【進歩と改革2019年9月号】掲載


対韓輸出規制と米国

 7月1日、経済産業省は「日韓間の信頼関係が著しく損なわれたと言わざるを得ない」として、韓国を、輸出管理上優遇されるいわゆる「ホワイト国」から削除する政令改正について意見募集手続きを始めること、4日より、半導体生産に必要なフッ化ポリイミドなど3品目を包括輸出許可制度の対象から外し、個別審査とすると発表した。

 この措置をとる理由として、元徴用工をめぐる問題について6月のG20までに「満足する解決策」が示されなかったことが挙げられ、その後も首相自らこのことに言及した。右派メディアも徴用工、慰安婦問題、自衛隊機への火器管制レーダー照射問題などを挙げて、「法に基づく措置で対処するのは当然だ。国家の意思を毅然と示す意味は大きい。」(産経7月2日)と、直截に主張した。しかしその一方で政府は、これは徴用工問題に対する対抗措置ではないとして、安全保障上の理由を挙げ、後になって、戦略物資の不正輸出に対する韓国政府の摘発件数が増加していることも指摘された。

 韓国はWTOに訴えているが、日本政府の主張が変転しているため、韓国も論点を定めにくい状況にある。この措置が徴用工問題などに対するいわゆる制裁措置であることは首相自らが表明しているが、それならば、無関係な問題を恣意的に貿易と結びつける行為として、日本は批判を免れ得ない。また、これは従来の日本政府の主張に矛盾する。しかしこれが安全保障上の問題とされればやや文脈が異なる。さらにこれが北朝鮮への制裁対象物資の輸出につながる問題であれば、安保理で取り上げるべき問題となる。

 もちろん、その場合でも、80年代までの日本がこのような貿易措置に反対していたことが問われなければならず、拉致問題が発覚するやその掌を返して北朝鮮への制裁を日本が主導してきたことも、厳しく問い直されなければならない。しかしそれにしても、日本政府の姿勢はあまりに稚拙である。

 ところが世論はこの措置を支持しており、例えば朝日が7月13、14日に行った世論調査では、「妥当ではない」が21%だったのに対して、「妥当だ」は56%に達した。取り上げ方に迷いも見られ、毎日はようやく18日の社説で取り上げる状態だった。

 そこでここでは、日本の戦争責任が改めて問われたがそれなりに沈静化した90年代と、急激に悪化した2000年代以降の状況と、日韓両国と同盟を結ぶ米国の視点から考えたい。

1 冷戦の終焉と日本の戦争責任

 第2次大戦後、日本は戦争責任とその賠償に対する厳しい追求を免れた。米ソ対立が表面化する中で、米国が日本の戦争責任追求よりも反共の砦とすることを選んだために、対日講和条約では日本への請求権が原則放棄された。また韓国を講和会議に招請しないことにも成功した。さらに、蒋介石政権と中華人民共和国が対立したために、日本の支持を得たい蒋介石はその責任追求を控えた。講和会議に招請されず、個別に日本と平和条約を結ぶ最初の国となった中華民国は、賠償を放棄した。

 その後も、日本が厳しく追及されることはなかったが、90年代にこれらの問題が一挙に吹き出した。カナダ、オランダ、英国など、講和条約に署名して請求権を放棄した国からも、元捕虜などが日本を訴え始めるのである。また、91年には北朝鮮と韓国が国連に加盟し、93年には軍事独裁政権下で弾圧されてきたキム・ヨンサムが大統領に就任し、韓国の民主化がさらに進展した。冷戦下に放置され、日本がごまかすことができた戦争責任が、冷戦の中のかけひきの道具などとしてではなく、直接に問う環境が整った。

 91年8月27日、清水澄子参議院議員(社会党)が、「今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか」と予算委員会で質したのに対して、柳井俊二条約局長が、「(日韓協定は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味」だと答弁した。

