【進歩と改革2020年2月号】掲載


安倍とトランプ、トランプ弾劾から見えてくるもの

 1 何が問題なのか

 2019年11月20日、安倍晋三が桂太郎の首相在任期間を抜いて「憲政史上」最長を記録した。桂は、1901年から13年の間、3次に渡って首相を務めたが、大日本帝国憲法下では内閣は天皇にのみ責任を負い、国会に対してはその動向にとらわれない「超然主義」をとることができた。これに対して、第3次桂内閣の際に藩閥政治に反発して起こされたのが第1次憲政擁護運動である。この後、限定的ながら民主化が求められた大正デモクラシーを経て、経済状況が悪化する中で軍部の力が強まるために政治が不安定化する。そのような状態になる前の、形ばかりの「憲政」の時期に桂が作った首相在任記録を、安倍は一応「民主的」であるはずの日本国憲法下で更新したのだからその意味は大きい。日本国憲法下で最も若くして首相に就任したこととともに、安倍は歴史的な記録を手にしたことになる。

 各紙は同日付の社説でこれを取り上げた。右派は「集団的自衛権の限定的行使を認めた安全保障関連法を15年に成立させ、日米同盟を強化した。自国第一主義のトランプ米大統領とも信頼関係を築いた。読売新聞の世論調査では、65%が仕事ぶりを評価している。経済政策や外交の実績が国民の支持につながったのだろう」(読売)、「長期政権が日本の政治を安定させ、外交を有利に導いてきたことは間違いない。安倍首相は、202年ぶりの譲位に伴う御代替わり、集団的自衛権の限定行使容認を柱とする安全保障関連法の制定に加え、アベノミクス、自由貿易の推進などの経済活性化に取り組んできた」(産経)と、安倍政権の成果を高く評価しつつ、「政権復帰から約7年が経過し、安倍内閣に綻びが目立つこと」を憂慮する(読売)程度で、特に改憲への期待を表明する。

 興味深いことに左派も「確かに、アベノミクスの下で株高が進み、企業収益や雇用の改善につながった。しかし、賃金は伸び悩み、国民が広く恩恵を実感できる状況にはなっていない。また、安定した政治基盤を生かして、少子高齢化などの難題に、正面から切り込んできたとも言い難い。長期在任で育んだ外国首脳との個人的な関係も、どれほど具体的な成果につながったであろう」(朝日)、「おごりを捨てるとともに、内政、外交の厳しい検証が必要だ。アベノミクスは本当に効果を上げたのか。株価は安定し大企業の収益は総じて増えたが、賃金は上昇しない。景気回復の実感は乏しく、富裕層との格差が広がっていると感じている人は多い。社会保障政策は信頼されず、将来への不安も消えない。外交では、トランプ米大統領と良好な関係にあるのは事実だが、ロシアとの北方領土交渉では「日本固有の領土」という従来主張を封印するまで譲歩したものの、解決は遠のいている。最重要課題としてきた北朝鮮の拉致問題は糸口も見えない」(毎日)と言うに留まっている。そして「政治の変化への期待を背負って政権交代を果たした民主党政権の混迷を目の当たりにした世論が、政治の安定を求めたことが背景にあるだろう。」(朝日)、「「他にいない」はいつまで」(毎日)と、自民党内の他の政治家や野党が支持を得られないでいることに、長期化の原因を求める。

 つまり、ともに経済や外交で挙げてきた成果を評価し、相次ぐ不祥事を長期政権のゆるみとして憂いた上で、右派がその成果の発展を求め、左派がその陰に目を向けることを主張しているに過ぎない。特に興味深いのは、評価が食い違うのはもっぱら内政問題に限られ、外交に関しては基本的な方向性を含めて明瞭な違いがないことである。はっきりとした違いは、第9条に関して改憲を求めるか否か程度である。

 しかしこれはおかしい。そもそも軍事政策は外交政策の下位政策であり、外交政策が定まった後に規定される。そして憲法9条は憲法が対外関係について明示的に規定した唯一の条文である。その改変が問題だと言うのならば、当然に外交政策を問わなければならない。しかも、国家安全保障会議設置に必要とされた特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安保法制、国際組織犯罪防止条約批准に必要とされた共謀罪、TPP、沖縄の米軍基地、自衛隊日報、核兵器禁止条約、日韓関係、温暖化など、安倍政権下で激しい議論を呼んできた問題には外交に関わるものが多い。それにもかかわらず、朝日や毎日の主張に従う限り、安倍の対外認識、その外交の方向性と具体的な政策には問うべき問題がないことになる。左派が問題にするのはそれが成果を挙げているか否かに過ぎず、深刻な議論と対立を呼ぶのは、集団的自衛権問題など、その外交政策が対内的に展開された場合に限られる。言い方を変えれば、日本外交の影響が国内に及ぶ場合には左派は大きく反応するが、日本の行動が日本社会の外に負の影響を与えることについては、関心を寄せないのである。

