【進歩と改革2018年10月号】掲載


少子化と移民―歴史と現状



 はじめに

 安倍晋三の自民党総裁3選が濃厚となった。

 しかし、安倍が世論の積極的な支持を得ているわけではない。朝日新聞が8月4−5日に行った世論調査では、内閣支持率38%に対して不支持率41%と、6カ月連続で不支持が支持を上回っている。安倍一強に対する批判も根強く、69%がこれをよくないと答えており、さらに森友・加計問題では、自民の支持層ですら説明責任を「果たしていない」とする者が63%にのぼる。

 ところが野党への不信も同時に強い。野党に「期待できない」が80%に達する一方で、総裁選に関しては、石破茂、野田聖子に比べると安倍を「ふさわしい」とする者が最も多い。安倍は自民党内の強い支持基盤を背景にして他の候補を露骨に押しつぶしているが、それも世論に反した倫理に反する行為とは単純には言えない面もある。

 このような状況に対して、有権者の間にあきらめや他に選択肢がないなどの消極的な姿勢があるのではないかなどの観測が多くなされている。新聞を読まない人々の間で安倍支持が高いことも、政権側、野党側を問わず指摘される。

 しかしそうだろうか。有権者は安倍政権に問題を感じてはいるが、野党、報道、学者らが課題を適切に提示していないために、消極的に支持せざるを得ない状況が生まれているのではないか。もしそうであるのならば、問うべきなのはなぜ安倍一強なのかではなく、なぜ野党、報道、学者らは課題を提示し得ないのか、でなければならない。

 1 安倍政権の「成果」をめぐる議論

 安倍政権は経済と外交を成果として誇ってきたが、その経済政策については賛否両面から多くの議論がなされてきた。ただし、批判する側も安倍の政策目標を踏まえた上で、それが十分には達成できていないことや、格差の拡大などの負の側面を指摘したり、安倍政権の経済政策が負債を先送りする財政出動型のものであり、異次元の金融緩和からどのように抜け出すのかを問題にすることが多い。

 この背景には、そもそも現代の経済政策には打ち出の小槌がありえず、選択肢は多くない現実がある。また、国内産業の空洞化や高額納税者の海外逃避も世界各国が共通に直面する事態であり、簡単に大企業への規制を強めても抜本的な対応にはならず、だからこそ多くの国で格差の拡大を生み出す一因となっていることも重要である。

 もちろん、負の面の拡大に対する批判が高まっており、さらに安倍が作り上げたバブルの破裂が近づいていることは無視できない。しかし同時に、より深刻な危機が近づいているにしても、少なくとも当面の景気が維持されている以上、安倍がアベノミクスの成果を語り得る状況が生まれ、支持が集まることも理解できる。朝日の調査でも、経済政策への支持が40%、不支持が44%と拮抗しているが、これも経済について多くが語られてきたからこそである。

 ところが外交はほとんど語られない状態が続いている。世論が外交について注目していないのならば無理はないが、事態は逆である。2017年10月の総選挙においても、朝日新聞が谷口将紀東大教授と共同で行った世論調査によれば、有権者が最も重視した政策は外交・安全保障政策で、24%が挙げていた。しかも外交・安保について最も上手に対処できる政党として筆頭に挙げられたのが自民党であり、実に83%に達していた。次点は立憲民主の8%に過ぎず、以下、希望が3、公明が2、維新が1、共産が0と続く有様だった。これは雇用・就職政策について最も上手に対処できる政党として挙げられたのが、自民69%、以下、公明9、立憲9、共産6、希望3、維新0%だったことと比べても、自民党が圧倒的に期待されていたことを示している(佐々木毅編著『民主政とポピュリズム』筑摩書房、2018、141頁)。有権者は外交・安保に高い関心を示し、自民党に強い期待を寄せているからこそ安倍を選び、同時に安倍は自らの外交成果を誇ってきた。それは、森友・加計問題などをめぐる不祥事が相次いで政権が追い込まれ、3選は厳しいと見られていた頃にも「安倍晋三首相や首相官邸は、得意の外交をテコに切り抜けようと考えていた」(朝日4月22日朝刊)と報じられるほどだった。まさしく外交は安倍の切り札だった。

 外交に関して賛否が分かれず、安倍の姿勢が党派を超えて賞賛されてきたのならばこれも理解できる。その場合には、安倍は外交と経済で素晴らしい成果を挙げてはいるが、歴史認識、民主制、人権などに関する理念をめぐって賛否が分かれ、森友・加計問題などのような倫理上の汚点を抱えていることが批判されていることになる。

 もちろん、これらの理念や倫理は小さな問題ではない。しかし、有権者の生活を安定させることに成功していると認識されている政権が抽象的な傷を負っても政権自体の揺らぎに直結しない例は、日本でも他国でも珍しくない。そうであるのならば、安倍一強の状況は十分に理解できる。

