常任理事国は誰も戦おうとせず、連盟規約を機能させず、連盟の集団安全保障が最終的に失敗したのはなぜか」と訴える背景である。日本は連盟理事会の常任理事国だったが、日本が常任理事国であることの危険性を誰よりも痛感していたのは中国だった。

 インド代表団を率いたのは、後に国連経済社会理事会初代議長を務めるラマスワミだったが、インドは対日戦争で大きな犠牲を払っていない。「この戦争が最初に1931年に始まった時、民主的な国々がとるべき態度に迷っていた時、……インド人は中国に共感を示すことに躊躇しなかった」と発言するに留まった。

 このような中で直接的に太平洋に言及したのはフィリピンやオーストラリアだった。首都マニラが壊滅させられるなど日本の直接の犠牲者となったフィリピンは、「我々は、人類がこれからも存在できるのかそれとも新たな世界の惨状の中で一掃されてしまうのかを決めるために集まっている」と演説を初め、「困難に襲われた太平洋の一員として、……我々の目標を達成するためのこの会議の議論がなければ、我々は新たな世界の激変に備えなければならない。我々が失敗すれば、太平洋を大渦に巻き込む新たな世界戦争を目撃することになる」と、ドイツの降伏で事態が終わるのではないこと、日本軍国主義の復活を防がなければならないことを繰り返し呼びかけた。

 オーストラリアも「ヨーロッパのファシズムが破壊されても、もう一つの野蛮な侵略者、日本が降伏しなければならない」、「ヨーロッパ諸国が太平洋に関わらなければ太平洋諸国がヨーロッパに関わることができないこと、平和と安全は(地域で)分けることができないことを、我々は苦い経験から学んだのである」、「神聖な国際義務をどのように軽視するかを日本が最初に他のファシストの侵略者に教えた」と、ヨーロッパへのアピールを重ねた。

 オーストラリアは広大な面積を誇るが、当時の人口は約1000万人に留まり、日本の侵略に怯えており、「新たな各国の団結は、ファシズムがいかなる形で復活し、世界平和に直接何らかの脅威を与えた際に、 効果的かつ容赦なく対応できるものでなければならない」とも主張した。

 なお、こうした状況は日本国憲法にも反映した。46年2月20日、幣原喜重郎が枢密院で憲法改正案を説明するが、これについて「(日本統治の最高決定機関で、オーストラリアなども参加する)極東委員会 が日本の今回の憲法草案が突如発表されたことに対し不満の意を漏らしているようである。……もし時期を失した場合にはわが皇室の御安泰の上からも極めて懼るべきものがあったように思われ危機一髪ともいうべきものであった」 (佐藤達夫『日本国憲法成立史』第3巻)と語り、翌日マッカーサーが幣原に対して「『何とかして天皇の安泰を図りたいと念願している。しかし極東委員会の日本に対する空気は、想像も及ばぬほど不愉快なものであり、 ことにソ連と濠州は極度に日本の復讐を恐れているらしい』といい、総司令部草案は、天皇制護持を念願したものである」(吉田茂『回想十年』)と述べたと伝えられ、さらに7月2日の極東委員会が「日本の最終的な政治形態は日本国民の自由に表明された意志によって決定されなければならないが……日本国民は、天皇制を廃止すべく、もしくはそれをより民主的な線にそって改革すべく、勧告されなければならない」と表明することなどは、もう少し注意されても良い。

 この中でニュージーランドは、「全ての加盟国は、いずれかの国に対する侵略行動に集団的に抵抗する」権利を持つよう憲章を修正することを提案した。 日本軍国主義の侵略の前では、巨大な国土と人口を誇る中国が後退を続け、広大なオーストラリアも警戒している。ましてやニュージーランドはひとたまりもなく、 せめて集団的抵抗権が認められなければ存在し得ない、それを形にしたのがこの修正案だった。太平洋は、なお定まらない日本軍国主義の行方に怯えていた。この修正案は過半数の支持を得るが、 事前に確認されていた修正案の採択に必要な2/3に達しなかった。これを受けて、無制限の権利としてではなく、国連軍が発動するまでの限定的権利として規定されたのが集団的自衛権だった。

 地球温暖化の否定などの反科学が米国で根強く支持されているが、日本ではこれが理解を超えた問題として報じられることが多い。しかし同様のことは日本にも見られる。 安倍、吉村大阪府知事、川村名古屋市長らの反歴史的な姿勢も、国内でのみ通用する非論理的な状況に他ならない。そして反科学も反歴史も冷戦終焉後、国連が50周年を迎えた頃から勢いを増している。では、100周年をどのように迎えるか、問われているのは私たち自身のこれからである。