 こうした状況を示す典型的な例が、19年6月に入国管理センターで収容中のナイジェリア人が死亡した事件で、これがハンガー・ストライキの結果による餓死だったことが10月に明らかにされたことだろう。四月から始まった外国人労働者の受け入れについて大きな議論があったにもかかわらず、この事件が十分な関心を集めているとは言い難い状態が続いている。その直後に緒方貞子元国連難民高等弁務官が亡くなった際には立場を超えた賛美が捧げられたこととは、皮肉なそして見事な対象を示している。

 朝日は「首相は国民の命を守るための法整備だというが、戦後の平和主義の根幹である9条を、憲法改正手続きをへず、閣議決定だけで実質的に変えてしまったことへの批判はいまも根強い」(11月25日朝刊、国分高史編集委員)と主張する。しかし、その「平和主義」を政策として具体化するのが外交政策に他ならない。安倍の対外認識と外交政策に問題がないのであれば、むしろ安倍が主張するように改憲が必要となる。ここで国分が問題にするのも、安倍が改憲せずに解釈を変えたことに留まる。

 外交政策で安倍と意見の大きな違いがないことは、九条に関しても違いがないはずである。それにもかかわらず九条擁護を口にするのだとすれば、それは単なる情緒的な主張に過ぎず、むしろ改憲を推進することにもなる。安倍や石破茂はそれなりに論理的に改憲を求めているが、この国分のような主張はこれらの改憲派以上に質が悪いと言わざるを得ない。

 国分は「日米関係では、トランプ氏が大統領に当選すると、他国の首脳に先駆けて会談。親密な関係を築いたと言えるだろう。もっとも、トランプ氏の特異な性格や政治手法もあり、貿易交渉や安全保障の面でめざましい成果を上げたとまでは言えそうにない」と言う。読売と同様に、トランプと信頼関係を築いたことを評価しているのである。そして、やはり安倍の外交姿勢には関心を示さず、安倍とトランプの思想のどの部分が共通するのか、違いをどのように埋めたのかなどを気にすることはない。問題にするのはあくまでも米国から譲歩を引き出せるか否かである。この結果、当然のことながら、「成果」が挙がらない原因ももっぱらトランプの個性に求めてしまう。対ロ、対韓、対北朝鮮などの場合と同様である。そしてこのような姿勢が論点をますます曖昧にする。実は、安倍とトランプの思想とそれを取り巻く政治状況には大きな対立点があるのだが、そのようなことが問題になることも少ない。

 では、安倍の主張をめぐる日本の議論と、安倍が密接な関係を築いたとされるトランプをめぐる米国の議論はどのような点が類似し、どこが食い違うのだろうか。日本では外交に関してそもそも関心自体がなく、論点もはっきりと認識されていないために、本来は前置きとも呼ぶべき部分が長くなってしまったが、次に、連邦議会下院がトランプを弾劾訴追するに至った背景を観察しながら、両者の考え方の違いと、日米の議論のあり方の違いを考えてみたい

 2 弾劾批判と宗教的アピール

 12月18日、米国連邦議会下院がトランプを弾劾訴追した。この際、トランプ自身や共和党が弾劾を批判する上で興味深い理屈を用いた。この弾劾をキリストの受難、魔女裁判やパール・ハーバー攻撃になぞらえたのである。

 オバマ大統領の誕生に反発して生まれた草の根的かつ原理主義的な保守派の運動であるティー・パーティーに関わる南部のジョージア州選出のバリー・ラウダーミルク議員は、「民主党が大統領に認めた権利に比べれば、ピラトの方がイエスに多くの権利を認めた」と、民主党の姿勢を批判した。キリスト教のバイブルは、当時ローマ帝国の支配下にあったユダヤの総督だったピラトが、イエスを無罪としようと努力したが、処刑を求めるユダヤ人に手を焼いてこれを認めたと記述している。ラウダーミルクはそれに民主党をなぞらえたのである。さらにペンシルヴァニア選出のフレッド・ケラーは、イエスが、自分を十字架にかけるユダヤ人に対して、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23:34)と述べたとされることを引き合いに出して、「私は彼ら(民主党)のために祈る」と述べた。ちなみに、この時ユダヤ人が自分たちとその子孫が責任を負うと発言したとされる(マタイによる福音書27:25)ことが、その後のキリスト教社会におけるユダヤ差別の直接の根拠となる。