 その後、この答弁が韓国人の訴訟を招いたとして、右派が激しく批判するようになる。しかし、能吏として知られ、自衛隊の海外派遣を可能にするPKO協力法成立において大きな役割を果たし、事務次官や駐米大使を歴任し、集団的自衛権の容認においても中心的な役割を演じた柳井の発言をそのように単純化するのは適切ではない。この時も、質問した清水が、日韓両政府が取り上げ得ないとされたことに「心から怒りを覚え」ると述べて、「アメリカやカナダは、日系人強制収容者の人権を回復するために40年目からでも事実を調査する機関をつくって、そしてその実態を調査し、補償いたしました。私は、こうしたアメリカの民主主義を日本は見習うべきだと思」うと主張するように、柳井の答弁は政府の立場から見て自然なものだった。

 さらに93年、河野洋平官房長官が慰安婦に関する談話を発表し、「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と表明した。また、その直後に首相に就いた細川護煕は侵略戦争と明言した。

 ここには、河野や細川の個人的な思いも反映しているが、それだけではなかった。日本政府が軍事面を含む政治的な役割の拡大を図っていた当時、欧米からも声が上がっていた個人補償問題に対する決着は必要なことだった。

2 韓国の民主化と日本の右傾化

 このような中で、キム・ヨンサムは韓国政府による補償を表明した。65年の日韓基本条約や請求権・経済協力協定に至る交渉において最も大きな対立点となったのが日本の責任の明確化であり、これらの条約も不平等で屈辱的な内容として韓国内では反発が強かった。しかし、締結30周年を前にキム政権はこれらの条約の方向性を再確認したのである。日本政府がその責任を認めるからこそ、韓国政府は対日請求権を改めて問題化せず、賠償協定をふまえた対応を示し得たことになる。

 ところが、日本では野に下った右派の不満と危機感が高まる。細川談話を受けて、自民党右派議員が「歴史・検討委員会」を作り、94年、後に『新しい歴史教科書』を主導する藤岡信勝東大教授が、「『近現代史』の授業改革」の連載を始め、95年、「自由主義史観」研究会が、97年、「新しい教科書をつくる会」が発足し、2001年には教科書検定に合格する。

 また同時期に台湾でも民主化が進むが、この中で台湾独立の動きも高まった。これは、それまで中華人民共和国に対抗するために蒋介石を支持してきた日本右派が、蒋介石をも否定できるようになることを意味した。対日請求権を放棄した蒋介石を支持するためには日本の中国侵略を認めざるを得ないため、右派の本流は日本の戦争責任を認めており、これを全面否定する者は少数派に留まっていた。その少数派が右派の中心に躍り出た。さらに01年には靖国参拝を公約に掲げる小泉純一郎が自民党総裁となり、首相に就く。

 こうした動きは、韓国から見れば、韓国政府が賠償協定に沿って対応する基盤を損なうことを意味する。しかし、日本政府はそのことから意識的に目をそらし、韓国の革新派が条約を無視して問題を蒸し返していると決めつけた。この例として挙げられるのが、安倍首相の私的諮問機関、21世紀構想懇談会の報告である。これは、岡本行夫・元外務省北米第一課長、宮家邦彦・元イラク公使、西原正・元防衛大学校教授らをメンバーとし、座長の西室泰三・日本国際問題研究所会長と座長代理の北岡伸一・元国連大使が報告をまとめたもので、15年8月14日に出された安倍談話の基礎となった。

 この報告は「(キム・ヨンサムからキム・デジュン政権下の)この良好な日韓関係は金大中の後の盧武鉉政権において変化する」と述べるが、小泉政権については、「当時の日本側の動きが韓国の国民感情を刺激していた面もあった」と言うに留めた。日中関係においては小泉が靖国参拝を繰り返したことにも言及しているが、日韓関係では触れられず、関係悪化の主原因は、民主化を担った「386世代」が「盧武鉉政権内において極めて反日的な理念を主張した」こととされた。

