【進歩と改革2017年1月号】掲載


トランプ現象の意味


はじめに

 全米の主要メディアから批判を受けてきたドナルド・トランプが米国大統領選挙を勝利し、第45代大統領となることが決まった。選挙結果の大勢が判明した際にはドルに対して円が急騰し、トランプの勝利演説が比較的常識的なものだったことが伝えられると急落し、また安倍があわてて訪米して、トランプにとって初の首脳会談を行い、トランプが信頼できる指導者であることを喧伝するなど、いささかこっけいな反応が続いている。

 トランプは、メキシコ国境に壁を築く等の民族的、宗教的さらには性的な不寛容姿勢を示した。いずれも従来の米国政治においては瞬時にして政治家生命を失いかねない姿勢だが、それにもかかわらず支持が増大するいわゆるトランプ現象が問題となった。また世界的な民族的、宗教的軋轢の拡大に照らして、トランプ現象は国際的な関心を集める問題となった。ただしこれは、その社会によってその意味と取り上げられ方が異なる点に注意すべきである。

 筆者は、トランプの主張の歴史的背景をクーリッジとの関係から本誌6月号で取り上げ、またオバマ二期目の選挙を控えた2012年2月号では「「茶会」と「ウォール街」―米国政治文化の変動」と題して、「暴走する市場は、米国型資本主義にとっても危険なものとなって」おり、「今や政府も公正な市場を維持する力をなくしてしまった結果、人々はアメリカン・ドリームを描くことができなくなった」こと、その中で「止めの効かないはてしない郷愁へ向かう保守化」が生じていることを指摘した。

 しかし、特に日本における報道や論評ではトランプの主張の粗雑な攻撃性にもっぱら焦点が当てられ、彼の主張がどのような歴史的背景と現実をふまえているのかについては注意が寄せられなかった。トランプへの支持が衰えない背景である、「さびついた工業地帯」の状況がメディアで伝えられ始めたのも、選挙終盤に至ってからだった。

 もちろんトランプの主張はこれまでの米国社会が築き上げてきた合意を踏みにじる危険な面を持っている。しかしそもそもその合意の背景は何か、トランプの主張のどこが米国保守に根ざし、どこが危険なのかが認識されていなければ、理解を誤る。そこでここでは、これらの論点を考えた上で、日本社会におけるトランプ現象の意味を整理する。

1 米国社会の分裂

 大統領選をめぐって繰り返し指摘されたのが、米国社会の分裂の深刻さである。しかし、分裂の危機が米国社会で重視される意味をふまえずに、この指摘を一方的に日本社会に伝えても意味が小さい。まずここから考えよう。

 「米国は特定の民族や土地の上にではなく憲法の上に築かれた国」。これは米国でしばしば口にされる言葉である。米国憲法を支持する人々が世界から集い、築き上げたのが米国であるとの認識であり、これが今も強く生きている。そしてその憲法は制定以来削除された条項はなく、建国以来の基本認識の上に立って議論が積み重ねられ、その結果が修正条項として付け加えられてきた。つまり、憲法の基本的な精神をふまえた上で、それまでは認識されていなかった問題や新たに登場した問題について人々が議論し、憲法を発展させてきたのである。その修正条項の中には、政府に対して革命を起こす権利の保障とも言い得る銃の保有、連邦制のあり方に関わる大統領選挙、共和制そのものを問う奴隷制廃止、王権の下での課税から脱して資本主義を採用した米国のあり方と政府の権限に関わる所得税課税、女性参政権等があるが、いずれも米国とは何かが激しく論じられた結果であり、建国の基本精神がその後どのように具体化されてきたかを示している。当然、その議論においては憲法に合致しているか否かが常に問題となる。

