【進歩と改革2019年1月号】掲載


米国政治のねじれとは何か



 はじめに

 2018年11月6日に行われた米国の中間選挙の結果、下院では民主党が大幅に議席を増やして多数派を得た。しかし上院では改選議席の多くが民主党議席だったために、改選議席に関しては民主党が多数を制しながら、議席全体では共和党が多数派を維持した。このため、上院と下院の間でいわゆるねじれが生じたことから、今後の米国政治のあり方が混沌としていることがしばしば指摘されている。

 筆者は、本誌2017年1月号にトランプ大統領誕生を受けて次のように書いた。「米国は憲法の具体化をめぐって絶えず激しい分裂を続けてきた。その意味で米国社会の分裂は珍くないどころか、その歴史は分裂の歴史と言っても良い。その最大のものが南北戦争で」、「今も、妊娠中絶、医療保険、銃規制など、多くの問題が結論を見ないままに議論が続」く。トランプの「発言が対外的な民族主義的扇動のように見えながら、実は国内問題であり、しかも米国社会が克服し、全体的な合意を形成してきたはずだったことを逆転させている」。「こうした上に産業転換に取り残された層の拡大が重なり、米国社会が積み重ねてきた合意を否定するトランプの主張は広く浸透し、支持されてしまった。この合意の否定にこそ問題の深刻さがある。」

 トランプ政権の2年を顧みて、改めてこれらの指摘は適切だったとの思いを深めている。米国は、絶えず憲法とは何かを問い、この問いをめぐって対立し、その上でそれを克服してきた。だからこそ、分断をあおるような言説には敏感に反応する。克服してきたはずだからこそ、改めて社会的合意を覆すような動きに危機感を強めたり、逆に、新たに生じた状況をめぐって克服されたはずの対立が吹き出すためである。ただしそれは、そのような分断や対立が表面化することによって、それまでは克服したと認識されてきたことは何だったのか、またはかつての対立を表面化させる新たな事態とは何なのかを問題にする機会でもあり、そこから新たな段階に至る、いわば弁証法的発展が促される。米国社会のダイナミズムはここにある。そこで今回は、米国政治のねじれと社会構造の変化を歴史的に整理したい。

  一 米国政治におけるねじれ

 中間選挙の結果を「痛み分けとも見える上下両院の「ねじれ」は民意の分断を象徴している」(毎日11月8日付社説)などと評する傾向がある。しかし、そのような単純な論評には疑問がある。米国政治ではねじれは決して珍しいことではなく、また批判されるべきことでもないためである。筆者が本誌13年1月号で「(大統領選、議会上院、下院など)複数の意見表明の機会があり、しかもそれが役割の異なる機関についてなされ、しかも大きな議論を招いている問題がある以上、ねじれが生じるのは当然である。さらに言えば、そのような問題について十分に議論が戦わされるためにはねじれている方が好ましい。言い方を変えれば、政府と議会等の間でねじれが生じなくなることは、議論に決着がついたことを物語る」と書いた通りである。そこで、米国政治のねじれを歴史的に振り返ってみたい。

 その前に、念のために上院と下院の役割の違いを簡単に整理しておこう。上院は各州から選出された2名、計100名の議員からなり、任期は6年で、2ごとに1/3が改選される。米国が連邦制をとり、各州に高い自治が認められていることから、州代表としての意味を強く持つ。このため、下院にはないが上院が持つ権限として、条約の批准の承認、省庁の長官をはじめとする高級官僚、軍の将官や裁判官の指名に対する承認などがあり、外交や軍を始めとする連邦政府に対するチェック機能を、下院より強く持つ。そして任期の長さ、全体が一度に改選されないことなどは、連邦全体の安定性を担保するものとなっている。日本では、一票の格差に関して、米国上院が一票あたりの人口の格差が大きいことが指摘されることがあるが、これは州代表としての意味合いをふまえていない。これに対して下院は人口比に応じた選挙区ごとに選ばれ、任期は2年と短く、より選挙区に密着することが求められる。

 さて米国では、1951年に採択された憲法修正22条により、大統領の3選は認められない。しかしそもそも一つの政党が大統領を長期に渡って送り出すこと自体が少なく、51年以降では、同一の政党が3期以上を制したことは一例しかない。83―93年に共和党のレーガンが2期、レーガン政権の副大統領だったブッシュ・シニアが1期の計期を務めたのが、その唯一の例で、これを除くと1期4年または2期8年ごとの二大政党による政権交代が続いてきた。レーガンとブッシュの時期にしても、ブッシュが冷戦の終わりという歴史的な出来事の中で政権を引き継いだにもかかわらず一期で終わり、共和党の時代を四期続けることは出来なかった。現代の米国では一つの政党が8年を超えて政権を担うことは考えられないと言っても良い。