 その上で保守派のイ・ミョンバクに期待を寄せるが、「就任当初は理性に基づき日本との関係を管理するかに思われた。しかし、2011年8月に韓国憲法裁判所が、韓国政府が慰安婦問題について日本と交渉を行わないことは憲法違反であるとの判決を出すと、同大統領の対日政策は変化し、国民感情を前面に押し出し」たと、司法に批判の矛先を向ける。この報告に倣えば、19年の日韓関係は、韓国司法の問題に進歩派の政権の問題が重なってしまい、矛盾を拡大していることになる。

3 米国の視点

 日韓両国とそれぞれ同盟を結ぶ米国は、日韓関係の軋みに悩まされてきたが、01年以降の悪化の中でこの悩みはさらに深まった。例えば、06年9月14日の下院外交委員会の公聴会で、ハイド下院外交委員会委員長が「我々と我々の同盟は共同前線を構築しなければならないが、残念ながら、私たちの歴史が障害であり続けている。東アジアにおける我々の二つの同盟国、日本と韓国が共通の同盟に参加したことはないのである」と述べ、8年後の14年3月4日には、カーディン下院外交委員会東アジア太平洋問題小委員会委員長が北東アジアの「非情に深刻な課題」として北朝鮮と中国に次いで、「日韓は、敏感な歴史問題に基づいて相互に深い猜疑心を持ち続けており、これらの問題に関する日本の首相のレトリックは多くの者の関心を呼び起こしている」ことを挙げた。また、外交問題評議会のシェイラ・スミス日本研究シニア・フェローは、「北東アジアにおける米国の外交政策にとって最もやっかい問題は、おそらくソウルと東京の難しい関係であり続ける」と、日韓関係を課題の筆頭に挙げた。

 ハイドは共和党で、当時の米国はブッシュ・ジュニアが大統領を務めていた。そしてこれは、在任中に韓国と首脳会談を持つことがなかった小泉政権が終わり、第1次安倍政権が発足する直前だった。一方、カーディンは民主党で、当時の大統領はオバマだった。そして13年12月26日に、首相に返り咲いた安倍晋三が突然に靖国神社を参拝し、日韓、日中のみならず日米関係も軋轢を生じていた頃だった。

 冷戦が終わり、韓国が民主化し、日本でも政権交代が実現する中で改善するはずだった日韓関係が、より深刻さを増す状況は、民主、共和の立場を超え、またブッシュかオバマかを超え、米国にとって北朝鮮や中国と並ぶやっかいな課題なのである。その主な原因は日本の政治家の歴史認識である。  米国にとって、対朝や対中関係はいわば不信と警戒の上に成り立つ課題であり、この不信と警戒を解きほぐす措置を講じ、その成果を挙げることが外交の目的となる。ところが対日や対韓関係は米国と同じ考え方を共有して信頼と理解の上に成り立っている同盟関係であるはずで、両者が根本的な不信と警戒を抱くことはあり得ない。それが現実化し、激化している以上、それは対朝関係や対中関係の改善以上に難しい課題となるのである。

 15年当時は、オバマが米国の軸足をアジアに移すと表明したことを受けて、議会も多くの時間を費やして政府のアジア政策を議論していた。しかしトランプがオバマを否定し、議会も日韓関係を問題にする機会が減っている。そもそも、壁建設、特定国の国民の入国規制、パリ協定やTPPからの離脱、ロシア疑惑などが相次ぐ中では、議会もその影響を受ける。このことは、日韓が米国の仲介を期待できる余地が小さいことを示している。しかもトランプがその時の感情に左右されやすいことが、より事態を不安定にしている。

おわりに

 判然としないことが多いが、この問題は、外務省や谷内国家安全保障局長が中心となって進めたのではなく、参院選への対策として首相周辺が主導したように思われる。

 ではなぜこのような措置を採ったのか。その背景にあるのが、経済と並んで安倍が得意だと自負してきた外交で成果が挙げられていないことだろう。このため、外務関係者ではなく、首相が主導しやすい経産省を中心とする措置が決められたのではないだろうか。

