【進歩と改革2017年5月号】掲載


米国から見た天皇制



 首相が改憲推進を改めて示す中で、天皇退位と軍国主義礼賛教育を行う森友学園が同時に注目を集めているが、菊のタブーに加えて、改憲につながることから、根本的な議論は避けられがちである。ここでは、右派が重視する日米関係の視点から、天皇に関して広く共有された見解を紹介する。  第2次大戦後の世界は、異常な日本軍国主義への対処を迫られた。日本で英字紙『ジャパン・アドバタイザー』を発行していたウィルフリッド・フライシャーが、日本降伏前に執筆した『日本をどうするか』(Wilfrid Fleisher, "What to do with Japan", 1945)で冒頭に記したように、「日本との和平を築くことは、我々の歴史の中でこれまで直面した中でも最も難しい課題の一つ」で、その「主要な問題の一つが天皇をどうするか」だった。

 ただし、「天皇の役割に関してアメリカ人の間には異なる見解がある。一つは、天皇を放逐し、共和制が樹立されなければならないと確信する者で、天皇を裁判にかけ、戦争の共謀について処罰を求める意見もある。彼らは、天皇とその基盤を廃止しなければ新たな戦争の種がまかれると、恐れている。他方で、戦争で荒廃した日本に安定を回復する上で天皇は連合国が効果的に利用できる象徴で、天皇崇拝は取り除くことができない日本に深く根ざした宗教であり、取り除こうとすると憎しみと復讐の精神を生み出し、日本が十分に回復したとたんに新たな戦争を起こすことが確実だと信じる者もいる」(p.30)。日本の侵略を防ぐには天皇廃止か否か。やっかいな問題だった。

 ジャーナリスト、アンドルー・ルースはさらに直截に表現した。「戦いへの動機として、これはナチスのアーリア人覇権ドグマを遙かに凌いでおり…好戦的なモハメッド主義の宗教的な熱狂により近い。…戦争で死亡した者は天国に入ることを許されるとされるモハメッド主義の兵士と同じく、日本兵は靖国神社に祀られることが保証されると考える。要するに、日本の天皇崇拝カルトは、兵士がそのために戦う福音的な信条と、戦闘で死ぬことへの特別な誘導を併せたものであり、侵略を補助する思想である。天皇カルトは無慈悲な軍国主義の宗教である」(Andrew Roth "Dilemma In Japan", 1945, p.112)。このイスラム観は偏見に満ちているが、時代の制約もある。

 もちろん政府も同様で、英国の占領軍の手引き書は、国家神道を「国家的カルト」と記し(British Commonwealth Oc -cupation Forces “Know Japan”,1946)、米国務省の報告も「1945年10月4日、連合国軍最高司令官総司令部は事実上の『権利章典』となった指令を発した。この指令は、政治犯の釈放を命じ(た)…裕仁は1946年1月1日に勅語を発した。…これは、総司令部が『権利章典』を発するまで日本の公的カルトだった、国家神道の基本原則への全面的な反論だった」と述べた(The Department of State?"Occupation?of?Japan-Policy andProgress-",?1946)。

 「権利章典」すなわち「公民権指令」は、9月26日の哲学者、三木清の獄死や、10月3日の「政治犯釈放の如きは考慮してゐない」との法相発言などをうけての措置だったが、変わらなかったのは政府だけではない。毎日新聞は「わが国民が心奥に抱いてゐる天皇への信仰が如何に強くかつ深いものであるか…日本国民から奪ふことの出来ない国民的宗教である。…如何に多くの改正が憲法に加へられたからといつて、この偉大なる国民的信仰は法以上の現実的力として存続する」と書いた(1945年10月23日社説)。12月8日には憲法担当国務大臣が憲法の「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」を「天皇ハ至尊ニシテ侵スベカラズ」とする改憲案を表明するが、民意もそれを支えていた。GHQが翌年の元旦に天皇に勅語、いわゆる天皇の人間宣言を発せさせた必要性は高かった。

 オーストラリアやソ連は天皇の訴追を求めたが、米国は天皇を利用する道を選ぶ。それは統治当事者としてやむを得ない面もあり、結局、憲法は天皇を象徴として残す一方、天皇制が暴走しない保証に九条を盛り込んだ。

 フライシャーは次のようにも書く。「日本に在住し、天皇と話すことが許された外国人の間に広まっていた一般的な印象は、裕仁の知性は平均を下回るというものだった。彼は天皇としての仕事に真剣に取り組んでいたが、日本の天皇として期待されることを機械的に演じていた。…軍国主義者がその無謀な行動の多くを承認するために彼の名前を利用したが、彼の個人的な信条がどうであれ、いかなる問題に関しても、彼は自身の信条の表明を迫られたことはなかった。」

 残虐な侵略戦争においても「機械的に演じていた」天皇だったが、日本の戦争責任への彼なりの自覚と象徴としてのあり方を模索してきたと思われる現天皇は、自らの意思を表明する。それは、宗教国家として始まった日本近代以降の矛盾を露呈した。その矛盾を直視できないのが日本社会なのである。