 言い方を変えれば、米国は憲法の具体化をめぐって絶えず激しい分裂を続けてきた。その意味で米国社会の分裂は珍くないどころか、その歴史は分裂の歴史と言っても良い。その最大のものが南北戦争で、理念の上に作られた米国の存在そのものをめぐる深刻な状況だった。米国社会はもともと多元的な社会として成立したが、憲法が起草された18世紀末の時点では認識されていなかった様々な軋轢を内側に抱えており、その最大のものが奴隷制だった。そして、南北戦争を経て1865年に修正条項として奴隷制廃止が、翌年には公民権条項が、70年には黒人選挙権が憲法に盛り込まれる。ただし、その後南部では揺り戻しが起き、全国的な合意の形成には100年後の公民権運動までかかった。しかし、だからこそ人種や民族差別はそれだけの時間をかけて米国社会が乗り越えたはずであり、初の黒人系国務長官が保守派のブッシュ政権の下で誕生する背景でもある。またこれは今も米国社会が敏感な問題となる。

 大恐慌期には資本主義への懐疑が高まった。この結果、恐慌とは無縁に思われた社会主義への接近や、経済復興を成し遂げていると思われたナチズムを支持する動きも高まり、具体的な政策としてはケインズ理論が導入された。

 実はこの30年ほど前に問われたのが所得税のあり方だった。裁判や議論を経て「連邦議会は、いかなる源泉から生ずる所得に対しても、各州の間に配分することなく、また国勢調査あるいは人口算定に準拠することなしに、所得税を賦課徴収する権限を有する」修正条項が成立し、何が課税対象か、それに対する政府の権限はいかにあるべきかが定まったのは、1913年だった。それからわずか20年ほど後に社会主義やナチズムの影響が高まったのである。深刻な恐慌に直面した米国理念の根本的な動揺だった。

 その後も、日本軍国主義やナチスに対して非戦か参戦かが問われた「グレート・ディベート」、マッカーシズム、公民権運動、ベトナム反戦運動など、激しい対立が続く。そして今も、妊娠中絶、医療保険、銃規制など、多くの問題が結論を見ないままに議論が続けられており、年末までもつれ込んだブッシュとゴアの大統領選、原理主義的保守であるティーパーティー、社民主義を標榜するサンダース、そしてトランプと多くの政治的対立を生んできた。

 このように見れば、分裂は必ずしも悪いことではなく、むしろ米国社会が持つダイナミズムとも言い得る。同時に、憲法理念をめぐる未解決の問題に関する分裂は、憲法の上に作られた米国そのものの揺らぎに直結するからこそ、米国社会は分裂の表面化に敏感になる。選挙ごとに分裂の危機が指摘される意味はここにあり、これを無批判に日本社会に紹介し、安易に米国が危機に瀕している等の議論がなされるようなことがあれば、誤解を招く恐れもある。

 しかし、確かにトランプ現象は米国社会に関して大きな意味を持っている。それは、彼の発言が対外的な民族主義的扇動のように見えながら、実は国内問題であり、しかも米国社会が克服し、全体的な合意を形成してきたはずだったことを逆転させているためである。だからこそ、このような合意の上に成立してきた穏健派のみならずブッシュら新保守派も含めた従来の保守派の多くが立場を超えてトランプを批判し、彼は泡沫候補と見られていた。

 その一方で、特にオバマ政権の成立と共に急速に台頭し、共和党の中での影響力を拡大した米国保守原理主義とも呼ぶべきティーパーティー運動とトランプの主張は多くが重なり、ティーパーティーの創設者ジェニー・マーティンは「2009年にティーパーティー運動を立ち上げるに至った価値と原則が、ついにホワイトハウスの権力の頂点を極めた」(Jenny Beth Martin "The Tea Party Movement Is Alive and Well - And We Saw Trump Coming", POLITICO Magazine, November 19, 2016)と高らかに宣言した。これは、ティーパーティーが憲法を守れと叫びながらも、過去100年あまりの成果を十分にはふまえず、現在も議論が続いている問題について米国建国期の議論に遡って原理主義的にふるまっているためである。独立の重要なきっかけとなったボストン・ティーパーティー事件にその名が由来することは、このことを象徴する。

 こうした上に産業転換に取り残された層の拡大が重なり、米国社会が積み重ねてきた合意を否定するトランプの主張は広く浸透し、支持されてしまった。この合意の否定にこそ問題の深刻さがある。同時に彼の言葉の中には、20世紀初頭と第2次大戦後の、米国の2つの黄金期に由来するものも多い。日本右翼の歴史観が不正確かつ不適切であるにしてもそれなりの背景を持つのと同じく。そこで彼が放った言葉からいくつかを取り上げてその背景を見たい。

