【進歩と改革2019年7月号】掲載


「日本国」をめぐって

 天皇をめぐる喧噪が続き、旧宮家の復活を求める右派も勢いを強める一方、憲法が規定する天皇制を「護憲」の立場から維持することも含めた議論も起きている。そこでこれに関連して、日本の国名について整理する。

 国の正式名称は、歴史的に形成された民族や土地の名称、文化的社会的な概念またはそれらに由来する言葉などと、その国の政治形態を表現した言葉を組み合わせて示されることが多い。例えば共和国のさきがけの一つであるフランス共和国は、フランク王国に由来する「フランス」と、公共の国すなわち君主制ではないことを意味する「共和国」から成り立つ。しかし日本では、単に「日本国(State of Japan)」が正式名称とされている。

 ところが、これが問題になることは少ない。この背景には、この名称が日本国憲法において示されたこと、つまり護憲派にとって「日本国」を問題にすることは改憲につながり、議論しにくいことと、逆に右派が、天皇を元首としようとしてきたことがある。また、天皇が絶対的な地位を持っていた近代日本が日本国憲法により民主化されたことを強調するため、護憲派が日本を共和制と主張することも多い。

 こうした背景から、国の名称に触れるのは改憲派が多く、例えば憲法学者の中では数少ない改憲派である西修は、「大日本帝国憲法は、その名のとおり『帝国』で……わが国は君主制国家であるし、国家元首が天皇であることにいささかの疑問もなかった。しかしながら、現行憲法では主権が国民にあることを明記する一方で、国家元首がだれであるかを明記していない。そのためわが国が共和制であり、また国家元首は内閣あるいは内閣総理大臣であるという有力な学説が唱えられている」と、憲法学の権威とされてきた宮澤俊義に批判的に言及してきた(西修『日本国憲法を考える』、文春新書、1999、66−67項)。

 日本国憲法が国会で審議された際にも、「国体」の護持や戦争放棄などが大きく問題になる一方で、国名は十分に議論されなかった。後に法務大臣などを務める田中伊三次衆議院議員が「政府は我國號を『日本國』と改定する意思を持つてゐるか」とする質問主意書を提出し、佐々木惣一貴族院議員が、大日本帝国憲法を擁護する立場から、「大日本帝國を改めて日本國とすると云ふ必要が一體何處にあるか」と、「私共の國號尊重論」から質問した程度である(1946年9月2日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会)。

 佐々木は大政翼賛会に反対したことから、天皇機関説を軍部に批判された美濃部達吉などともに、戦前の自由主義的な学者とされる。しかし両者とも大日本帝国憲法体制を支持したのであり、その民主化が論じられた際には強硬な君主制支持者となった。リベラリストとして語ることは問題が多い。

 これらに対して政府は、吉田内閣が46年7月23日に、「從來現行憲法においても特に我が國號を一定する意味で『大日本帝國』と云ふ名稱が用ひられたものとは考へてゐない。公式の文書においても『日本國』といふやうな稱呼が用ひられたことも少くない。改正案も、また國號を決定したものとは考へてゐないが『日本國憲法』と稱してゐるため、今後においては自ら『日本國』の名稱が廣く用ひられることにならうと考へられる。この際國號を『日本國』と改定するために特に何らかの措置をとる意思はない」とする答弁書を出し、佐々木には、金森徳次郎憲法担当大臣が、「現在の國民が實質に物を考へます時に於きまして何となく「大」の字の附いて居ることは誤解を起し易い、心持の上に於て滿足せざるが如きものではないかと察せられます、帝國の「帝」の字も同じやうな意味を持つて居るのであります、我々は今新たなる覺悟を以て新たなる秩序の國を眞に充實せしめて行かうと云ふ段階に立つて居りますが故に、此の國民思想を斯くの如き文字の末端に迄適切に現はすと云ふことが恐らく適當であらう」と説明した。

 「日本国」は「大」と「帝」が「心持の上に於て滿足せざるが如きものではない」から省いて成立したと、説明されたのである。「国体護持」を求める勢力と、天皇制を廃し共和制の樹立を構想する共産党や民間の改憲案の間で、政府が生み出した曖昧な名称が「日本国」だったと言い得る。

 これを各国の名称と比較すると、また異なる様子が見えてくる。国連加盟国193カ国の中で最も多いのは共和国である。該当する国は加盟国の2/3を越える約130カ国あるが、その在り方は様々で、この数も国名に「共和国」がつくものを型式的に数えたに過ぎない。朝鮮民主人民共和国などを数える一方で、合「州」国を名乗るアメリカやメキシコ、連邦を名乗るスイスやロシアは数えていない。また正式名称を共和国としているか否かが微妙な場合もあり、約130カ国としているのはこのためである。しかしそれでも、20世紀が王制から民主制への時代だったことが表れている。実態はともかくも、共和国を名乗ることが時代の要請だと言っても良い。

