【進歩と改革2020年1月号】掲載


パレスチナ被占領地

 10月18日、米国のポンペオ国務長官がヨルダン川西岸地区にイスラエルが建設してきたユダヤ人入植地を国際法に違反しないと述べた。

 これについて朝日が「中東の和平を遠のかせる愚挙」、「もはや仲介者の資格を自ら放棄したに等しい」(11月21日付社説)と、毎日が「和平の土台を崩す暴挙」、「即刻、撤回すべき」(11月21日付社説)と厳しく批判したが、これらとは対立的な論調を取ることが多い産経も、「入植拡大を放置してはなるまい」、「トランプ氏の中東政策はそのため(大統領再選)の道具とみられても仕方あるまい」と、言葉は弱いが、批判的に論評した。しかし、米国国務省の対応を見ると、やや異なる様子も見えてくる。

 ポンペオの発言の2日後の20日、安保理が「パレスチナ問題を含む中東情勢」について会合を開いた。米国代表として出席したのは、米国の国連代表部の3人の大使のうちの3番目に位置するチェリス・ノーマン=シャレイだった。

 筆頭大使のケリー・クラフトは、共和党の活動家で、07年にブッシュ大統領により国連総会代理代表に任命され、16年の大統領選挙では共和党全国大会のケンタッキー代表となり、トランプに200万ドル以上を献金し、トランプ政権が発足した17年にカナダ大使に、19年9月から国連大使を務めている。トランプ大統領誕生の功労者を取り立てる、典型的な政治任命である。 そのクラフトは、トランプによる国連大使指名を連邦議会上院外交委員会が審議した6月19日に、「国連の場で容赦のない偏向と敵視の対象となっているイスラエル」、「合衆国はこのような偏向を決して受け入れず、私が承認されたら、この行為に光を当てるためにあらゆる機会を利用し、このようなとんでもない慣習が最終的に終わりを迎えるように求める」と述べていた。

 しかしイスラエルに関する言及は必ずしも中心的ではなく、筆頭に掲げたのは「国連を…米国の納税者にふさわしい」ものにするよう改革することで、スーダン、イエメン、シリア、ベネズエラなどの問題への取り組みも表明した。そして特に力を入れて訴えたのは地球環境問題だった。「何人かの委員の方々が、気象変動についての私の立場に疑問を呈していることを承知しています」と前置きをした上で、「気象変動は、私たちの地球に真の危機をもたらすものとして対応しなければなりません」と述べて、この問題を否定するトランプとの違いを際立たせた。

 そのクラフトは、22日に「中東情勢」について安保理が審議した際には参加したが、より注目を集め、紛糾した20日の会合には出席しなかった。16日から20日まで、クラフトはコロンビアを訪問していたためだった。彼女に代わって安保理に出席したのは、18年から国連改革担当大使で総会代表代理を務めていたチェリス・ノーマン=シャレイ国連副代表代理で、彼女は「西岸地区におけるイスラエル市民の入植地の確立は、国際法に本質的に反しない」、「いかなる個々の入植の特定の法的地位についても合衆国政府は見解を表明していない」と述べ、「過去、合衆国は常にイスラエルを支持し、今日もイスラエルを支持し、これからもイスラエルの前進を支持する。我々は、国際社会がイスラエルを不当に非難する際に手をこまねいてはいない」と主張した。しかし法的判断を変える理由の説明はせず、イスラエルがパレスチナ側からミサイル攻撃を受けていることを繰り返すだけだった。

 同日付の米国連代表部の公式ツィッターも「この(安保理)会議場にいる人々に、あなたとあなたの家族が一五秒で防空壕に隠れなければならないことを知らせるサイレンが、いつでも鳴ることを承知しながら毎日を過ごすのがどのようなことなのかを想像して欲しい。そのような存在を安保理の誰が容認するのだろう」「直截あなたに向けられた暴力への非難と批判を受け入れますか。このような攻撃が続いているにもかかわらず、平和への明快な道があったと確信を持てるだろうか。もちろん違う。そして、まだ、イスラエルがしばしば絶えることを求められていることなのである」と改めて繰り返す一方で、法的な説明はしないままだった。これらはいずれも合衆国国連代表部の名で投稿されており、個人名のクラフトとは別扱いだった。