2 トランプの主張の歴史的背景


 トランプは中南米からの不法移民をやり玉に挙げた。メキシコ国境に壁を作るとの公約はトランプ現象を象徴するが、移民をめぐる軋轢は新しい問題ではない。例えば19世紀末から第1次大戦期には数百万人の移民が新たに米国へ渡り、1907年には1年で128万人を超えた。すでに米国社会で地歩を築いていた旧移民はこれに警戒を強め、ニューヨーク出身の弁護士で、東欧や南欧からの移民制限や、東アジアからの移民停止を主張したマディソン・グラントは、1916年に『偉大な人種の消滅』を著して、優れた北方人種に対して他の人種は劣っていると説いた。

 「これらの新たな移民は、その社会状況を改善しようとする自分自身の思いからやってきた以前の移民である高度な北方人種の一員ではもはやない。」「新たな移民の……大部分は、地中海周辺とバルカンの最下層から来た、弱々しく、崩れ、そして知的に劣った全ての人種と、ポーランドのゲットーの惨めな下層者の大群であり、その数が増加し続けている。」「もともとのスペインの征服者の血が先住インディアンに吸収され、我々がメキシコ人と呼ぶ人種の混合が生まれ、今では、自治能力もないことを自ら証明している。」(Madison Grant "The Passing of the Great Race", 1916)

 これを読んだヒトラーはグラントに手紙を書いて本書を「バイブル」と讃えた。ただし、このような露骨な人種差別意識は第2次世界大戦を通じて支持を失い、公民権運動などを通じて克服される。しかし、冷戦が終焉した1990年から米国の永住権取得者が増加し、2000年以降は、20世紀初頭と同様に年平均100万人を超え、不法滞在者も増加し、改めて軋轢が高まった。この中でトランプは第2次世界大戦後の合意を覆してしまったのである。

 トランプが繰り返す「アメリカ第1」にも歴史的背景がある。1940年、特に対独参戦への反対を目的にする「アメリカ第1委員会」が創設されたのである。中心的な役割を担った人間の一人に大西洋単独無着陸飛行を成し遂げたリンドバーグが、支持者にはジョセフ・ケネディらがいたが、米国史上最大の反戦団体の一つだったこの組織の寿命は1年あまりに過ぎず、日本のパールハーバー爆撃により解散した。また1943年には米国の参戦に反対する「アメリカ第1党」が翌年の大統領選挙に向けて結成されたが、結果を残せなかった。

 非戦か参戦かが問われた「グレート・ディベート」は、ここに決着を見た。この結果、米国社会は非戦を捨てて巨大な軍事国家に変貌することになる。日本軍国主義のような異常な存在の前には、理性と信頼に基づく平和主義は通用しない、これが米国社会が歴史から学んだ教訓であり、10年間をかけた議論の結論だった。そして日本の侵略により危機に陥った米国社会では強く団結が叫ばれるようになったが、分裂を絶えず経験してきた米国社会ではむしろこの方が例外だった。  また「アメリカ第1」には、対独、対日戦への反対というその目的から、親独派(さらには親ナチ派)、反ユダヤや日本のスパイ等も関わった(Wyane Cole "America First", University of Wisconsin Press, 1953)。「アメリカ第一」から、非戦と親ナチ、親日本軍国主義的要素を取り除くと米国原理主義的な要素が残る。それが、その時々の状況で反共、民族主義、宗教的原理主義などの性格を強めて表面化するようになる。「アメリカ第1党」も、四七年には反ユダヤ的性格を強めて「キリスト教民族主義者十字軍」に党名を変更した。「アメリカ第1」が象徴する意味は、非戦から偏狭で差別的なものに転換した。

