【進歩と改革2018年2月号】掲載


エルサレム



 12月6日、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都として宣言し、大使館のエルサレム移転を表明した。国連安保理は18日に撤回を求める決議案を採決したが、米国は単独で拒否権を投じて葬った。21日、これを受けて緊急特別総会が開催された。

 緊急特別総会は、朝鮮戦争勃発後の50年11月に米国が主導して成立させた総会決議によって確立された措置で、安保理が拒否権によって活動できない場合に総会が武力行使を含む権限を行使できるようにするもので、ソ連の拒否権の無力化を意図していた。「総会決議に法的拘束力はない」(12月22日、朝日朝刊)などと報じられたが、これは正確とは言えない。

 しかし、米国の意図とは異なり、第1回緊急特別総会が56年のスエズ動乱に対して開催されて以降、その焦点は中東、パレスチナ問題にあてられており、現在まで10回の緊急特別総会のうち6回を占めている。80年以降はパレスチナ特にイスラエル占領地域が議題で、随時再開できるよう、正式に閉会しない状態が続いている。

 トランプの意向が1日に伝えられて以降、大きな国際的な反響を生み、日本でも新聞の一面を飾った。しかし不十分な点や、重要な論点が軽視されている面もあり、改めて整理する。

 英国領だったパレスチナにナチスの弾圧を逃れて大量に押し寄せたユダヤ人は、独立を求めて英国に対してテロ活動を始める。先住のアラブ人との軋轢も強まり、手を焼いた英国は、1947年4月、パレスチナ問題を国連総会に持ち込んだ。これを受けて第一回特別総会がパレスチナ問題に関して開催され、五月、国連パレスチナ特別委員会が設置された。7月19日、英国は改めて国連総会の議題としてパレスチナ問題の上程を提案し、9月3日にパレスチナ特別委員会が提出した報告書に基づき、11月29日、総会はパレスチナをユダヤ国とアラブ国に分割することを決議した。

 パレスチナにはアラブ人の3分の1しかユダヤ人がいなかったが、この決議は、ユダヤ人がアラブ人よりも多くなるように境界線を引き、しかもパレスチナの全人口の過半数を占めるように地域を構成することで56・5%の領域をユダヤ国とした。肥沃な平野部がユダヤ国に組み入れられたことなどと併せて、極めて恣意的な分割案だった。しかし、アラブ人を無視するこの一方的な決議においてすら、エルサレムはユダヤ、アラブいずれかの首都ではなく、国際管理とされていた。

 英国が責任放棄を表明してから1年後の48年5月14日、イスラエルは独立を宣言し、第1次中東戦争が始まる。今なお解決しないばかりか、より深刻さを増している中東問題はわずかな審議時間の後に人為的に生み出されたのである。この戦争で西エルサレムを支配下においたイスラエルは、ここを首都と宣言した。総会決議のみを根拠に建国されたイスラエルは、早々に総会決議を無視し、この後、国連決議を目の敵にするようになる。

 95年、米国議会は99年までに大使館をエルサレムに移す法律を作ったが、歴代大統領はこれを実行しなかった。これは、選挙民の意向を重視する議会が台湾を重視する一方で、現実に外交を担う大統領が異なる姿勢を示して緩衝したことと似ている。トランプはそれをもひっくり返したのである。

 今回の総会決議に対して、マーシャルやパラオなど9カ国が反対、35カ国が棄権したが、反対国の多くは、今回に限らず中東、パレスチナ問題ではほぼ一貫して同様の姿勢を示しており、2016年に総会がエルサレムについて決議を採択した際にも反対6、棄権56を数えた。特にこの両国は米国と自由連合を結ぶ上に、人口数万人にすぎず、関係の薄い中東問題などで米国の要請に応じることはやむを得ない面もある。注目すべきは、核問題では米国との対立も辞さないことだろう。

 一方で日本が賛成したことが大きく取り上げられたが、実は中東問題では珍しいことではない。石油に配慮しているためで、そのような権益がない問題では事態が異なる。日本外交が核兵器、環境、人権、沖縄などに対して否定的なのは、米国追従ではなく、自らの主体的判断の結果に他ならない。

 パレスチナ分割は朝鮮分断と時期を同じくして推移した。米国が南朝鮮の統治に手を焼いて国連総会に持ち込んだのが47年9月17日、朝鮮半島での選挙実施を決議するのが11月14日、ソ連の反対や朝鮮人の抵抗を押して南部のみで選挙を強行するのが5月10日で、まさに同時進行だった。ここに留意する時、北朝鮮問題における日本の存在はパレスチナ問題におけるトランプと同様であることに気づく。

 20日、日本政府が滞納していたユネスコ分担金の支払いを決めたが、トランプが賛成する国に援助の削減をちらつか せたことに比べて扱いは小さかった。同種の振る舞いなのに。これこそフェイク・ニュースではないか。