【進歩と改革2020年7月号】掲載


安倍政権支持率低下の背景

 4月号で若者の内閣支持低下の可能性に、6月号で政権交代に言及したことについて知人から問いあわせがあった。4月号の原稿を書いた2月下旬には未だ内閣支持率が高く、6月号の原稿を書いた4月下旬も検察官の定年延長をめぐってSNSが沸騰する前だったが、なぜそこまで踏み込んで書くことができたのかと。

 確かに、4月号の発行後に行われた朝日新聞の3月の世論調査では、若年層どころか、世代別で最も支持が低かった60歳代や70歳代でも支持率が上昇していた。そのような中で支持低下に言及した根拠は何かと、知人は聞いてきたのである。

 また検察問題をめぐる支持率の低下に関して、コロナ禍による「巣ごもり」状態で政治に関心が向いた、政権の恣意的な姿勢にさすがに批判が集まった、国民に寄り添わない姿勢が怒りを招いたなどの論評もなされているが、私は政府に対する世論の基本的な状況はコロナ前から大きく変わってはいないと考えている。このため、単純に政治への関心の高まり等と認識しては今後の対応を誤る可能性が高く、早急に対応を進めなければ政権交代の機会を失うばかりか、安倍以上に民族主義的な政権の誕生にもつながる。そこで連続するが、政権支持について考える。 検察問題が民主制の根幹に関わることは言うまでもない。しかし、恣意的に国有地が売却されそうになった森友問題や、恣意的な学校設置認可が進められたと思われる加計問題などに比べて著しく異常で、世論の関心を引きやすいとは言えない。政治に関心を持たない層の目の向けやすさでは、財務官僚を自殺にまで追い込んだ森友問題の方が際立つ。

 しかし、3月18日にこの職員の妻が国と佐川宣寿元同省理財局長を提訴し、週刊誌がその手記を報じても、政権幹部は軽視した。事実、4月18、19日の調査では支持と不支持が41%で拮抗したものの、手記発表前の3月14、15日に行われた調査よりも若年層の支持率が大きく上昇していた。そして、コロナに対する政府の対応全般や安倍の指導力については否定的な評価が上回ったものの、16日に全国に拡大した緊急事態宣言については評価するが88%に達していた。また、森友問題について再調査すべきだと答える割合は72%を記録し、不要と答えた17%を圧倒したが、朝日自身が、緊急事態宣言、アベノマスク、10万円一律給付などのコロナ対応を問うた後の、最後の設問だった。16日に衆院で審議が始まった検察庁法改正には、設問もなかった。

 そこで、「巣ごもり」が影響を与えたとの論評もなされることになる。確かに朝日の5月23、24日の調査では、コロナ問題以降に政治への関心が高くなった答える者が四八%に上る。しかしこの調査でも、コロナの感染の再拡大について、大いに心配している45%、ある程度心配している四七%、生活が苦しくなる不安を感じるが59%、感じないが39%、政府の経済支援策を評価する32%、評価しない57%などが設問されているように、設問者も回答者も、主要な関心はコロナ禍がいのちとくらしを脅かしていることに集まる。加えて「あなたは、新型コロナウイルスをめぐる安倍首相の対応を見て、首相への信頼感は高くなりましたか」と設問しているが、高くなったの5%を48%の低くなったが圧した。設問者と世論の両方がいのちとくらしに関心を集めていた。

 前号でも指摘したように、経済状況がそれなりの状態にあり、生活の危機が身近に感じられない限り、政府への不満は大きくならない。しかしコロナ禍はまさにこの両者を直撃し、2月末の時点でも今後の経済状況の悪化は明白だった。そしてそのような中で政権がお粗末な対応を重ねれば、当然に信頼感は損なわれる。私が若年層の支持率低下や政権交代の可能性にまで言及したのはこのためである。当然の判断だった。 ここで私が注目したいのは、吉村洋文大阪府知事知事への評価の高さである。吉村は営業を続けていたパチンコ店の店名を4月24日に発表するなど強権的な姿勢を示した。このような制裁措置を特定の業界をねらい打ちにしてとることは問題があったが、これは支持を得て、多くの知事が後を追うことになった。そして、毎日新聞が5月6日に行った調査では、コロナ対応で最も評価されている政治家として吉村の名を挙げた者が188人で1位となり、2位の小池百合子東京都知事の59人、3位の安倍の34人、4位の鈴木直道北海道知事の26人を圧した。

 吉村や小池への評価の高さの理由として、発信力の高さや、緊急事態宣言解除に向けて単純化した大阪モデルを示すなど、わかりやすさに重点を置く姿勢も指摘されるが、ここで重視すべきは、世論の関心があくまでもいのちとくらしにある点である。だからこそ、これらの問題に積極的に取り組んでいると見なされる吉村や小池への評価が高まることになる。その際には、パチンコ店名の公表などが伴う問題は不問にされ、むしろ吉村の積極的な取り組みとして高い支持を集めることになる。

 一方で吉村は、大阪市長時代に、大阪が姉妹都市協定を結んだサンフランシスコで新たに慰安婦像の設置に向けた動きがあると批判し、18年には一方的に姉妹都市協定の解消を通告するなど、極右的な姿勢を露わにしてきた。しかしこうしたことが選挙で問題となることはなく、報道機関も重視してきたとは言えず、府知事選を圧勝した。この間、維新は、19年5月に丸山穂高衆院議員が北方四島に関して「戦争でこの島を取り返す」等と発言して除名され、20年1月には下地幹郎衆議院議員が収賄疑惑で除名されるなど、その右翼的な姿勢が生み出す汚点が繰り返し表面化していたが、高評価の妨げにはならなかった。同様のことは都民ファーストの会にも当てはまる。

 一方自民党への支持も2月の34%から5月の26%へと大きく下落したが、それが野党支持に向かうわけではなく、そのまま支持政党なしに移動している。その中で政党の政策立案能力を問わないままで危機に強い印象を与える政治家個人への支持が高まることは、人治への傾斜を強める。加えて維新や都民はそもそも政党の政策能力が弱く、安倍一強どころではない事態が生まれる。

 もともと、いのちとくらしを通じた政治への関心の高まりは、民族主義的に収斂する傾向も強い。そしてその不安は、しばしば共同体の外へ向けられる。この民族主義的収斂を防いできたのは憲法への支持だったが、これが揺らいでいる。私が外交を問題にしなければならないと繰り返すのはこのためである。

 橋本、小泉両政権で首相補佐官を務めた岡本行夫元外務省北米第一課長が亡くなった。これに対して朝日が「情熱の外交、日米から惜しむ声」と見出しをつけて報じるなどその業績に対する賛辞と惜別が駆け巡った。しかし彼は政権の立場から日本外交の枠を広げたのであり、単純に賛辞は送れない。朝日が、吉元政矩元沖縄県副知事の「政府側の代表としては成果を残したと思うが、県民の理解は得られていない」との言葉を紹介している通りである。そして朝日自身がこの指摘に答えずに賛辞を書き連ねている。それは、日本リベラルの関心が基本的に右派と変わらないことを意味している。

 経済的関心が民族主義的に収斂する典型的な例の一つがトランプ支持層だが、だからこそ米国のリベラルは外交政策に関して最も強くトランプに対抗する。しかし日本ではそもそも基本的な姿勢に違いがない。SNS世代の関心は自分を中心に半径二メートルに収まるなどといわれることがあるが、リベラルの関心も外へ向かわない。このような中では、政権交代が吉村らをめぐって展開することもあり得る。それは日本リベラルが存在しなかったことを意味すると言っては言い過ぎだろうか。