【進歩と改革2017年6月号】掲載


核兵器禁止条約会議への不参加



 3月27日、ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約の締結へ向けて交渉会議が始まったが、日本政府は不参加を決めた。被爆者団体などはこれを批判し、報道も「多くの国民の思いを裏切る行為」(朝日)、「被爆国として発信しないのは残念」(毎日、ともに29日社説)などと表明した。

 しかし筆者は日本が参加することを恐れていた。1961年の国連総会で積極的に核兵器使用禁止を支持したことを例外として、日本は一貫して消極的な姿勢をとり続けてきた上に、各国にも働きかけてきたからである。

 このような日本の姿勢は、冷戦が終わり非軍事的な動きが成果を挙げ始める中でより露骨になった。それは様々な分野に及び、北欧諸国が非軍事分野におけるPKOの強化を提案した際にはこれを弱め、国際司法裁判所が核兵器を原則的には法律違反とする意見を出した際には核兵器を合法とする立場から様々に活動し、対人地雷全面禁止条約署名の際には参加を渋りながら、参加したとたんに条約を弱める方向で修正案を出し、国際刑事裁判所規定が採択された際にも、これに強く反対する米国保守派と同じ主張を展開して「日本は対立する各国の間の溝を埋めようと終始試みた」り、03年のイラク戦争の際に米国の軍事行動を支持するようにアフリカ諸国などに働きかけ、一貫して自国が発言力を持つことを前提にした安保理の強化(つまり中小国が発言できる総会の弱体化)を主導するなど、枚挙にいとまがない。

 米ロ英仏中の核保有国などはすでに会議への不参加を表明していた。この中で日本が出席した場合には、参加国の中で圧倒的に大きな政治的、経済的、軍事的影響力を持つことになる。その国が北朝鮮問題を中心に据えて、非核保有国と核保有国の「橋渡し役」、つまり会議に参加していない核保有国の代弁者としてふるまうことは、禁止条約に対して負の影響しかもたらさない。

 さらに問題なのは、日本が「唯一の被爆国」等の言葉を繰り返してきたことである。安倍首相も、「唯一の戦争被爆国として,被爆70周年となる明年のNPT運用検討会議で,議論を主導していく」(2014年9月25日、安倍首相の国連総会演説)等と表明してきたが、これは、日本政府の行動の実態に反するだけではない。「唯一の被爆国」として反・反核を語ることは、核保有国の同様の発言とは異なる影響を議論に与えるためである。日本は、反核を牽制する道具として広島や長崎を利用してきたと言ってもよい。

 ところが、日本社会はこのような政府の姿勢を強く問い直していない。そのような中で単純に会議への参加を求めても、この日本政府の動きに手を貸すことにつながりかねない。

 一般に右翼は民族主義を基本とする。つまり、自分たちが共同体外に向かって何をしているのかから目をそらして国内問題に焦点をあて、その責任を共同体の外に向けている。その上で社会的弱者に言及するからこそ、従来は左派を支持することが多かった経済発展に取り残された人々が、英国でEU離脱を、米国でトランプ大統領を、フランスでルペンを支持する。外交こそが最も重要な対立点となる。

 マルクスらは国境を越えた階級の連帯を呼びかけた。20世紀に至って、米国でもウィルソン大統領的な国際主義が力を持つようになり、これに加えて民族主義の中でも特に異常な日本軍国主義が侵略を本格化してヨーロッパでもナチスが同様の姿勢をとったために、一層の国際協調が必要となった。この中で国際主義は世界的な共通理解となったが

 冷戦により歪んだ形で展開してしまう。しかし冷戦の終焉により国際主義が改めて具体化した。先に列挙したような国連を中心とする非軍事的な試みは、EUやWTOの発足などとともにその中に位置づけられる。

 極右への支持の高まりは、このような100年間の歩みを根本から否定する意味があるからこそ深刻なのだが、日本では事情が異なる。右派が中国の脅威を煽り、左派が米国への批判を主張する一方で自国の対外姿勢は大きな問題とならない。それどころか、外交上の成果が安倍の高支持率を支える一因とされるのである。

 また、日本軍国主義に共感を強める日本極右であっても、日本軍国主義のような露骨な人権無視はできない。稲田朋美が性的少数者に理解を示したように、焦点を国内問題にあてる限り、それなりの対応をせざるを得ない。この点で、国内問題と国外問題の狭間に位置するのが沖縄だが、だからこそ、国外の脅威がその対応をやむを得ぬものとする強力な理由付けとして立ち現れることになる。そして日本左派もこの脅威については強い反発を示さない。この意味でウチナーとヤマトの乖離の原因の一つは日本左派の中にもある。

 国際主義か民族主義かが問われている欧米から見れば、このような日本の現状は異常である。左派も安倍一強を支えていると言い得るかもしれない。