 トランプ現象を象徴する思想としてしばしばキリスト教プロテスタントの福音派が紹介されるが、彼らはまさにそこに向けてアピールしたのである。これに対して民主党側は「トランプは議会で証言し、弁護士を派遣し、証人に質問する機会が与えられ、彼もこれに応じようとしていた」と反論したが、問題はトランプに権利が保障されたか否かではなかった。

 しかし、もともと道徳的で宗教的とは言い難いトランプの姿勢は、福音派の中で反発も招く。福音派の雑誌「クリスチャニティー・トゥデー」は12月19日付の社説で、ウクライナ疑惑におけるトランプの行動は「憲法に違反するだけではなく、さらに重要なことに、心底から不道徳である。多くの人がこれにショックを受けていない理由は、この大統領がその政権において道徳を馬鹿にしてきたためである。彼は、今や有罪判決を受けた犯罪者を多く雇い、首にしてきた。彼自身も、ビジネスで、そして女性との関係で不道徳な行為をしてきたことを認め、今もそれを誇っている。彼のツィッターは、日常的に過ち、嘘そして中傷の文字が連なり、道徳心を失い、混乱した人間の完璧に近い事例である」と断じた。そしてトランプを支持する信者に、「トランプ氏を正当化することが、主と救世主への証言にどのように影響するかを考えなさい」とまで述べた。キリスト教徒に対する言葉としては決定的なものだった。さらに22日には、「読者から数え切れない励ましをいただいた。……多くの人が先の社説を泣きながら読んだと伝えてくれた」として、この問題に関する本を1月中旬に出版することも予告した。

 同誌は、第2次大戦後の米国福音派を代表する伝道師で、大きな影響力を持ち、トランプを支持したビリー・グラハムが創刊した福音派の有力誌だが、もともとグラハムは原理主義とは対立していた。

 ただし、トランプが原理主義に忠実であるわけでもない。彼は、その支持者が喜ぶであろう言葉を選び、そのためには方針転換も厭わず、時には自分のイデオロギーとは相容れない政策も採用しているに過ぎない。そしてグラハムが2018年に99歳で亡くなる一方、特に外交面で成果を挙げられないトランプの暴走が強まるにつれて、そのスキャンダルを追求する動きが政権関係者からも出始めているわけである。

 とはいえ、保守派の中で起きているこれらの反トランプの動きは、彼らが本質的に保守派であるがために、民主党支持に直結するわけではない。このため民主党はこのような層にまで支持を広げられる候補者を立てることが求められるが、それは、トランプを生んだ基本的な状況である過去30年間の経済産業構造の変化がもたらした問題に照らせば、穏健に過ぎることになる。拡大する格差は強いトランプ支持層を生み出すと同時に、それは反トランプ層にも重なり得るのだから。このことは、トランプが当選した際に、民主党の予備選では民主社会主義者を自称するバーニー・サンダースが台風の目となったが、サンダースを支持した人々が当時トランプに親近感を示していたことによく表れている。この結果、民主党支持者はよりリベラルな方向に振れることになるが、それではこれらのトランプに反発する保守派の受け皿にはなり得ない。民主党が抱えるジレンマはここにあり、候補者が乱立する背景である。

 3 パール・ハーバーの持つ意味

 これに対してトランプが盛んに言及するセイラムの魔女裁判は、独立前の近代に至る以前に起きた事件だけに、米国の誕生に繋がる問題として普遍性が高い。特に、弾劾の決定に先立つ12月17日にペロシ下院議長に宛てて送った、「他の大統領にこれが二度と起らないように、100年後、人々がこの事件を振り返った時に、理解し、学んで欲しい」と語る長文の書簡でこれに触れたことが、その位置づけを物語る。これは魔女狩りとして、特に米国で誰もが思い描くものであり、1692年から93年の間に200人以上が魔女として告発され、20人が処刑された事件である。つまり、「自由な共和国」として米国が成立する以前の負の面を象徴している。私が本誌で繰り返してきたように、トランプの主張は米国社会の伝統に沿った部分と、独立以降の歩みの中で確立してきた合意を踏みにじる部分の両面を持つが、この魔女裁判は独立の原点に直結しているのである。

