【進歩と改革2018年5月号】掲載


護憲派の民族主義



 米朝会談が動き出す中で、現行憲法を記念する最後の憲法記念日になるかもしれない5月3日を迎える。安倍政権の支持率急落により改憲の実現性は低下しているが、あくまでも敵失の結果に過ぎない。そこで、今回はあえてエッセー風の文章を書きたい。

 昨年、学生から次のような意見を多く受けた。曰く、平和を守るために改憲すべし、北朝鮮の核の脅威が高まる中で、森友、加計問題などを取り上げてる野党は無責任、総選挙で与党が圧勝したにもかかわらず、棄権率の高さなどを強調する左派メディアは信用できない、高齢者福祉が財政を圧迫するのと同様に年配の護憲派が若者を危機に晒している、若者は数が少なく選挙で負けてしまい、希望を持てない……。

 匿名の授業評価アンケートの中には、私を「売国奴」と書くいわゆる右翼的な学生もいるが、1%程度に留まる。学生の多数、中でもまじめな者たちこそ、先のような意見を出している。ここで妨げになることが多いのが護憲派の主張である。例えば、憲法9条は米国の押しつけではなく、日本人が作ったとするものがそれで、護憲派の学生の方が日本は平和的と考えがちになる。

 しかし、1945年12月8日に松本烝治・憲法担当相が、衆院予算委員会にて「天皇ガ統治權ヲ總攬セラルヽト云フ大原則ハ、是ハ何等變更スル必要モナイ」、11日には「私ハドコマデモ憲法ノ天皇ヲ統治權ノ總攬者トシテ居ルト云フ主義ヲ守ツテ參ル」と啖呵を切るように、日本政府に「国体」を変更する意志はなかった。また毎日新聞が「わが国民が心奥に抱いてゐる天皇への信仰」を「日本国民から奪ふことの出来ない国民的宗教」と主張するように(10月23日社説)、世論や報道もこれを支えていた。

 日本の民主化はそれほど困難だった。ヒトラーが政権に就いてから崩壊まで12年、侵略的な姿勢を露わにしてからでは6年に過ぎず、しかもそれまでは民主的な体制が機能していたドイツを直接統治により非ナチ化することとは、全く異なっていた。

 しかも、対日政策の最高決定機関である極東委員会の成立が迫っており、民主化の基本方針が定まらなければ各国の天皇断罪の主張が大きくなり、日本統治はますます困難になる。GHQは2月13日に憲法草案を政府に示すが、これは極東委員会成立の2週間前だった。ここで驚嘆すべきは、その切迫した中でも日本社会の様々な動きに注意を注ぎ日本人の意見を反映させた憲法案を短期間で作り上げ、頑迷な日本政府と交渉を続けたGHQ民政局の忍耐と努力である。

 9条が日本の平和を守ってきたなどの主張も繰り返されるが、これも問題が多い。日本軍国主義から世界を守ってきたのが9条だと言うべきである。

 さらに問題なのは、その後の日本を平和国家と位置づけ、それを守れと主張する傾向が護憲派に強いことである。このため、日本国憲法下の日本の姿が不問に付されてしまう。しかも、9条を軍事問題に限定し、外交を論点から外しがちであることがこの傾向に拍車をかける。その上に、米国が陰謀をめぐらしているなどの言説が分厚く覆い被さり、ますます現実の直視が難しくなる。この結果、米国や周辺諸国の理不尽さが日本の平和を脅かしているとの認識を、むしろ護憲派が後押しする。

 例えば次のような問いかけを考えてみればよい。仮に、北朝鮮の体制に何らかの変化が起こり、その民主化に日本も協力しなければならなくなった時に、キム体制の維持を認めた上で朝鮮史やその社会の動きに基づく民主化案を日本が自ら提案しつつ、キム体制の改変を拒む政府とねばり強く交渉することが日本政府と日本社会にできるだろうか。不平等条約の改正に取り組んだ陸奥宗光が偉大な外務大臣であるのならば、韓国が不平等条約の解消に向けて努力を続けることはまことに偉大だと、日本はなぜ讃えないのか。

 この1年余の、米、韓、仏、独などで大統領や議会選挙においては、米国とメキシコ国境の壁の建設、難民の受け入れなどの外交問題が争点だった。しかし、日本右派が明治政府の膨張姿勢を無視するように、日本左派も現代日本外交を無視する。米国社会の分断が指摘されることが多いが、それは米国が世界でどのような存在であるべきかを巡り激しく議論が戦わされていることを意味する。むしろ日本社会が分断していないことが問題なのである。

 米朝会談がどうなるか、分からない。しかし、米朝会談発表後に北朝鮮が核開発を鈍化させていることは事実であり、少なくとも現時点では、ムン大統領の努力により朝鮮半島の危機が大幅に緩和したことは間違いない。

 ここで見逃せないのは、これに日本政府が関与できなかったことである。日本の発言力の低下は、ほとんど常に良い結果を生むのである。ここに護憲派も含まれる。若者が保守化しているのではない。問われているのは問題提示も出来ない護憲派ではないのか。