【進歩と改革2017年11月号】掲載


北朝鮮と核抑止論



 9月号で外交政策が安倍政権の成果とされていることに警鐘を鳴らしたが、残念ながらこの心配は現実化し、北朝鮮の核やミサイル実験により、一挙に支持率が高まった。ただし、北朝鮮の行動に安倍が助けられたのではない。与野党の外交姿勢に大差がないことの当然の結果だった。結局、外交安保政策では自民党に近い前原誠司が民進党代表になり、改憲を掲げる新党の立ち上げを小池百合子が発表する中で、安倍は衆院解散を表明した。

 北朝鮮問題を検討する際は、日本政府が一貫して核抑止論を支持する一方、核軍縮、特に核禁止には消極的、否定的な姿勢を貫いてきたを見過ごしてはいけない。北朝鮮の主張と行動は核抑止論に基づいており、日本の主張と共通する面が多いためである。そこで、核抑止論の意味を改めて整理したい。

 1950年代末、新たに国連に加盟した開発途上国が軍縮問題への発言力の強化を求めると同時に核兵器批判を強める中で、米ソは相互に対立しつつも核兵器に関しては類似の立場にあることを認識し始めた。この懸念は61年に国連総会が核兵器禁止宣言を採択して現実化した。中小国が核を持つ大国を国連憲章違反と批判したのだから。

 63年、米英ソは部分的核実験禁止条約に署名する。地下実験以外を禁止することにより、非核保有国が初めて核実験を行うことを困難にしたのである。さらに米ソは5大国のみに核兵器保有を認める核不拡散条約(NPT)を作り、70年に発効した。核兵器独占のための法体系の完成である。そして日本は、NPT体制の維持を核兵器政策の筆頭に掲げることになる。

 これと併行して核抑止論、つまり核保有と核軍拡を正当化するための政治的理屈が構築された。一方が他方に核攻撃をしても他方はすぐに反撃するので、ともに相手を攻撃しない、これがその骨子である。ただし、一方が圧倒的な核兵器を保有した場合には攻撃するかもしれないことから、両者は量的にも質的にも同等の核兵器を所有している必要があり、一方が優位であるとされた場合は、核開発が必要となった。同時に、このような合理的な判断をできる国は限られることから、核抑止は5大国の間で有効だとされ、他の国がこの理屈に則ることを牽制した。

 冷戦の終焉は、特に米ソの間で機能するとされてきた核抑止論の根拠を揺るがせ、核兵器に反対してきた国のみならずそれまで反核と核の傘の間で揺れていた諸国も核軍縮に積極的に取り組み始めた。94年の国連総会が核兵器の違法性を国際司法裁判所に問うことを決めたこともこの一環である。  同時にNPTの見直しが95年に迫っていたが、日本はNPTを無期限無条件延長し、核兵器保有の法的根拠の確立に努めた。核抑止論を、冷戦期に留まらない普遍的な国際行動基準に変質させたことになる。一方で核禁止には冷淡な姿勢を維持した。

 その後イラク戦争が起きる。核を持たなかったイラクに爆弾を落とされ、大統領が殺害されたことは、米国と対立する国が体制を維持する上で核抑止が重要であることを再認識させた。ここで核疑惑が表面化するのが、イラクと並んでブッシュ大統領に悪の枢軸と名指しされたイランと北朝鮮だったことは、その是非はともかく当然だった。

 北朝鮮はイラク戦争の直前にNPTも脱退し、06年の核実験に至る。そして北朝鮮の体制変革を唱えるトランプ大統領が誕生してから、ミサイル実験や核実験を次々に行う。核抑止はその能力を相手に示してこそ機能するものである以上、当然なことだった。もちろん「良い」ことではないが、少なくともその意図を理解は出来る。

 一貫して核抑止論を強く支持してきた日本は当然に北朝鮮の論理を理解している。また、北朝鮮の体制は日本軍国主義と類似しており、この点からもその論理を良く理解できる。ただし、北朝鮮を理解しているからこそその主張を意図的に曲げることも多い。例えば日本政府は北朝鮮の行動を挑発と表現するが、これは、北朝鮮の主張を核抑止論として位置づけることを拒否していることを意味する。

 北朝鮮の目的が体制維持である以上、交渉は決して難しくはない。北朝鮮は理不尽な交渉相手だが、日本軍国主義に比べればはるかに合理的に行動しているのだからなおさらである。EUなどが交渉努力を続ける背景である。

 ところが安倍とトランプはこれを踏みにじり、北朝鮮を抑止論の側に追いやり、さらにエスカレートさせている。しかも世界でも珍しく世論もこうした行動をもてはやす。さらには麻生が「武装難民」の銃殺などと、ヨーロッパではネオナチでも口にしないようなことを表明するが、朝日新聞でもこれを報じる記事を小さく社会面に掲載する程度の認識しかなかった。日本社会の状況の深刻さである。  選挙結果がどうなるかは分からないが、安倍政権が何らかの形で継続する場合には、責任はリベラルにある。