【進歩と改革2019年6月号】掲載


WTO敗訴と改革

 6月28、29日に大阪で、主要先進7カ国、EU及び新興国13カ国による金融・世界経済に関する首脳会合(G20)が開催される。英国のEU離脱やトランプ政権 に象徴される保護主義的な動きの深刻化に加えて、その中で強まる米中貿易対立や世界経済の減速などへの対応が求められる中でのことである。18年12月のG20が 要求した世界貿易機関(WTO)改革の進展も課題となっており、初の日本での開催で議長も日本が務めることから、その主導を求める論評等も多い。

 そのような中で、4月11日、WTO上級委員会が、韓国が福島原発事故被災地などからの水産物輸入を禁止していることを不当な貿易制限として日本が訴えていた問題について、韓国の主張を認めた。産経はすぐさまこれに反応し、4月13日の社説で、「到底、納得できない乱暴な判断」「何のためのWTOかと疑念を抱かざるを得ない」と強く批判し、「トランプ米政権がWTOによる紛争処理の実効性に強い疑問を呈してきた。今回の判断はWTO改革の必要性を再認識させる」と、トランプの主張に沿ったWTO改革を主張した。1日遅れて読売も「現在、WTOの紛争処理機能は低下している。上級委の判事にあたる上級委員の定員は7人だが、うち4人が欠員だ。WTOに批判的な米国が委員の指名を拒否し続けているためで、このままでは機能不全に陥る恐れがある。上級委の立て直しを含めたWTO改革についても、日本は各国と連携しながら取り組むべきだ」と、産経ほど露骨ではないが、同様の主張を展開した。朝日は14日の社説では「批評の再生」などの緊急性のない問題を取り上げながら本件については触れず、15日の新聞休刊日を経て、ようやく16日の社説で「極めて残念」と評した上で、「WTOの紛争処理のあり方など、検討すべき課題も残った」と指摘した。評価に迷った上で、結局、読売などと同じ方向を、やや調子を弱めて書いたのである。

 国際機関の改革論議は、創設と同じ長さの歴史を持つと言い得る。その国際機関が対応する問題をめぐって国際的合意が十分ではない場合には当然にその国際機関のあり方も対立を呼ぶためである。WTOの場合は、グローバル化の中で貿易をめぐるそれぞれの主張が激しく衝突し、しかも各国の国内政治における重要課題として妥協できない状況であり、トランプ、安倍、中国、EU離脱で混迷する英国、開発途上国等、世界中の国が、自分たちに 都合が良い組織にWTOを変えようと争っていると言い換えても良い。

 しかもWTOが設立された1995年は、冷戦の終焉、EUの発足などを経て、国際統合が進められる時期だった。今は、国際統合に反対する有力国が複数登場しそれぞれの主張の合理性を論じるのではなく、民族主義を振りかざして、WTOを批判している。またWTO創設後にIT革命が急激に進展したことから、WTOが十分に対応できない問題が多いのは当然だった。

 そこで重要なのは、どのような貿易を目指すのかというそもそもの議論だが、先の社説でも、トランプの主張をなぞる産経と、おそらくそれに反対する朝日がともにそこに触れないままで、WTO改革を求めている。これは奇妙で、議論を混乱させ、結果的に、安倍に白紙委任状を渡すことに繋がる。

 両者の一致は被災地からの禁輸の撤廃しかない。しかし、被災地の食品を避けてきたのは韓国だけではなく、中国や台湾なども同様である。そればかりではない。WTOが報告書を発表した12日後、原発事故の避難区域内に工場がある福島の菓子メーカー「木乃幡」が自己破産を申請すると報じられた。同様のニュースは原発事故以来多く伝えられてきたが、日本社会も今も被災地の食品を避けている。

 さらに言えば、40年前のチェルノブイリ原発の事故の際にも厳しい輸入制限を求める声が強く、政府の対応は不十分と批判された。2005年に米国でいわゆる狂牛病(BSE)の発症が確認され、米国の牛肉輸入が停止されたが、米国の抗議により輸入が再開された際には、日本政府は米国のいい なりになって国民の命を危険に晒すのかとの強い声が挙がるなど、食の安全が問題になるたびに同様の事態が繰り返されてきた。これに照らせば韓国などが規制を続けても無理はない。

 もちろん、被災地の復興に向けた努力を無視しろと言うのではない。日本はそれだけ深刻な事故を引き起こしたのであり、その日本が、自国の政策自体を問い直すことなく、自らの責任を他国に転嫁していると言えないか。それがさらにWTO改革、つまり世界の貿易ルールの変更に突き進んで いるが、もっと躊躇があるべきではないのか。

 言わずもがなだが、日本はかつて世界でも最悪の環境破壊国であり、国際的な批判も浴びたが、偏西風や黒潮により汚染された海水や大気は主に太平洋に運ばれ、批判を和らげてきた。それに甘えてきた面もあるように思う。