【進歩と改革2019年11月号】掲載


国際安全保障局長の交代

 安倍首相が国家安全保障局長の交代を決めた。2014年1月7日に発足した国家安全保障会議の初代事務局長として安保法制の成立を支え、「外交の安倍」を演出してきた谷内(やち)正太郎の後を襲ったのは、警察官僚出身で前内閣情報官の北村滋だった。

 これに関して読売や産経は特に社説を書いていない。毎日が「谷内正太郎氏が各国の指導者の側近と協議し首脳外交を下支えしてきた。新たな官邸外交も試される」(9月13日)とわずかに触れ、朝日も「北村氏は首相との関係が緊密とはいえ、外交経験はほとんどない」「異例の起用と言わざるをえない」(9月17日)とする程度だが、両紙とも谷内が「支えた」「安倍外交」をそれなりに評価している。

 確かに、発足当初の第2次安倍内閣は日本軍国主義への共感を隠さず、対米関係も悪化させていたが、国家安全保障局発足後から抑制的になり、15年12月28日の慰安婦問題についての日韓合意、16年12月27日のパールハーバー記念館訪問など、従来の安倍ならば考えられない譲歩を果たし、長期政権化の一因となった。

 しかし朝日などは、安保法制などを目指す安倍や麻生の方向性そのものに疑義を呈してきたはずである。そして谷内ら自身が、それまでの外交姿勢の変更に積極的に関わってきた。谷内自身の言葉を借りれば次のようになる。

 「(第1次安倍内閣発足時)私が以前から温めていた『自由と繁栄の弧』という考え方を、麻生外相に話をしてみたら、『ぜひやろう』ということになり、『外交の地平を広げる』という問題意識から、何度も議論を重ねて、その結果を麻生外相に発表していただいた」(谷内正太郎『外交の戦略と志』産経新聞出版、2009、144項)。そして麻生は、「『価値の外交』という言葉と、『自由と繁栄の弧』という言葉」を、安倍、麻生の外交を象徴する「新機軸、新造語」として謳いあげる(麻生「『自由と繁栄の弧』をつくる 拡がる日本外交の地平」、日本国際問題研究所セミナー講演、06年11月30日)。

 それまでの日本外交は、内政不干渉を主張してきた。これは、日本が人権上問題を抱える国と積極的に貿易関係を維持したり、経済協力を提供することに対する国際的な批判への言い訳だった。しかし、北朝鮮の拉致問題により、日本が人権分野で攻勢に転じることができると認識されたのである。05年12月には人権担当大使を任命したが、その目的は拉致問題や慰安婦問題に対する広報だった。「価値の外交」とは、「国益」つまり日本の経済的損得を優先させた上で、右派イデオロギーを広めることだったと言い得る。

 加えて米国で、自らの理念を優先する新保守派のブッシュ・ジュニアに代わったことも作用した。谷内自身、「ネオコン(新保守的)的発想」との批判があることを認めた上で、「必要なら武力行使をしてでも広めるという考え方は持っていない」と弁明している(前掲、144−5項)。

 同時に、谷内は「憲法9条の解釈が極めて謙抑的(ママ、禁欲的か)に行われ、現場の実態と乖離していることが最大の問題」、「現在の政府の憲法9条の解釈は日本の安全保障政策、国際平和協力に大きな支障となっている」(同、123―4項)、「政府全体の意見を内閣法制局が決める権限をもっているわけではない。解釈は最終的に内閣であり、内閣総理大臣が行う」(同129項)等とも表明していた。

 これらは、第2次安倍政権の成立とともに実行に移され、13年2月、柳井俊二元駐米大使を座長とする安保法制懇が発足し、8月に小松一郎前駐仏大使を内閣法制局長官に据え、国家安全保障会議発足に至る。

 しかし、13年12月26日に安倍は靖国を参拝し、米国を含む国際的な批判が高まる。慰安婦問題の広報つまり批判への反論などと「人権」が相容れないこと、安倍の「価値の外交」は先進国の価値とも中国が唱える価値などとも相容れないことが露呈したのである。このまま「価値」を優先して集団的自衛権の解釈変更から安保法制実現を諦めるか、安保法制などを優先するために「価値」を棚上げにするのかが迫られた安倍は、後者を選んだ。

 この状況を揺さぶったのが、トランプ政権だったと思われる。それまでは抑制的に動いてきたこともあって外交の安倍を謳うことができたが、トランプには抑制的対応が意味を持たない。成果が挙がらない中で右派を納得させるために、安倍は「価値」を表面化させる。その典型が韓国への対応だが、これを世論が支持する。世論は谷内らを追い越してしまった。しかも、谷内らが求めた法整備は一段落し、残すは明文改憲のみである。

 あいちトリエンナーレの中止と再開が問題となっているが、谷内らへの評価とその後任をめぐる議論はこのような問題にもつながる。そのような中で先の朝日の社説は、単純すぎる。