 その後も「アメリカ第1」を名乗る動きがいくつか生まれるが、多くが保守的なものとなり、02年に結成された「アメリカ第1党」も、銃規制、アファーマティブ・アクション、違法移民に反対する宗教保守派となった。もちろん、「アメリカ第1」がこのような意味のみを持つわけではない。日本において「自由民主」が自民党のみを意味するのではないように。しかしそれにしても非戦を唱えて敗れ去った「アメリカ第1」なる言葉が、80年近くを経て、この間に米国社会が積み重ねてきた合意を無視する偏狭な民族主義として米国政治を制したことは象徴的である。

 トランプは地球温暖化を根底から否定するが、これも米国保守派の議論の文脈を踏まえて考える必要がある。地球温暖化は、米国社会の内部にいる限りは大きな注目を集めるような影響を持たず、だからこそ市場も重要な反応を見せない。もし取り組みが本格化し、規制が強化されれば市場は当然に反応するが、それは市場が自ら求めたのではなく、政府の規制強化の結果に他ならず、市場原理を歪める。

 そして米国社会が市場の機能に大きな信頼を寄せている以上、米国社会においてははっきりと目に見えないと思われがちなこの問題は、米国社会を支える理念の根幹に関わることになる。市場に対する信頼、つまり人の手によって容易に操作することが出来ない神の見えざる手に対する信頼は、少なくとも政治家に対するよりも高いのだから。さらに二酸化炭素の排出規制の影響を最も大きく受けるのは従来型の重工業等であり、これはトランプ支持者の多いさびついたベルト地帯に直結する。地球温暖化の拒絶が米国保守派において一定の支持を持つことの背景である。

 さて、具体的に政権に移行する上では、政治力学のみならず政策立案遂行能力の点からも、トランプも従来の保守派を取り入れざるを得ない。ここで加わるのが、特に90年代以降、国際的合意の否定を進めてきた保守強硬派である。これは、米国政治の軌道を国際主義に戻そうとしたクリントンへの反発と、冷戦終焉により混迷を始めていた保守派の懐古的な再編の上に形成されたもので、トランプの政権移行チームでは、95年に、40年以上にわたって民主党が多数派を形成していた連邦議会下院で共和党を歴史的勝利に導いたギングリッチ元下院議長らが挙げられる。

 彼らは本来はティーパーティーやトランプとは必ずしも相容れず、その意味では共和党主流派ではあるが、米国リベラルが強く警戒していた強硬派が多い。例えば、次期国務長官候補に名が上ったボルトンはブッシュ政権下で国連大使を務めたが、ブッシュが彼を指名した際にはリベラルから強い反発が示された。米国リベラルの懸念は現実のものとなり、ボルトンは国連で横暴な態度を示し、世界に大きな影響を与え、その一部は、本誌2016年2月号で紹介した。ところが、日本のメディアでは、むしろギングリッチやボルトンの方が米国政治の伝統を担っているかのように伝えられる傾向が強く、警戒感が少ない。大きなマイナスから始まったトランプだからこそ、従来ならば問題となっていたことが見過ごされがちになっている。

3 日本のトランプ現象


 民族や宗教をめぐるヨーロッパにおける不寛容の動きの拡大やイギリスのEU脱退、日本の右傾化などに照らして、トランプ現象を世界的なものとして見る傾向がある。しかし、ヨーロッパ社会で顕在化している軋轢に関して言えば、第2次大戦後にヨーロッパ全体が目指してきた全欧統合への歩みと、社会民主主義的な地球規模の秩序の構築に対する拒否であり、その対外的な施策が問われている。さらに言えば、1980年代以前つまり冷戦期への回帰である。これに対してトランプ現象には具体的な回帰の対象がない。国内問題として積み重ねられてきた合意を拒否し、抽象的に神話化された米国の建国期のイデオロギーを口にしているに過ぎない、抽象的なスローガンである。それが見捨てられた人々の現実により、いわば仮想現実を与えられているに過ぎない。その神話と仮想現実をつなぐ唯一の現実的可能性は、彼が実業家として成功したという点であり、これが米国の国内問題を揺さぶっている。

