【進歩と改革2017年4月号】掲載


南スーダン



 2016年12月23日、国連安全保障理事会は、米国が提案した南スーダンへの武器禁輸を求める決議案を、賛成七、棄権八で否決した。日本は棄権したが、岡村善文・国連次席大使は「武器禁輸は実効性に問題があり、紛争を止める特効薬にはならない」、米国には「悪者を懲罰すれば正義が訪れるというカウボーイ的発想に過ぎる」と説明した(朝日、12月29日朝刊)。

 これに対し朝日は、「賛成すれば、日本政府が現地の危機的な状況を認めることになる。……自衛隊派遣の根拠が揺らぎかねない」ことなどを指摘し、「日本政府の判断に、強い疑問を禁じえない」(12月27日社説)と批判した。一方読売は、「今、制裁を科せば、国連との信頼関係が一層失われ、和平の維持が困難になる。棄権という判断は十分に理解できる」、「米国も、『人権重視』という政治的なアピールに重点があったのではないか」(12月30日社説)と、乱暴な推測まで交えて外務省に寄り添った。普段は左派が対話を重視し、右派が強硬姿勢を主張するが、今回は逆の事態となった。

 この間、南スーダンは日本政治の焦点となっている。しかしそれは、駆け付け警護や廃棄されたはずの日報の存在など、PKOに派遣されている自衛隊や、戦闘か武力衝突かをめぐる稲田防衛大臣の答弁などに集中している。肝心な、南スーダン市民が悲惨な状況に置かれ、多くの人が故郷を追われ、飢えに苦しみ、虐殺の恐怖に襲われていることと、その救援のために何をするのかは問題になっていない。

 そして何よりも、PKOを設置、監督し、あらゆる情報を把握している、つまり、自衛隊を含めたPKO全体に責任を負う国連安全保障理事会に、日本が加盟国最多の11回目の非常任理事国として2016年1月より席を占めていることは問題にもなっていない。

 スーダンは1956年に独立したが激しい対立が続き、2011年にスーダンから南スーダンが独立しても軍事衝突が続いた。内戦も深刻化し、大量虐殺の可能性が生じており、安保理でも継続して議論が続いている。

 南スーダン独立に際して、安保理は、強制行動を定めた国連憲章第7章の下で行動することを宣言して、PKOを設置した。4か月後、日本は司令部要員を派遣し、12年1月には施設部隊を派遣した。当時、自衛隊はシリアの兵力引き離し監視軍にも参加していたが、12年12月に撤収したために南スーダンが唯一のPKO派遣となった。安保法の適用対象であると同時に、外務省の悲願である安保理常任理事国入りをアピールする場となった。

 12月の安保理に戻ろう。すでに国連事務総長らが、南スーダンの危機的状況に警鐘を鳴らし、武器禁輸を求めていた。12月19日の会議でも、事務総長が「武器禁輸が最も適切な方法と強く信じる」と述べ、人道問題事務次長も、どれだけの証拠を示さなければならないのかと語気を強めた。 米仏などが支持を表明しロシアなどが反対したが、論点を最もよく示したのは武器禁輸の対象である南スーダン自身だった。南スーダンは、「問題解決のための唯一の実行可能な手段は対話」、「我々は、ジェノサイド防止のための事務総長特別顧問、アダマ・ディエン氏が、南スーダンで起きている紛争が完全な民族戦争になり得て、おそらくジェノサイドに発展すると分析していることに同意しない。このような説明はいささか大げさで、現実を反映していない。最近、反乱者が、その民族的背景のために無辜の市民を殺害したが、政府は特定の民族を標的にした宣伝の計画も実行もしておらず、そのような性質のいかなることにも関わる意志はない」、「全ての勢力に対する武器禁輸の提案と制裁の脅威は、正当に選挙された政府と、その政府を打倒しようとする武装反乱勢力の間の違いを区別しない」と主張した。

 23日に否決された後、米国は、「いくつかの国は、「我々が必要なのは行動であって制裁ではない」と言う。しかし、このように発言した代表も他の棄権した代表も何の行動も提案しなかった」、「約183万人の人々が南スーダン国内で流民となっており、国民の半分以上の約480万人が深刻な食糧難にあるというのに」と棄権国を強く非難した。これに対してアフリカ諸国は全て棄権し、日本も、南スーダン大統領が対話を表明していることを重視すべしと述べて棄権した。

 日本が一貫して対話を重視しているのならばまだしも、イラク戦争では軍事行動を支持し、北朝鮮問題では経済制裁に向けて世界を牽引するなど、特に過去二五年間は軍事志向を強めている。ところが南スーダンは、自衛隊を派遣しているからこそ、平穏と言い繕う。自衛隊派遣のために数百万人の命を弄んでいるようにも思える。

 岡村は「もし大虐殺が起きれば、日本は責任を問われる」とも言う。当然だ。武器禁輸か対話かで解決する問題ではないが、この点には迷いはない。