 ただしこの魔女裁判はあくまでも中世に遡る遠い過去の例である。これに対して、現代米国社会を作り上げた事件として比喩に登場したのがパール・ハーバーだった。ペンシルヴァニア選出のマイク・ケリーは、「2019年12月18日の今日は、新たな屈辱の日」と述べたのである。日本がパール・ハーバーを奇襲攻撃した1941年12月7日(日本時間8日)を、当時のルーズヴェルト大統領が「屈辱の日」と呼んだことに倣ったものだった。

 実はトランプ自身もパール・ハーバーにたびたび言及してきた。大統領選の最中の2016年5月28日には、オバマ大統領の訪日に際して、「オバマ大統領は訪日中にパール・ハーバーへの汚い攻撃について議論したことがあるのか? 数千人のアメリカ人が命を落としたのだぞ」とツィートしていた。安倍がオバマともに、日本の攻撃によりパール・ハーバーで沈没した軍艦アリゾナの上に作られている記念館を訪問したのは、トランプの大統領就任を控えた16年12月27日だった。また大統領就任後の17年11月3日、来日途中にアリゾナ記念館を訪問した際にも「リメンバー・パールハーバー」とツィートし、18年6月に安倍が訪米した際にも「パール・ハーバーを忘れない」と安倍に直接に述べたと伝えられた(ワシントン・ポスト、18年8月29日)。

 17年のツィートについて、毎日新聞はこのツィートの意味は何か、本人によるものか、スタッフによるものかなどを問題にした(11月7日朝刊)。また18年の発言については、菅官房長官はそのようなことはないと否定した。しかし、これらはともに問題の方向性が間違っている。これは単にトランプの思想の反映に留まらない、否定しようのない米国社会の合意の反映なのである。

 本誌で繰り返し指摘してきたように、1920年代の米国は国際常設裁判所の創設、海軍軍縮条約さらには戦争放棄を謳う不戦条約の締結を主導するなど、国際平和の確立に尽力したが、この間の大統領は全て共和党だった。この傾向は30年代も続き、共和党は対独対日参戦に反対し続けた。しかし、日本軍のパール・ハーバー攻撃によりこれが覆る。米国は孤立主義、現代の日本に照らして言えば一国平和主義を棄てて世界中に軍事同盟を張り巡らすようになると同時に、CIAを創設するなど諜報活動にも力を注ぐようになる。保守派から平和主義は消え、共和党は軍事力を重視する対決的な姿勢を強めるが、これは特に80年代以降顕著になる。レーガン、ブッシュ父子、トランプと、この間の共和党大統領が全て軍事力の行使に躊躇しないことは、まさにパール・ハーバーが証明した歴史的経験の反映に他ならない。

 トランプは、第2次大戦後の米国社会が積み重ねてきた合意、特にジョンソンが掲げた「偉大な社会」以降の合意の多くを踏みにじっている。しかしパール・ハーバーはこれとは異なり、特に共和党にとってはまさに第2次大戦後の米国社会の出発点とも呼びうる出来事なのである。マイク・ケリーが、共和党にとってはやっかいな政敵だったルーズヴェルトの発言を引用する意味もここにあった。日本では、弾劾の審議においてパール・ハーバーに言及されたことがあまり伝えられなかったようだが、それはこのような激しい政治対立の場において論理をつなぐ意味があった。

 これに対して安倍は日本軍国主義への郷愁を隠さない。つまり、現代の米国保守派にとって最も重要な歴史認識において、安倍とトランプは対立していると言っても良い姿勢を持っているのである。

 4 トランプと安倍

 トランプはその時々において、支持者の歓心を買うような方向を向いてきたが、この点では第2次政権の安倍と同様である。大きく異なるのは、反安倍の側が論点も明示できないがために安倍一強の状況が動かない一方で、安倍と同様に極右的な減税日本、維新、都民ファーストなどの動きを次々に生み出していることである。安倍一強は、単に安倍のみが強いのではなく、安倍を含む極右全体が力を強める中で形成されている。これに対して米国では、トランプが環境、移民、多様性などの問題への敵対的姿勢を露わに、それに同調する人々が強い支持層を形成する一方で、支持者を上回る数の反トランプ層を生み出しているのである。この点については論理的な混乱はないが、その両者の間で語るべき言葉が成り立たない点に問題が生まれている。