 政治任命で、必ずしも中東問題には精通していない一方で、環境問題ではトランプと異なる姿勢を見せるクラフトに対して、次席大使のコーエンは国務省生え抜きのキャリア外交官で、1989―91年には西岸地区のためのODA調整官としてエルサレムに駐在し、学生時代には中近東研究に従事し、エルサレムのヘブライ大学に留学した経験も持つ、米国の中東政策に精通する人物である。パレスチナ側から見れば、だからこそ手強い交渉相手だが、それまでの政策を踏まえた合理的な対応をする人物だと言えよう。またノーマン=シャレイも2003三年より国務省に勤める。そのような体制にある国連代表部が、トランプによる米国の中東政策を根本的に変える唐突な表明に、対応のしようがなく戸惑っているようにも感じられる。

 報道では米国が安保理で孤立したことが指摘されたが、パレスチナ・中東問題で米国が孤立するのは日常的な光景であり、珍しいことではない。注目すべきは、今回の表明がパレスチナ問題の本質に関わることである。トランプ政権はすでに二〇一七年に、エルサレムをイスラエルの「首都」と承認し、18年5月に大使館を移転、19年3月にイスラエルが占領を続けるシリア領ゴラン高原に対するイスラエルの主権を認めてきた。いずれもが国際的に批判される行動だが、それでも、パレスチナ自治の中心地域である西岸地区への入植を容認することは、特に1993年のパレスチナ自治合意以降の動向の完全な否定であり、意味が異なる。本来は国際管理地とされ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と続く一神教にとって重要なエルサレムの象徴的な意味や、ISの混乱や国内の民主化運動の弾圧などで問題を抱えるシリアに対する主権侵害と比べても、影響の深刻さが大きい。

 過去にも、イスラエルが占領地に建設した壁を国際司法裁判所が違法としたにもかかわらず、イスラエルはこれを無視してガザの包囲を強めたことが、状況のより深刻化を生み、イスラム原理主義を刺激してきた。国務省も対応に手を焼いているように見えるこの決定が、「中東の和平を遠のかせる」どころではない新たな深刻な事態を生むことがないか、大いに気がかりである。 10月1日、消費税率が上がった。9日、経済協力開発機構(OECD)が、グーグルやアマゾンなど(GAFA)の巨大IT企業に対して、本社等がない国でも法人税を課せられる国際基準案を公表した。OECDは法人税の最低税率に関しても議論している。また31日の英国のEU離脱は延期の見通しとなった。 これらは直截には関係のない問題と思われるかもしれない。しかし1970年代には、方向性は異なるがこれらに関わる問題が包括的に議論されていた。今の議論状況から見ても参考になる経緯があるが、顧みられることは少ない。改めて整理する。

 国連の特徴は、日本軍国主義やナチスのような異常な体制が世界を侵略した経験から軍事力を重視した安全保障を構想したことだけではなく、経済社会問題を重視し、明示的にではないが脱植民地を目指して、経済社会理事会と信託統治理事会を独立させたこと、そして事務局に独自性を与え、国際組織の主体的役割を重視したことにあった。

 しかし、戦後の国際協調体制において重要な分野だった貿易は、最終的な合意形成に失敗した。予定されていた世界貿易機関は発足せず、一般協定のみを取り出して暫定的にGATTが発足する。各国の国内事情を反映する貿易は、軍事以上に協調が難しいことが示されていた。 これは、経済体制の構築、産業の育成、貿易の確立などが重要課題となる新たに独立した国々により大きな課題となった。十分な組織が確立しておらず、結果的に大きな経済力を誇る一部の国が議論を主導する状況となった上に、その暫定的な措置にも開発途上国の意向は反映されていないのだから。そこで途上国は国連貿易開発会議(UNCTAD)の開催を主導し、64年の開催と同時にその常設化を決める。先進国主導のGATTに対抗する途上国主導の貿易機関が生まれたのである。

 74年、途上国は世界経済のあり方全般を見直す新国際経済秩序の樹立を国連総会で決議し、経済社会理事会は多国籍企業委員会を作り、国を超えて活動する多国籍企業の活動を規制する行動規範の作成に着手する。すでに米国の多国籍企業が内政に干渉しているとして、その活動を規制する権利が強調されていたが、その具体化が始まったのである。これに対して特に米国は、経済活動の自由への干渉として強く反発し、ここに日本も加わった。