 これに対して今も明示的に王国を名乗る国も16カ国ほどあり、首長国、公国などを名乗る国を合せると約20カ国にのぼる。その実情は共和国以上に多様だが、大きく四つのグループに分けることが出来るだろう。

 一つはデンマーク、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、英国など、高い水準で民主制を実現しており、人権、環境など、様々な面で高い評価を受けている国が多い。見方を変えれば、現代において王制を残す以上は徹底した民主化が不可欠である。

 これは福祉の充実にも当てはまる。高福祉を実施するためには国が人々の生活を捕捉し介入する度合いが高まるが、国の透明性が低いままでそのような事態に至ることは、ソ連などの社会主義体制と変わりがない。だからこそ、中央政府への不信を隠さない米国では、政府の介入が強まる高福祉へも強い反発が示される。この意味で、北欧諸国などが高い政府の透明度を誇ると同時に高福祉を実現しているのは当然で、高い民主制を実現しているからこそ王制を維持していることと同様である。

 対照的なのが、バーレーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦など、独裁的な君主制を維持する諸国で、特にサウジアラビアは、2018年10月にジャマル・カショギ記者を総領事館で殺害したことを筆頭に、その人権状況が厳しく批判されている。一方、豊富な石油マネーを背景にインフラなどの現代化を推進している。

 3番目にブータンなど、古い王制をそのまま引き継いで今に至っている場合、4番目に、独裁体制の崩壊や内戦を経て、国民の支持を受けて王制が復活する場合が挙げられる。フランコの独裁体制後に王制が復活したスペインや、民主制の経験を経ないままでポル・ポト派による170万人にも上る虐殺とその後の内戦を経て王制を復活させたカンボジアがこの例である。特に後者は、国連の監視による初めての民主的な選挙により成立した制憲議会が王制を復活させる奇妙な事態となった。  一方、政治形態を表明しない国も40カ国ほど存在する。その中で一大グループを形成しているのはかつてのイギリス植民地で、現在は独立しながらエリザベス2世を型式的な君主としている場合である。これらの国はさらに二つに分けられる。

 一つはカナダやニュージーランドなどで、これらは外交的に英米とは異なる姿勢を示すことも多く、他国と比べても民主制が保証されている度合いが高く、全体的に国際的に厚い信頼が寄せられている。それにもかかわらず歴史的経緯をふまえて、その政治形態が明示されていないことになる。ただしこれが問題になることもあり、特に、オーストラリアは共和制への完全移行や国旗に英国国旗を組み入れていることをめぐって国民投票を重ねてきた。

 他方はグレナダなどのカリブ海や太平洋の小さい島嶼国である。経済規模が小さい故に、形式的ではあっても英国との繋がりを維持している。

 また、モンゴル、ルーマニア、ウクライナなどの旧ソ連・ソ連圏諸国にも、政治形態を表明しない国が多い。かつて人民共和国などと名乗りながら実態は民主制とはほど遠かった国で、どのような国名とすべきかをめぐって議論があり、実質的には共和制をとっていても、少なくとも現時点では国名に反映させていない。アラブの春による民主化の後、国名から政治形態を省いてしまったリビアなどの例もある。

 これらを除くと、1993年の独立後に独裁的な状況が続くエリトリア、数百年以上に渡って暮らしてきた人々を追い立てて、古代の国名を復活させる形で建国され、共和制ではあるが、元々の住民に対する多くの人権問題を起こしているイスラエル、立憲君主制だが君主の力が強いブルネイ・ダルサラーム、強力な君主制をとり、人権状況に問題が多いが、石油による豊かさを誇るクウェート、オマーン、カタールなど、その名を曖昧にしている国には、特異な状況を持つ例が多い。

 このように見ると、近代に至って宗教支配に基づく王制を作り上げて各国への侵略を続けた日本が、侵略体制だった王制を温存すると同時に国名を曖昧にしていることの特異さが際だつ。人権状況に問題を抱えるが経済力によって国内的にも国際的にも批判を封じ込めている諸国に近いものがある。しかも、天皇個人のリベラルさによってその異常さが緩和されている。

 また王制を言明している国と比べても、北欧などが高度な民主化と併行させて王制を残したことに対して、先進国の中で最も報道の自由度が低い日本の現状は王制を残し得る状況にはない。互いに殺し合う異常な独裁体制や長い内戦を経て国民統合の象徴として王制を復活させたカンボジアに比べれば、日本が統合の象徴を必要とする度合いはほとんどないに等しい。  改憲が具体的に語られる今、改めてこれらの論点を問題にすべきか否かは、政治的に配慮されるべきだろうし、立憲君主制であると明示することにもさまざまな意見があろう。しかし護憲派の立場からも天皇制の維持を語らなければならない中で、世界で唯一「エンペラー」を維持し、やはり唯一、不定期に変更される年号を使用し続けていることに加えて、その名称の特異さも、頭の隅に置いておくべきではないか。