 これに対して日本では、実際の政府の姿勢としては反環境、反移民、反ヒロシマ、反沖縄などでありながら、政権関係者はこれらの問題を重視するが如き説明を繰り返し、有権者の多くも実際の政府の姿勢を認識せずに政権を支持している。それに加えて、左右の立場を超えて自国の対外的姿勢を問わないままで、国内問題の原因を国外に求める。違いは、右派が中国、北朝鮮、韓国、ロシアなどに批判の矛先を向けるのに対して、左派が米国に向けることにあるだけである。このため分断すら起きない。米国社会が分断を強めていることがしばしば指摘されるが、むしろ日本社会が分断していない方が問題なのである。

 具体的な例を挙げれば、米国は世界第2の温室効果ガス排出国だが、トランプは地球温暖化そのものを否定している。そしてトランプ支持者の多くがこれを支持している。これは科学的な知見を拒否する愚かしい社会状況のように見えるかもしれない。しかし、将来の問題よりも今の自分たちの経済状況を優先する姿勢自体は、異次元の金融緩和を終わらせることが出来ないままで景気後退にさしかかりながら、この点に関しては世論の高い政権支持率を維持している日本と類似している。目先の利益を優先してすでに顕在化している危機から目を背けて先送りする、この点で、温暖化を認めないトランプ支持者と日本社会の間に差はない。もしトランプを愚かしいと思いつつ、日本をそれと同様だと認識し得ないとすれば、それは誤りである。

 ただし、トランプの発言とその支持者の姿勢の間には大きな違いがなく、地球環境問題を批判する者の多くがトランプを支持し、逆に環境を重視する者はトランプを批判している点で、日本とは大きく異なる。そして、2000年の大統領選挙が環境問題を重視する民主党のゴアと、これを軽視する共和党のブッシュの間で戦われたことに象徴されるように、これは米国政治の争点の一つであり続けている。まただからこそ環境問題を否定するトランプの発言はエスカレートするが、環境をめぐる議論はより真剣さを増すことにもなる。

 これに対して第6位の排出国で、取り組みに対する政府の消極的姿勢は国際的な批判を浴びているにもかかわらず、日本では環境問題は主要な選挙の争点にはなっていない。日本社会が全体として環境問題への関心が低く、それよりも経済対策を優先するのであれば、日本社会全体がトランプ化していると言わざるを得ない。ところが政府は地球環境問題の重要性を繰り返し表明しており、言葉上は、トランプとは異なり日本は温暖化を問題視していることになる。そして日本の経済的な利益の確保を重視することに関しては与野党を問わない。しかし、日本政府はその言葉とは裏腹の態度をとり続けており、世論はそれを大きな問題と見なしていないばかりか、トランプとは異なり日本が環境問題に積極的に貢献していると認識する傾向も強い。このため、脱原発か否かが選挙の争点になり得ても、環境政策は与野党を分ける問題にはなりにくく、論点の曖昧化がすすむ。

 本論で紹介したトランプ弾劾に対する宗教色の強い議論に、日本人は違和感を感じるかも知れない。しかし日本における天皇制論議を外から見る場合も同様である。近代において人為的に作り替えられてきた宗教支配の装置としての天皇制を、あたかも宗教ではないかのように論じている姿は、実はこのようなキリスト教をめぐるやりとり以上に質が悪い。特に日本極右が男系に固執すること、さらには動物学者の竹内久美子のように男性のみが持つX染色体の保存を唱えるに至っては、現在のイスラム原理主義を先取りした狂信的宗教支配に基づいていた日本軍国主義が
、露骨な形でナチスの優生思想を取り入れて現代に蘇ろうとしていることに他ならない。これに比べれば、キリスト教の教義に触れる議論はまだ普遍性があると言わざるを得ない。

 欧米では、政治状況を右派、中道、左派などに区別でき、その外側にネオナチや人種主義者を位置付けることができる。これらを分けるのは、特に、歴史認識と難民や環境などをめぐる外交政策である。そして極右は少なくともネオナチや人種主義者と距離を置くことで、初めて政治勢力として認知され得る。しかし日本では数万人単位で難民を受け入れることを提唱する政党はなく、環境問題になどに関する議論も曖昧なままで、そもそも外交政策に対して左右の間に明快な違いがない状態が続いている。これでは、ヨーロッパで言えば極右が日本社会の中心にいることに加えて、日々新たにネオナチ的な勢力が生み出されており、リベラルや左派と称される存在がようやくヨーロッパの右派程度の場所に位置することになる。これでは安倍一強状態が生まれるのも無理はない。安倍一強を支えているのはむしろ日本左派なのではないのか。安倍とトランプを取り巻く議論の比較から見えてくるのは、こうした疑問である。