 しかも大統領の任期の半ばで行われる中間選挙では、大統領への批判が顕在化して与党が負けることが多いために、大統領と議会のねじれは日常的である。今回の選挙により、上院と下院のねじれが2020年まで続くが、1971一2020年の50年間で大統領、上院、下院の全てを同一の政党が制したのは、カーター政権期の1977―80(民主)、クリントン政権期の1993―94(民主)、ブッシュ・ジュニア政権期の2003―06(共和)、オバマ政権期の2009―10(民主)そしてトランプ政権期の2017―18(共和)の14年間に過ぎない。残る36年間は、大統領と議会または議会内でねじれがあった。

 さらに加えて、カーター政権期の4年間が共和党のニクソンの失脚を受けたものだったことや、逆に共和党が大統領と両院を制したブッシュ・ジュニア政権期は、米国社会が9・11後のいわば興奮状態にあった時期であることを考えると、三者を一つの政党が制することの方が珍しいと言わなければならない。しかもこれらの四年間も波風が立たなかったのではなく、カーター政権期は新保守派の台頭によるレーガン政権の誕生と上院における民主党の敗退を導き、ブッシュ政権期の反動は初の黒人大統領のオバマか、初の女性大統領のヒラリー・クリントンかを選ぶ選挙に至っている。両院も民主党が50%代後半の議席を得た。他の時期も、クリントン政権期には保守革命とも呼ばれた共和党保守派の躍進を導き、オバマ政権期はティー・パーティーと呼ばれる保守イデオロギーを全面に打ち出した草の根保守派が急激に拡大して、トランプの誕生に繋がるイデオロギー的な動きを生み出した。トランプとともに二〇一七年に生まれた大統領と両院を共和党が制した時期も、今回の中間選挙では民主党の復活を招いて2年で終わった上に、若者や性的少数者など候補者の多様化と政治参加の活発化を促すことととなった。

 このように見ると、米国政治には日本的な意味での安定政権はほとんど存在していない。さらには、一時的な「安定」はかえって逆の動きを強めていると言い得る。

 二 ねじれを生む構造変化

 ただし、ともに地域代表である両院の間では状況がやや異なる。80年以降では、81―86年は上院を共和、下院を民主が、2001一02年及び2011一14年は上院を民主、下院を共和が制するねじれが生じたが、ルーズヴェルト政権が発足する1933年以降は、80年までの長期に渡って両院とも民主党が制する時期が続いた。わずかな例外は47―48年、53―54年だけだった。、さらにルーズヴェルトよりも前の20年代は共和党が大統領に加えて両院も制していたのである。

 ここには、米国社会の基本的な状況の変化が反映している。第1次世界大戦後の繁栄を謳歌して黄金の20年代と呼ばれた時期は大統領、議会とも共和党が制していた。議会は国際連盟への参加を拒否して一国平和主義を堅持する一方で、政権は不戦条約などを推進することでこの平和主義を外からの補強に努めた。また国内的には自由放任の経済政策により繁栄が続くと信じられていた。

 しかし、世界恐慌と日本の満州侵略を経た1933年から第2次世界大戦後の長期に渡って、民主党がほぼ議会を制する時期が続いた。共和党の平和主義が日本軍国主義によって失敗させられて米国全体が方針を転換し、共和党も一国主義の方向性を平和主義から強圧的なものに変えたこと、そして国内的には財政出動型の経済政策をとる必要が生じて、自由放任主義に変容が迫られたことが、この転換のきっかけだった。日本ではほとんど認識されていないが、本誌でたびたび指摘しているように日本軍国主義が米国社会全体を変えたことが、このような様子からも改めて想起される。そしてこうした外交面における動向はそのまま戦後の冷戦期に引き継がれる一方で、公民権運動などが高まると同時に、民主党のジョンソンが掲げた「偉大な社会」、すなわち公民権の確立や貧困撲滅を目指す社民主義的な動きが、労働者の党としての民主党の優位を支えた。民主党は両院で60%程度の議席を維持し続け、現在さびた地域と言われる工業地帯は民主党の牙城となった。

 しかし、79年のソ連のアフガニスタン侵攻などにより米ソ対立が一挙に激化し、81年にレーガン政権が誕生すると、下院では民主党が勢力を維持しつつも、外交軍事面の役割が大きい上院は共和党が制した。このねじれには両院の性格の違いがあった。

 ところが、冷戦が終わった1995年以降は両院を共和党が制することが多くなる。これは、冷戦の終焉により米国全体が改めて内向きになったことと、この結果、妊娠中絶の否認などの宗教色の強いイデオロギー的な問題が論点となる傾向が強まったためである。これに関して、政治的公正さ疲れが表面化して押さえられていた本音が表に出るようになったとも言われるが、別の形で表現すれば、冷戦という大問題が解決したことにより、未だに全面的な社会的合意が得られていない、特にイデオロギーにかかわる問題が改めて重要な課題として提起され、それに関連して、合意が形成されたと思われていた問題も見直しが求められているのであり、新たな課題が示されるようになったからこそ、ねじれが日常的になった。米国社会は内政と外交の両面で構造変化を起こしたのである。