 そうだとすると、この問題は安倍とその支持層である右派のイデオロギーにかかわるため、簡単に方針を変えられない。どのような立場から見ても成果を挙げることができない形で問題を顕在化させた上に、引っ込めることもできないのであれば、愚かきわまりない。外務が積極的に関わっていたのならば、無能と言われても仕方がない。

 しかし仮に外務が中心的に関わっていないとしても、外務関係者の責任は大きい。河野太郎外相の存在が大きなマイナスになっているためである。河野はもともと合理的でリベラルな方向性を備え、自民党の国会議員の中では高い能力を持つ。しかしそのことが、官僚の説明を十分に理解した上でさらに河野自身が一歩踏み込む背景となっている。例えば、7月19日、河野は駐日韓国大使を外務省に呼び、「韓国が国内の判決を理由に国際法違反の状況を放置しておくことは国際的にも許されない」と激しく抗議し、さらに「韓国側の提案はまったく受け入れられないことは伝えている。それを知らないふりをして改めて提案するのは極めて無礼だ」とまで口にした。これは、北朝鮮が敵対する国に対して使ったり、イスラエルとアラブ諸国の間の批判合戦において使われるような言葉で、一般的な関係で口にされることはない。外務省幹部は「正直、驚いた」と話していると言うが、これは大きな問題である。外務官僚は、日本側の問題点をも含めて大臣に説明しなければならないが、それが不十分である証拠なのだから。このため無用のエスカレーションを招いてしまったことになる。これほど注目されている問題で、しかも日本側の政治的な問題が大きい中で、大臣がカメラの前で取り返しのつかない発言をした責任は、官僚にある。

 また、司法に関する河野の発言は、中華民国がかつて購入した学生寮の帰属をめぐって長年裁判が争われた光華寮事件にも関わる。地方裁や高裁が中華民国の所有権を認めた際には、中国が抗議し、日本は司法の独立の説明に追われた。07年には最高裁が差し戻すが、この時は逆に最高裁が政治の影響を受けたとの批判も生じた。この時の総理は安倍晋三だった。

 解決の可能性があるとすれば、キム・ヨンサム、キム・デジュン、宮澤喜一、細川、村山富市らの頃の共通認識に立ち返ることである。これを欠いて民間の資金などを提供しても、解決には寄与しない。またこの点で、今回の騒動の最中の7月18日に明らかになった、95年7月に村山首相が、英国首相に送った元捕虜への謝罪の親書も参考になる。しかし、右派イデオロギーがそれを許さないだろう。

 カーディンは、「私の懸念の一つが、中国が韓国との間により近い関係を築いて、日韓の関係にくさびを打ち込もうとしているように思われること」とも表明していた。しかし、日韓の関係にくさびを打ち込んだのは他でもない安倍だった。しかも、日本経済が危機的な状況に至る可能性もある中で、どの立場から見ても得るものがなく、出口も見えない形で。右派から見てもこれほど愚かしいことはないのだが、それが世論の高い支持を得ている。EU離脱に熱狂する英国をとても笑えない。
 参議院選の日程が決まった。筆者は選挙のたびに外交を論点とすることの重要性を説いてきたが、残念ながら空振りが続いており、今回も問題になっていない。この間安倍一強体制が続いていることについては、この点でリベラルの責任も大きい。しかも今回は、むしろリベラル側が論点を曖昧する傾向がさらに強まっている。

 5月25日から28日にかけてトランプ大統領が来日し、27日に首脳会談を開催した。これを受けて、28日、各紙は一斉にこの問題を取り上げた。読売は日米同盟の深化を主張すると同時に、自動車への関税や数量規制への警戒を特に示した上で「自国第一主義の是正」と「北朝鮮制裁を維持」するよう訴え、産経は「『拉致』解決へ結束示した」と北朝鮮問題にもっぱら焦点をあてた。なお、他紙が社説全体を費やして日米首脳会談を取り上げたのに対して、産経は半分の字数に留めた。

