【進歩と改革2020年3月号】掲載


日米安保の論理
 1月19日、1960年の新日米安保条約署名から60周年を迎えた。17日には日米の外務防衛大臣による共同発表が行われ、20日には安倍首相が施政方針演説で改憲を国会に求めた。トランプ大統領の同盟軽視もあって、多くの解説がなされているが、米国から見た歴史的背景と現代的意味が欠けがちである。

 また2020年は国際連盟創設から100年、国際連合創設から75周年でもある。これらの周年が重なるのは偶然にしても、相互の関係は重要である。国際連盟から安保条約改定に至る中で、いくつかの出来事を列挙しよう。1920年、国際連盟規約署名、28年、不戦条約署名、四五年、国際連合憲章署名、ポツダム宣言、46年、日本国憲法公布、48年、東京裁判判決、51年、サンフランシスコ平和条約、旧安保条。この中で、左派は国際連盟、不戦条約、国際連合、ポツダム宣言、日本国憲法、東京裁判などを重視して安保体制を批判する。一方右派は、集団的自衛権を認めた国際連合憲章、サンフランシスコ平和条約、安保条約を中心に据え、安保体制の維持と改憲を唱える。両者がともに重視するのは国連のみで、他の点では食い違うが、実はともにつまみ食いである。これら全てに中心的に関わった唯一の国こそ米国であり、その視点から見れば、次のようになる。

 第1次世界大戦に直面した米国政府は、それまでのモンロー主義を転換し、自国の理想を国際的に制度化する国際連盟の創設を主導した。しかしヨーロッパの戦争に引きずられることを危惧する保守派は、加盟を拒否する。ただし保守派は国際連盟の理想をさらに高めるための努力も続け、不戦条約などに結実した。ところがこの直後に日本が満州事変を起こし、これらの努力を踏みにじる。

 米国はそれでも日本との対話を続けるが、その結果がパールハーバーだった。これにより、軍縮と戦争の違法化により平和を守ろうとした20年代の米国の努力は、日本軍国主義のような異常な体制には通用しないことが証明された。この経験を元に国連憲章では軍事力による平和維持が決められることになる。

 しかも実際の戦闘を通じて、日本軍国主義の残虐性と非合理性が明らかになる。特に自爆攻撃が組織的に採用され、激しい陸上戦が戦われた沖縄戦は、米軍にも多大な被害を与えたばかりか、精神的な後遺症に苦しむ多くの兵士も生み出す。そして、合理的な判断が通用しない日本軍国主義とのこれ以上の陸上戦を避けるために、軍部は原爆投下を主導することになる。さらにその日本軍国主義も原爆投下により降伏したことが、戦後世界において原爆に特別な地位を与えることになる。

 米ソ対立の高まりの中で、米国は共産主義を日本軍国主義と同様の許容しがたい体制と認識する。これに対抗するために、49年のNATOを皮切りに、韓、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランド、日、台湾などと相次いで軍事同盟を締結する。41年まで掲げていた孤立主義の根本的な転換だった。なお、「孤立主義」を十分な説明を伴わないままで日本で使うことは、この言葉が伴っていた強い平和主義への認識を欠き、誤解を招きやすい。そして米国保守派が思い知らされたのは、高邁な理想を掲げた平和主義としての孤立主義の過ちであり、他国から干渉されることへの危惧ではない。

 ところが多くの軍事同盟を結ぶことは、相手国の政治状況に米国が振り回される可能性が高まることを意味し、孤立主義的な米国社会にとっては許容しがたい。相手国が米国とは異なる論理構造を持ち、非合理的な面が強い場合にはなおさらである。そこでこれを避けることが米国外交の重要な課題となる。その意味でこれらの軍事同盟は、あくまでも米軍基地を提供するものとして意味を持ち、双務的な「同盟」ではなく、また双務的であってはならなかった。

 そしてこのような要素が特に強かったのが、人類史上最も異常な体制とも言い得る日本軍国主義の影響を強く残す日本だった。その日本と軍事同盟を結ぶには、日本国憲法が成立し、東京裁判により日本軍国主義の背景が解明され、首謀者を刑に処することが最低限の条件になる。

 そして米軍の駐留は、日本軍国主義が復活して暴走する危険性を低下させる。日米安保は、ポツダム宣言の言葉を用いて、その文言上は日本軍国主義が復活する脅威に対応するために締結されたが、まさにその文脈の通りだった。今も問題になる東京の空域の米軍支配状況も、このような視点から見る必要がある。

 なお、60年の新条約ではこれはなくなるが、それに代わって前文、第1条から最後の第10条に至るまで全体で国連憲章に言及している。これは米国が結ぶ他の軍事同盟には見られないが、安保条約と憲法の間の齟齬が問題になる日本国内向けの理由付けであると同時に、日本に課した制約でもあった。ドイツがNATOの一員として多国間の制約を受けることとの違いである。

 89年に冷戦が終わり、安保条約を正当化してきた環境が崩れる。また冷戦の中で十分には問われないできた日本の戦争責任が問題となり始める。当時、安保条約の存在意義として日本がその則を超えないようにするビンのふたの役割があるとも言われ、米国世論も日本駐留の意義として日本防衛以上に日本への抑止を掲げていた。米ソ対立が後景に引いたことで日本軍国主義への不信が前景に出るのは、歴史的経緯を考えれば当然のことだった。しかも、冷戦が終わり改めて世界経済のあり方が問われていた。中国やインドを含めた全開発途上国のGDPの合計に匹敵する経済力を持つ当時の日本が、警戒を誘うのは当然だった。

 しかしその10年後に中国経済が日本を追い抜く。米国にとって新たな脅威の登場だが、かつてのソ連の脅威とは異なり、中国は国際経済に組み込まれている。米国を含む世界もそして中国も、双方を欠いては成り立たない。米ソ間ではイデオロギーをめぐる抽象的な対立が大きかったが、現在の米中は、相互の経済関係や人的交流が深まり、それが米国社会に大きな具体的影響を与えているからこそ、対立を強めている。

 このために妥協できない要素が大きいが、具体的な問題をめぐる対立だからこそ中国に対してトランプ流の「ディール」が成立することにもなる。また中国の「脅威」がこのようなものであるのならば、軍事同盟は大きな意味を持たない。トランプが同盟を軽視できる背景である。また日本自身が、日米安保によって守られていると認識するのであれば、そのための経費負担を日本に求めるのも当然の結果になる。

 ここで日本右派が強調するのは中国の非合理性と軍事的な脅威だが、日本右派が近しさを隠さない日本軍国主義に比べれば、現在の中国ははるかに合理的である。しかも日本右派は権威主義的で、目指す社会のあり方は米国よりもむしろ中国に近い。日本右派が民主性に欠け、米国と理念を共有しているとは言い難いことがさらに事態を複雑にしている。

 また、経済的対立を中心とする米中に比べて、日中では緊張は政治的な面に集中するが、これは、米国が日本の紛争に巻き込まれる危険性を高める。しかも安倍は、やはり米国の同盟国である韓国との関係を自ら率先して悪化させているのだからなおさらである。トランプは同盟を軽視しているが、安倍もトランプ以上に同盟を軽視し、損なっているとも言い得るのである。このため、米国から見て安保条約を双務的にできない要素がさらに強まることになる。

 安倍は施政方針で戦後外交の総決算と新外交の確立を表明した。日本の影響力の低下により、この総決算が世界に与える影響も深刻さを減じてはいるが、左派が外交に関心を持たないために、余波も無視できない。そのビンのふたとして、あえて言えば安保条約は必要かもしれない。 <