 81年に成立した米国のレーガン政権の経済政策の下で途上国は深刻な債務危機に陥った。レーガンは大規模な減税を行う一方で軍事支出を大幅に増額し、財政赤字を拡大させるが、意識的にドル高に誘導することによって政情不安な途上国の資金を米国市場に還流させて穴埋めしたのである。しかしドル高により米国は輸出が振るわなくなり貿易赤字も拡大し、世界最大の債権国だった米国は最大の債務国へ転落する。 もちろん、それ以上に深刻な事態に晒されたのが途上国だった。そこに、先進国の影響力が強い国際通貨基金などが債務返済のために輸出を優先する構造調整政策を求める。緊縮財政が強要されたのである。

 途上国が自分たちの責任を多国籍企業などに転嫁した面があることも、また債務危機の背景に自らの経済政策の失敗があったことも、否定できない。しかし、途上国が発した多国籍企業や緊縮財政に関する問いかけが重要だったことも事実である。 しかし、債務危機の中で途上国の発言力は低下し、多国籍企業に対する姿勢も穏健化を迫られた。日米の強い圧力の前に、多国籍企業委員会の事務局として74年に設置された多国籍企業センターも93年に閉鎖される。さらに世界貿易機関(WTO)が発足するが、これは50年に渡って続いてきた貿易に関する議論が、先進国の主導により国連を離れて一種の解決を見たことを意味した。

 次のようにまとめられる。70年代に途上国が提起したのは、グローバル化、多国籍企業、各国財政や貿易の一定の管理であり、40年後に先進国が直面する問題を先取りしていた面があった。しかし先進国はこれらの課題を拒絶した。しかも80年代には途上国の債務を米国がいわば貸しはがした。そこで途上国が求められたのは緊縮財政だった。 さて、途上国の経済的疲弊と、特に日米などが国連の弱体化に努めたことに起因する途上国の政治的影響力の減少、さらに先進国が軍事面を中心に国連を主導したことなどから、90年代に国連のあり方は大きく変化する。日米は特に経済社会分野で国連を否定することで、国単位の「民主制」を否定し、途上国の国民が政府を通じて発言する権利を奪ったとも言い得る。しかし先進国が擁護し推進したグローバル化により、発言権を失った人々は先進国へ向かい始める。移民や難民の増大である。 同時にこの頃からネット化によりグローバル化がさらに進展し、税率の低いタックス・ヘイブンへの企業登記や資産の移転がさらに促進され、対抗措置として各国は法人税や所得税の引き下げ競争に陥る。それを補うために消費税率を上げることになり、各国とも税の逆進性が拡大する。ここに肥大した財政に対する緊縮策が加わり、反緊縮の動きはさらに加速する。そしてネット化は多国籍企業に新たな側面を与え、GAFAへの規制などの問題を生む。 何と既視感に満ちていることか。かつて途上国が問題を訴えていた際には拒否していた先進国が、自らに影響が及ぶようになってから、新たな問題が生まれたかのごとくに大騒ぎをしているだけではないか。

 とはいえ大きな違いもある。70年代には途上国が国連に大きな期待を寄せ、先進国も露骨な反国連姿勢を示しにくい状況があった。しかし、安倍とトランプが象徴する現在ではあらゆる意味で国際協調が失われ、もともとは自分たちに有利な国際協調の場として作り上げた先進国首脳会議すら満足に結論を見ない。もちろんこれは日米がこの40年間に行ってきたことの結果に他ならない。

 そのような中でEUは、地域レベルではあるが、加盟国が政策の統一を図る努力を現実化させた。そのEUがGAFAへの積極的な対応を求めてトランプと激しく対立すると同時に、EUが立ち向かった難民問題や加盟各国の財政問題などが反EUを生んでいる。それは70年代に国連がおかれた状況にも通じる。 タックス・ヘイブン、GAFA、緊縮財政問題などは本来ならば国連が対応すべき問題である。しかし今や国連はないに等しく、先進国の組織であるOECDには途上国の意見は反映されない。そして、これが日本外交が求めたものとも言い得る面がある。もう少し言及されても良い。