 三 移民と産業構造の変化

 ここでグローバル化と情報革命により急激に変化した産業構造が問題になるが、ここでも歴史的経緯をまとめる。

 広大な国土を抱える米国は建国以来つねに人手不足の状態にあった。建国初期には大規模な農場が展開するが、このために多くの奴隷を必要としたことは慢性的な人手不足を象徴した。南北戦争後は南欧や東欧からの新移民が増加し、第1次世界大戦が勃発するまでに2700万人を超えて、人口は南北戦争前から倍増する。

 これは二重の意味で米国の産業構造を規定した。一つには、言葉も文化的背景も多様な移民でも生産に従事できる体制が必要となったこと、同時にその移民を消費者とする、多様な背景を持つ人々が必要とし、かつ使いこなせる製品が必要となったことである。これがもともとの人手不足とあいまった結果、ヨーロッパの旧世界が蓄えてきた熟練工による手の込んだ製品ではなく、互換性の高い均質な製品を大量に生み出す生産方式を大規模に採用させることとなる。これが産業革命の展開の中で、米国のみならず二〇世紀以降の製造業を象徴する大量生産方式を導くことになる。

 このような背景を持つ製造業は20世紀の米国の繁栄を象徴していた。それが産業構造の変化により衰退してしまったことは米国社会が共有する認識を危機に陥れる。もちろん、トランプはそれを利用しているに過ぎず、その政策がむしろ危機を深める度合いが高いこともある程度は周知されている。しかし根本的な対応が他にあるわけでもないことも事実であり、トランプが支持される。

 このような中から生まれる軋轢に、顕在化したイデオロギー対立が重なり、妥協が難しくなる。このためにオバマ政権下では、共和党が予算の承認を拒み、政府機関の閉鎖を招く事態にまでたびたび至った。これは予算を人質にした政争ではなく、根本的なイデオロギーの対立だった。

 なお、トランプが今回の選挙でも象徴的に利用した移民は、もちろん小さな問題ではないが、最重要の問題とも言えない。確かに冷戦の終わりは米国が受け入れる移民の増加を招き、90年前後には、旧ソ連、東欧や中国からの移民が急増し、最も多い91年には180万人を超える移民を受け入れた。さらに2001年以降は毎年100万人を超える移民を受け入れており、その約40%が中南米出身である。しかし、その多くは大都市部や国境に近い南部に居住し、トランプ現象を支える、いわゆるさびついたかつての鉱工業地帯には必ずしも多くなく、深刻な問題として職の奪い合いが起きているわけではない。むしろ人口が減少して町が寂れることが問題となっている。

 また、この多くの移民により米国は人口増を果たしており、80年代の10年間の人口増加が2216万人だったのに対して、90年代には3271万人、2000年代には2732万人が増加し、その経済成長を支えている。不法移民を含めても基本的な状況に変わりはなく、移民は、トランプが脅威の象徴として利用しているに過ぎない。

 ここで注目しなければならないのは、産業構造の転換やそれが新たな問題を生み出した際に、米国社会が大きな議論を経て大胆な改変に取り組んできたことである。19世紀に、石油王ロックフェラーや鉄鋼王カーネギーなどの言葉に代表される巨大独占企業が生まれた結果、むしろ自由競争が阻害されたことから、米国議会は独占企業を規制する反トラスト法を次々に作りあげ、整備していった。このため、絶頂期には世界の石油精製の90%を握っていたロックフェラーのスタンダード・オイルは30社以上に分割された。こうした反トラスト法の中でも最初期に作られ、かつ中心的なものの一つがシャーマン法だが、提案したシャーマンは共和党の創設者の一人でもあった。

 こうした対応は現在も続き、連邦取引委員会や司法省は巨大企業と対立し、裁判所は罰金を科し、分割してきた。興味深いのは、このように分割された産業分野が、その後の中心産業としてむしろ成長している場合が少なくないことである。だからこそ、活力ある市場を維持するためにこのような措置が必要だと認識されることになる。

 産業構造の大きな転換を繰り返すと同時に、資本主義の基本原理をも含めて見直してきたのが米国である。労働者の地位を守るための強い労働組合の存在や、かつて掲げた偉大な社会もこのような文脈で整理し直すことが出来る。

 そしてその原動力となってきたのが、実は、対立と分断、そしてそれらを克服しようとする努力に他ならない。トランプ現象が固定化するのならば、米国社会の活力は消え失せたと言わざるを得ないが、多様な主張が顕在化し、資本主義に対する根本的な問い直しにまで至っている現状は、予断を許さないが、次代を準備しているようにも思われる。むしろ、絶対的な安定政権が続き、根本的問い直しが起きにくい日本の状況の方が問題だろう。