 ところが正反対の事態が続いてる。谷内元外務事務次官を局長に据えた国家安全保障会議を設置するのために必要とされた特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安保法制、国際組織犯罪防止条約を批准するために必要とされた共謀罪、TPP、沖縄の米軍基地、自衛隊日報、核兵器禁止条約など、安倍政権下で激しい対立を呼んできた問題にことごとく関係しているのが外務省なのだから。これらの問題は安倍の外交政策がもたらしたものに他ならない。

 さらに、自民党総裁選でも主要課題とされている、九条を対象にする改憲がここに加わる。9条が直截に関わる軍事は外交の下位政策であり、軍事政策は外交政策が定まって初めて策定できるのだから。だからこそ先の世論調査などでも「外交・安全保障政策」などの言葉が使われている。

 ところがそれにもかかわらず、外交は全くと言って良いほど議論されていない。冒頭で取り上げた朝日の8月の世論調査においても、経済政策について尋ね、改憲についても設問しながら、外交政策に関しては設問すらない。外交に世論の関心が集まる中で、外交に関する安倍の基本的な方向性は支持した上で、その下位政策である軍事に関してのみ反対しているのであれば、安倍が唱える改憲に反対する理由は大幅に少なくなる。これでは有権者が安倍をやむなく支持するのは当然である。

 2 問われない冷戦後の日本

 外交が問われないのは安倍政権に限ったことではなく、第2次安倍政権の前の民主党政権においても同様だった。政権交代実現前における民主党の主張の中心は公共事業や年金などであり、外交政策は十分に議論されていなかった。民主党内で議論されなかっただけではなく、『世界』が08年11月号で「政権交代選挙へ」を特集した際にも、また翌年9月号で「総選挙−何に向けての転換か」を特集した際にも、外交についてはやや抽象的に対米追随を批判する程度で、具体的には取り上げなかった。

 すでにこの時点で、冷戦が終わって外務省が日本の発言力強化を求めるようになってから、20年近くが過ぎていた。1952年に独立し、外交機能が回復してから1989年に冷戦の終わりが宣言されるまでの37年間と比べても、決して短い時間ではない。しかしそれでもなお、冷戦終焉後以降の外交政策がどのようなものだったのか、それはどのように策定されてきたのか、それをどのように変えるのかなどは論じられるないままだった。

 そしてその民主党政権の躓きの石の一つとなったのは、普天間基地移転や尖閣諸島などの外交問題であり、安倍が政権長期化の要因の一つとなったのも外交だった。さらにこれは、森友・加計問題をめぐって文部科学省や財務省の官僚のあり方が問われた中でも変わらず、首相と最も密接に接触を続けている外務官僚は問題にならなかった。そして今や冷戦終焉から30年を迎えようとしており、冷戦期の37年に迫っているのである。

 批判を恐れずに言えば、政権交代の機会を自ら潰したばかりか、安倍一強を支え、さらには改憲を導いているのは、実は野党、報道、学者らを含む、広い意味でのリベラルなのではないか。むしろ野党、報道、学者らこそが有権者を安倍支持に追い込んでいるのではないか。さらにあえて言えば、護憲派は論理的には改憲を支持しながら心情的に護憲を叫んでいるだけに過ぎない、または全体的な方向性としては安倍を支持しながら個別の案件に関してのみ強く反対しているに過ぎないのではないか。その上で、より「まし」な方を消極的に選ばざるを得ない諦観している有権者について、もっともらしく論評しているのではないか。

 私はこれらのことを本誌で繰り返し訴えてきた。ただし、護憲派内で足を引っ張り合うような状態を導くことには抵抗があったことから、「外交への無関心……はリベラルにも当てはまる」(2011年1月号)などと、遠回しの指摘に留めていた。しかし関心は高まらず、最近は、「人々の政治への関心は低くない」「そのような中で安倍の外交政策が支持されているとすれば、その原因は適切に問題提示をしていないリベラルの政治家、報道、学者にある」(2017年9月号)、「ヨーロッパで(は)EU政策、難民や移民の受け入れなど、外交政策に大きな政治対立が集中する。ところが日本では、外交に関しては記者、学者や編集者らがいわば官僚主導の議論にはまりこみ、外交に関心を寄せないままで外交政策への支持が高まり、その一方で論点を国内問題に集中させる。この結果、……対外的にはタカ派の保守政権への支持が若者の間で強まるのは、当然」(2018年6月号)など、調子を強めていた。しかしそれでも反応は鈍いままで今に至っている。

 3 明治体制と外務省

 実は冷戦後の30年間に限らず、日本外交と担当官庁への無関心には長い伝統がある。外務省は2019年には創設150周年を迎えるが、中央官庁として最も長い歴史を誇ると同時に、創設以来名称が変わらず、根本的な問い直しも経ていない唯一の存在なのである。いわゆる明治維新後に新政府創設を模索する中で1869年に6つの省が設置されるが、その一つが外務省だった。しかしこの6省は古代律令制を基本として作られたために、当然のように現実の政治に対応できず、設置直後から改変が相次いだ。しかし外務省はその名称を変えずに生き残り、この中で近代日本は脱亜入欧の膨張主義に基づく対外政策を確立した。

