【進歩と改革2019年5月号】掲載


日本政府と国際法

 首相らが国際法を振りかざして、韓国、中国、ロシアなどを批判する例が増えている。日本政府にとって国際法が持ってきた意味をふまえると、これらの発言は見過ごせない意味を持つ。

 1951年、米国などとの平和条約が締結された。外交の復活に向けて外務省設置法が作られるが、ここで、「その権限の行使は、条約、確立された国際法規及び法律(法律に基づく命令を含む。)に従」うと規定された。他の官庁の権限の根拠が「法律(法律に基づく命令を含む。)」とされたのに対して、外務省のみが、成文化された条約及び必ずしも成文化はされていないが確立された慣習法をも権限行使の基準に組み込んだのである。

 その条約の締結は憲法が内閣の事務として規定していることを受けて、設置法は外務省を「条約その他の国際約束の締結」について「一体的に遂行する責任を負う」とされ、「条約その他の国際約束を締結し、解釈し、及び実施し、並びに渉外法律事項を処理する」権限に加えて、「条約の実施及び確立された国際法規の履行のために必要な権限」を有するとされた。一方、憲法は条約に対する国会の役割を事前又は事後の承認に限定しており、条約に関して国会は副次的な存在となった。

 これにより政府は、自ら「締結し、解釈し、及び実施し」た条約に基づいて権限を行使できることになった。つまり、立法、行政、司法の3権を束ねたような権限を一手に握ったのである。

 この、治外法権と言っても良い事態に司法が挑戦したほとんど唯一の例が、砂川事件について東京地裁が安保条約を意見とした、いわゆる伊達判決である。ただし最高裁は、この9か月後に「安全保障条約は……高度な政治性を有し……違憲かどうかの法的判断は、純司法的機能を有する司法裁判所の審査には、原則としてなじまない」として差し戻し、条約を自らの埒外に置き、条約の憲法に対する優位性を確立した。

 しかし全ての国際法を政府が重視するわけではない。成文化から長い時間が経ち、多くの国が批准している条約でも、政府にとって好ましくないものは忌避する。その場合には、国民感情や国内法を優先したり、国内法の整備に時間がかかるなどと説明される。

 1948年に国連総会が採択したジェノサイド条約はその典型だろう。142カ国が批准する条約だが、日本は批准していない。57年には、この条約に反する核兵器実験の禁止を国際司法裁判所に提訴するよう求めた大西正道衆院議員(社会)の質問に、「今研究をいたしております……積極的に私はこの問題を考えております」(5月15日、衆院外務委員会)と答弁したのは岸信介首相だったが、その後も「その趣旨には異存はない(が)……条約が禁止している各種の犯罪行為をどのように国内法において構成要件として決めていくか」(賀陽治憲国連局長 81年5月28日、衆院外務委員会)、「国内法の整備の内容等については、これはちょっと簡単にはいかない」(麻生太郎、2017年4月28日、参院外交防衛委員会)と繰り返す。

 もちろん国内法の整備は言い逃れに過ぎず、当の関係部局も「これまでの間に、外務省の方からそのような依頼を受けたことは承知しておりません」(林眞琴法務省刑事局長、2014年11月12日、衆院法務委員会)。
 逆に政府が積極的に国内法の整備を推進する場合もある。国際組織犯罪防止条約を批准するためとして共謀罪が作られたのはその一例である。一方、核兵器禁止条約が成分化しても反対する。つまり、外交に関する国際法と国内法の二つの根拠は、両者を都合良くつまみ食いするための二重基準だった。

 その改正についても同様の姿勢が貫かれる。自分に有利であれば、日韓条約のように相手の弱みにつけ込んで結んだ条約であっても見直しを拒み、居丈高に履行を迫る。しかし好ましくない場合には、平然と改正を主張する。古くは条約改正問題から国連安保理常任理事国入りまで枚挙にいとまがなく、成功した者は称えられる。例えば条約改正に成功した際の外相、陸奥宗光の像が外務省内にあったが、戦中に供出後、1966年にわざわざ再建した。

 このような様子が顕著に表れている国内問題が、沖縄である。県に対しては条約上の義務を全面に押し出す一方、米国に対して政府が積極的に日米地位協定の見直しを主張することはない。また仲井真知事が一度約束した以上は再度県と話し合う必要はない。

 ただし、沖縄県民には憲法が規定する基本的人権があり、有権者であり、沖縄県は地方自治法の適用を受ける。このために政府は、韓国などに比べれば、沖縄に対しては実は遠慮している。

 日本政府に対しては妥協してはならず、善意を期待してもいけない。そして、何度も繰り返してきたように、政府の沖縄への姿勢を批判しながら日本外交を問題にしないのであれば、問題の半分しか見ていない。この点で、リベラルも政府と同類ではないか。