【進歩と改革2020年6月号】掲載


安倍政権の混迷

 4月号で、「(コロナ・ウイルス)問題が経済の減速を加速させ、すでに始まっている就職活動にまで影響を与えることになれば、若者の安倍批判は一挙に高まるだろう」と書いたが、事態は私の予想以上に進行している。安倍が混迷を深めて、自ら批判を招きさらにはそれを加速しているためだが、野党の側が十分に対応しているとは言い難い。

 有権者、特に若者は、非民主的な安倍を積極的に支持しているわけではない。もっぱら経済状況と危機管理への評価が背景にあるが、念のために言えば、このようなことは目新しくない。経済が好調で、現実に迫っているように思われる対外危機に政権が積極的に対応していると見なされれば、多少独裁的な政権でも支持される。これまではそれなりに国民の支持を得てきた中国政府も、一部の支持者から強い支持を享受するトランプも、同様である。

 では、経済と危機管理の何が良かったのか。日本経済が好調だった背景としては、中国が続けた巨額の公共投資と米国経済がリーマン・ショックから立ち直ったことが大きい。異次元の金融緩和と称して本来は財政上の禁じ手を連発したアベノミクスは、短期的には意味があったが、矛盾を拡大した面も無視できない。

 一方で危機管理に関しては、北朝鮮や中国に対する軍事的な問題に論点を絞ることに安倍が成功したことが奏功した。これにより、賛否が大きく分かれた集団的自衛権の行使容認などの問題についても支持を広げ、これを推進する外務省と歩調を合わせると同時に、外務省が安倍の右翼的な面をある程度押さえることにもなった。安倍は、悲願である集団的自衛権の行使容認のために、2015年の韓国との慰安婦合意や16年のパールハーバー記念館訪問など、本来は認めがたい行動も許容した。安倍と外務は同床異夢だった。

 そうである以上、その悲願を達成すれば、安倍が外務を遠ざけるのは当然だった。経産省を利用して2019年に韓国への貿易姿勢を一挙に右傾化させるなど、その右翼的姿勢が対外的にも解放されたのである。安倍自身も、自分は外交が得意だと自己陶酔していたのかも知れない。そしてこれは韓国のみならず日本経済にも悪影響を及ぼし、19年秋からその影響が出始めていた。安倍は自ら危機を拡大していたのである。

 そのような中で新型コロナ・ウイルスが一挙に危機を顕在化させ、経済と危機管理に関する政権の対応能力をあぶり出した。中でもお粗末なのは危機管理である。コロナ・ウイルス問題は、中国、韓国、欧州などですでに深刻な事態を起こしつつ、日本に関しては最初に感染者が見つかってから約2か月半の時間をかけて徐々に進行してきた。つまり、世界中で対応が迫られ、様々に試行錯誤が重ねられ、治療法の開発も大規模かつ組織的に進められ、社会的経済的な対応についても各国で措置が試みられ、それぞれの措置の効果と問題点が示されている。しかもこれは、秒単位の決断を迫るものではなく、少なくとも数日単位の時間の余裕を得て対応策を検討できる。

 これと対照的な例が福島原発事故である。何が起きているのかすら判然とせず、原発安全神話を掲げてきたために事故が起きることも想定されておらず、国際的にも事例の蓄積がない中で、まさに秒単位の取り組みが求められていた。しかもそれは広範囲に被害が及んだ東日本大震災への対応を迫られる中だったことに加え、リーマン・ショック後の経済的に疲弊した状況だった。これと比較すると、今回の問題は、感染予防措置、医療体制の整備、休業支援等の社会経済措置等のいずれについても対応策の前例が多くあり、検討時間も体制を整える時間も、十分ではなくとも、あった。困難な問題であることは言うまでもないが、危機管理の難しさとしては、福島原発事故の方が格段にレベルが高かった。

 しかもウイルス対応が遅れた原因の一つが、オリンピック頼みの無理な経済政策を展開してきたために、オリンピック開催に固執したことだった。遅れはしたが、その反面で対応体制を整えられたのならばまだしも、整えられたのは緊急事態宣言のための法整備に留まった。 そして皮肉にも緊急事態を宣言したことで、安倍の対応に焦点が集まることとなった。緊急事態でなければ、自治体や野党などへの責任転嫁もできたのだが。その上に安倍一強の下の政治主導が官僚の能力を弱めてきたことが、事態に拍車をかける。安倍がSNS上の評判に反応するだけの迷走が続く様子は、民主党政権の対応と比較しても無残でしかない。だからこそ支持が低下している。

 安倍政権の擁護に必死になる産経新聞が、トランプが反応するよりも早くWHO批判を繰り広げたのは、産経が安倍の対応のまずさを認識し、責任転嫁をしなければならない必要性を強く感じていたことを物語る。日米の保守派はこれを武漢ウイルスなどと呼びたがるが、それは、この出来事が日本ではアベノウイルスと呼ぶべきであり、米国ではトランプウイルスであることの裏返しである。

 ここで興味深いのは、事態が深刻化した国の中でも、中国、米国、英国、日本は、政権が独裁的で民族主義的な傾向が強く、しかも経済問題を背景にして支持を得てきた面が強い点で共通していることである。政権維持において経済が占める要素が大きいからこそ対応が遅れ、また民族主義的に国民を煽ってきたことが問題の原因を他国に求めると同時に自分たちは大丈夫だと繰り返すことにつながる。そしてこの2つの重なりが、事態をより深刻化させる。

 さて、世界経済は、国際通貨基金が1930年代の世界恐慌以来の危機と評し、原油先物価格がマイナスにすらなるような事態に至っている。かつてのバブル崩壊時には、その影響がもっぱら日本国内に限られた一方で世界的にはEUや米国の情報革命が注目を集めており、またリーマン・ショック時には中国が世界経済を支えたが、今回はそのような存在もない。そして日本に関しては、その上にさらにアベノミクスが積み重ねた矛盾が覆い被さる。

 このような中で政権交代の可能性も生じるだろう。ただしそこで、これまでリベラルが問うてこなかった外交と、問題にはしてきたが事態がかつてないほど深刻さを増している経済に関して、リベラルがどのような論点と対案を示し得るのかが問われる。そこで混乱をさらに深めることがあれば、より民族主義的な動きが強まることになるだろう。問われるのは日本の知性のあり方であり、単に政党の数合わせだけの問題ではない。そして、その機会の到来はそれほど遠くないかもしれない。