 2002年以来続く右派のおなじみの主張だったが、これに対してリベラルが大きく異なる論点を示したわけではなかった。朝日は「もてなし外交の限界 対米追従より価値の基軸を」と、安倍と安倍外交を支えてきた谷内国家安全保障局長が、イラク戦争への支持や北朝鮮制裁を正当化するために掲げた価値外交を、そのまま容認した上に、貿易交渉をこの会談の「焦点」としたのである。価値外交を逆手にとって安倍を問うのでも、またリベラルが安倍に突きつけているはずの改憲、安保法制、沖縄などの外交問題を追求するのでもなく、単純に相手の主張に乗っただけだった。一方、これらの課題へは言及もされなかった。

 毎日も「米大統領への特別待遇 長期の国益にかなうのか」と題して同様に貿易や北朝鮮に焦点を当てたが、これらの中では唯一、「首相が培ったトランプ氏との信頼関係を他の政策課題に生かすこともできる。たとえば沖縄基地問題だ。……沖縄の意向を反映するよう腹を割って話し合うこともできよう」と言及した。

 玉城デニー沖縄県知事が就任直後に訪米して基地問題を訴えた際には、朝日は「日本政府はこの声にどう応えるのか。……対話に、政府は今度こそ誠実に向き合わなければならない」と主張していた(2018年11月13日付社説)。しかし現実に日本政府の首脳が米国首脳に直接に主張する機会を迎えた際には、朝日は沖縄に言及すらしなかったのである。本来、政治記者が最も取り上げなければならない政権の動き、つまり安倍や外務省が沖縄をどれほど重視または無視したのかも、触れられなかった。

 このような状況は参院選が近づいても変わらなかった。6月26日の国会閉幕を受けて、朝日は「論戦を封印した与党」を批判し、政府が外交を演出してはいるが内実はないとした上で、「国民の多くが関心を寄せる政策課題をめぐる議論に背を向けておきながら、憲法だけを取り上げて、野党の姿勢を批判するのはご都合主義の極み」と主張した(6月27日社説)。演出ではなく安倍外交そのものが問題だとは考えていなかった。論点をそらして論戦を封印したのはむしろ朝日だった。また、佐藤武嗣編集委員は「政権は外交を、内向きの政権浮揚や選挙に利用していないか」、「『外交の安倍』と言われるが主要課題は手詰まり感が漂う」とも評した(6月3日朝刊)。それまでは「成果」だったが最近は手詰まりと見ていたのである。

 このような主張は単に朝日のみに特徴的に見られるのではなく、政治家や有識者を含めたリベラル全般に及んでいる。このことは6月25日に衆院においてなされた枝野幸男立憲民主党代表の内閣不信任案の説明にも現れており、リベラルが自ら、広い意味での景気問題に課題を狭めている。これでは、それなりに良い経済状況が続く限り安倍への世論の支持は衰えないことになる一方で、参院選後、おそくとも20202年秋以降に予想される不況には、リーマン・ショック後の民主党政権の状況が繰り返されかねない。

 日本で国益が口にされる際にしばしば触れられることがある。幕末の日本は万国公法を信頼し、不平等条約の改正に努めようとしたが、岩倉具視らが米欧を訪問した際に、ビスマルクが「方今世界ノ各国、ミナ親睦礼儀ヲ以テ相交ルトハイヘトモ、是全ク表面ノ名義ニテ、其陰私ニ於テハ、強弱相凌キ、大小相侮ルノ情形ナリ」、「カノ所謂公法ハ、列国ノ権利ヲ保全スル典常トハイヘトモ、大国ノ利ヲ争フヤ、己ニ利アレハ、公法ヲ執ヘテ動カサス、若シ不利ナレハ、翻スニ兵威ヲ以テス、固リ常守アルナシ」と諭したことである(久米邦武編『特命全権大使 米欧回覧実記』(三)、岩波文庫、329項)。その後も国益に支配される非情な国際政治と誠実な日本外交との認識が広く伝えられてきた。これを今のリベラルも共有しており、その際には平然と沖縄は無視される。これを仕切直さなければ参院選の意味は半減する。