【進歩と改革2018年1月号】掲載


人権理事会の定期審査



 11月14日、国連人権理事会が日本の人権状況に関する定期審査を行い、106六カ国が意見を表明した。これをふまえて各国から寄せられた218の勧告が記載された報告書案が16日に公表され、注目されている。そこで今回はこの制度の背景と過去の審査に対する日本の様子をする。

 人権理事会は2005年に設置されたが、「人権侵害の防止と人権の緊急事態に対する速やか対応に向けて、対話と協力を通じて貢献する」、「相互の対話に基づく協力的な仕組み」(A/RES/60/251, para.5)とされ、人権問題に消極的な国への妥協的な面があった。定期審査はその中心的な機能の一つだが、設置決議採択時に総会議長が述べたように、「このような仕組みは全ての加盟国を尊重する平等な扱いを保証し、二重基準や選択性を防ぐもの」(A/60/PV.72, p.2)であり、特定の問題や国への強圧的な対応とは一線を画された。

 多くの人権条約が類似の仕組みを作っているが、専門家が審査委員となることが多い。専門的な立場から各政府とともに問題に取り組む機会とするためだが、政府の働きかけは通じにくい。

 一方、人権理事会の定期審査は各国政府代表が行うために、人権推進に関しては後退したが、国内事情に対して外からの指摘を受けたがらない国が受け入れやすくなった。上田秀明元人権人道大使が「各条約の委員会の審査は、概してリベラルな傾向が強い専門家の委員によって行われるためか、各国政府に対して厳しい意見を出す傾向が見られる」が、定期審査は「各国代表としての発言であり、そこには折々の国際情勢の下での日本との関係が反映され」、「日本代表団として……理解を得る努力も行える」ため「各条約の委員会における議論よりもバランスが取れている」と述べる背景である(上田「人権理事会UPR日本審査」、『産大法学』2013年)。しかしそれでも、包括的で全加盟国が対象となる、国連の中心的な人権保障機能となった。
 定期審査は人権理事会発足の翌年、07年から始まり、11年に全国連加盟国193カ国の最初の審査を終えた。日本は08年と12年に審査を受け、17年は3度目の審査だった。

 08年には42カ国から意見が出されたが、政府は秋元義孝国連大使、現宮内庁式部官長を団長とする計17名の代表団で対応し、姿勢を大きく変えなければならない勧告は拒絶した。
 本格的な審査となるのは、最初の勧告をふまえてなされる二回目以降である。12年には意見を表明した国は79カ国に増加し、特に、08年に日本が受け入れを拒んだ問題に集まった。政府は、上田秀明を団長に、外務省、内閣府、警察庁、法務省、文科省、厚労省などの官僚からなる、計30名の大代表団により対応したが、上田の言う「理解を得る努力」の反映だった。

 人権人道大使は、05年に創設された人権大使を引き継いで第1次安倍内閣が設置したものだったが、その目的は拉致問題や慰安婦問題に対する広報であり、国際的な人権推進ではなかった。また、06年には日本が人権理事会理事国に選出されたが、その際の外務報道官の言葉を借りれば、「権威と重みのある人権理事会の場においても拉致問題を含む北朝鮮の人権状況を積極的に取り上げたい」(06年5月10日、外務報道官会見記録)ことが政府の意向だった。さらにこの年は政府が北朝鮮人権侵害対処法を作り、人権侵害を理由に経済制裁を課することができるようになり、これを発動し、石原慎太郎都知事が「三国人」発言をするなど、日本社会全体が、日本は人権問題の被害者で、自らが問われることではないとの認識を強めていた。

 上田はオーストラリア大使などを務めた外務官僚で08年から人権人道大使を務めていたが、13年の国連拷問禁止委員会では被疑者の取り調べについて他国から出された意見に対する彼の反論に会場が失笑した際に、シャラップと叫んで四か月後に辞職して関心を集めたことでも知られ、日本軍国主義に親近感を示す人物でもある。日本社会の自己認識の矛盾を象徴する要員が対応したのが第2回審査だった。
 しかしそれでも、民主党政権の当時は人権状況の改善が進み、10年には、国境なき記者団による報道の自由度が過去最高の11位を記録したが、安倍政権下急落し、17年には72位、G7最下位に至った。第3回審査で問われたのは安倍の「成果」だった。

 各条約の審査を含めて今や毎年のように国連の審査が行われるが、これは政府にとり、弁解に追われる面倒な行事に過ぎない。そのために全官僚組織が動員されており、壮大な無駄である。これに対するには組織的な対応が欠かせず、人権分野ではかなり進んでいるが、十分ではない。国内の状況に焦点が集まりがちであることに加えて、国連人権報告者に対する右派の批判の方が勝りがちである。そうしたことも含めて、日本社会全体が問われている。