 大日本帝国が敗戦を迎えた後、民主化を目的とする大規模な行政改革が実行されるが、ここでも外務省は生き残る。軍国主義の正に中心である軍部が否定され、軍国主義を支えた巨大官庁だった内務省が解体され、国民のいわば洗脳機関だった文部省も、名称こそ変わらなかったが、根本的に改変された。天皇一族の生活を支えた宮内省も、天皇自身が不可侵から非政治的な象徴へと変化することで延命を図る中で、名称としては変わらなかったが宮内庁となって政治性を剥奪された。しかし外務省は、近代日本の膨張主義を主体的に進めた官庁としてのあり方も十分に問われないまま、日本国憲法第九条に基づく政策を立案遂行する官庁となったのである。さらに1990年代後半には21世紀に向けた行政改革が行われるが、社会党を交えた連立下で、しかも憲法第九条に関する政治的な議論が活発化し始める中だったにもかかわらず、報道や学者も外務省を問題にせず、議論もされないままに生き残った。それは、日本国憲法下の外交に関心が寄せられなかったことを示した。

 つまり、宗教支配に基づく古代王政の復活が目指された明治初期も、大日本帝国憲法の施行により形式的には立憲体制が成立すると同時に日清戦争を起こし、さらに日露、韓国併合、第1次大戦、シベリア出兵、対中、対東南アジア、対米と、次々に戦争を仕掛けるようになる時期も、日本国憲法が施行されて、日本外交の方向性が180度転換した後も、外務省は問われなかったのである。これに、前記の冷戦後の外交が問われていないことが付け加わる。

 これを、外務省と同様に1869年に設置されて官庁の中の官庁と言われた大蔵省、社会党の片山内閣が一九四七年に設置し、第二次大戦後の民主化を象徴する官庁と言うことも出来た労働省、逆に内務省の復活との批判も受けながら1960年に創設された自治省などが、2001年に全て改変され、しかも安倍政権下で改めて批判されていることと比べても、異常な状況である。

 また、特に第2次大戦後の外務省が天皇と密接な関係を誇るほとんど唯一の官庁であることも重要である。外務省のキャリア官僚はほとんど例外なく特命全権大使や公使を務めるが、その信任状の認証は憲法が定める天皇の国事行為であり、皇居における認証式においていわゆる御名御璽の入った信任状を天皇から受け取ることになる。つまり、国家上級職として外務省に採用された瞬間に、いわば現代の親任官となることが約束されるのである。そしてその格は国会議員よりも高い。

 天皇との直接的な人事関係も深い。皇室の儀式、交際、雅楽に関する事務を所掌する宮内庁式部官長は、旧華族で昭和天皇に近かった松平康昌が1947年から務めていたが、彼が57年に死去した後は、島重信、川島裕、河相周夫など事務次官経験者を含む外務官僚出身者が一貫して就いている。天皇の身の回りの世話をする侍従長も九六年以降は元外務官僚が務めており、渡邉允、川島裕、河相周夫と続く。また、次期天皇の世話をする東宮太夫(とうぐうだいぶ)や東宮侍従などにも外務官僚が就く傾向が強まっている。他の官庁と同様に外務省から宮内庁に出向する例もあるが、外務省の場合はそれ以上に有力官僚の定年後の天下り先となっているのである。  特に問題とされるべきは川島だろう。彼は2001年に発覚した機密費流用事件で事務次官を辞任するが、その後、03年から15年まで宮内庁に職を得ていた。外務事務次官はその辞任後に駐米大使などに就くことが多いが、駐米大使の戦後最長記録を持つ加藤良三でも7年弱に留まった。そのような中で川島は駐米大使などを逃しはしたが、有力外務官僚が歴任してきたポストに10年以上就いたのである。川島は不祥事の責任をとったと言うよりも、田中真紀子外相と対立して外務省を守ったことに対する論功行賞として大幅な定年延長を得たと言うべきかもしれない。

 それにしても、政治性が剥奪されたはずの宮内庁、特に天皇と個人的な関係を持つポストが政治的な役割を強く帯びる特定の官庁との結びつきを強めていることに十分な言及もないのはおかしい。特に、女性天皇や天皇退位問題、また、近年指摘されることが多い天皇の被災地訪問や戦地慰霊に関しても、良い面も悪い面も含めて、外務省関係者の役割が問われてしかるべきである。そしてその外務省が今や日本国憲法の改憲に力を貸している。

 このように特に日本では、外交への無関心は近代以降の歴史認識の歪みにも直結する。それにもかかわらずリベラルも外交を問わないことは、リベラルの歴史認識の歪みを示している。なぜこのような状態になるのか。取り上げるべき問題が山積しているために、機会を見ながらになろうが、次号以降で検討したい。