 一方、日本社会は大きく異なる。日本は、近代以降、宗教的な支配の下で強力に社会の一元化を進め、日本軍国主義の崩壊後もそれを強く引きずってきた。このため内部矛盾に十分に対応せず、政府が率先して取り組むことはほとんどなく、NGOなどが国連の人権基準などを導入することによりかろうじて進められてきた。しかもヨーロッパが取り組んできた国際的な課題に対してもほとんど常に消極的否定的姿勢を貫いてきた。このため米国からも、ヨーロッパからも、さらには第2次大戦後に新たな概念を提示した第三世界からも、そしてもちろん国内の被害者や少数者からも、何重もの意味で批判を受けてきた。つまり、トランプ化するだけの積極的な合意の積み重ねがそもそも弱く、回帰すべき対象が、「王政復古」した近代(もちろんこのこと自体が矛盾である)に安易に設定される。その中で90年代半ばから歴史認識問題が表面化し、95年には石原都知事を、01年には劇場政治と称された小泉政権を、さらに安倍、橋下らを生むことになる。つまり、国内の格差が深刻化する前から、そしてヨーロッパで軋轢が増す前から、その後トランプ現象と呼ばれるものと類似した事態が表面化していた。それは対韓、対中のみならず対米関係においても外交的軋轢を生み、経済的損害を巻き起こしているが、これは移民や難民の受け入れをめぐる米国やヨーロッパの軋轢や、地球温暖化をめぐる非科学的な主張以上に、非合理的で、他者から見て理解しがたい面が大きい。

 トランプの地球温暖化批判と日本右派の歴史認識に関して見れば、両者を支える文脈は似通っている。つまり、それぞれの社会の根幹に関わる(と認識されている)問題に影響を持つが故に、それぞれの社会おいてのみ特異的に論争化するのである。しかし、前者はその影響が世界規模であるために国際的な非難を集めることに対して、後者は議論としては理屈の段階に留まる上に、他国は心情的な不快と危険性を感じるが、直接的な害を被るのは日本に限られるため、それ以上に問題化しにくい点に違いがある。

 注目すべきは、トランプ現象と日本左派の類似である。トランプが地方の荒廃に着目したことは日本左派が重視する課題と通じ、トランプが米国の利益を損なうと批判するTPPを日本左派が米国に日本の利益を奪われると批判することは、ともに国際的な貿易のあり方を議論しているにはずなのにきわめて民族主義的であることで、一致する。

 仮に米国を除いてTPPを議論し直すとすれば、日本の影響力が圧倒的になる。もし日本左派がトランプと異なり、偏狭な民族主義ではないのならば、次のような主張を当然に行うはずである。世界の公正な経済のあり方を実現するために巨大な日本経済による富の独占を許すな、日本は中小国の国内自動車産業の育成を妨害するな等々と。ところがそのような声は聞こえてこない。これでは日本左派は、原発労働者に配慮して脱原発に躊躇する連合と同様で、さらに言えばトランプと変わりがないことになる。

 またグローバル化を批判するのならば、またタックス・ヘイブンなどが立場を超えた問題となるのであれば、それは国際的な経済活動に対する国際機関の権限の強化につながる。しかしここでも日本左派は自国政府のあり方に注意を払わない。これは、自国政府がPKOに責任を負う安保理の理事国でありながら、それを顧みないままで、南スーダンが戦闘状態か否かが問題になり、日本が核兵器禁止議論に参加することは核兵器禁止を弱めることを意味するにもかかわらず問題にならないことなどを指摘すれば十分だろう。そして当然のことながら、60年代から70年代の国連において多国籍企業が問題にされたことや、日本政府がこれを牽制し続けたことなどは、顧みられない。

 日本における問題は、トランプ的なのが、自国政府のチェックをしないままに自国をグローバル化の被害者として単純化している左派であることではないか。右派は単純に日本軍国主義への果てしない郷愁に溺れているに過ぎないが、対米関係を重視しているために、米国の枠を超えて暴走する危険性が少ない点に、皮肉ながら救いがある。  進歩的な雑誌とされる『世界』は2016年12月号で「混迷するアメリカ」と題して米国大統領選を特集し、サンダースの寄稿を掲載し、同時に「TPP 承認の代償」を特集した。このことに矛盾を感じていない点に日本左派の抱える闇があるのではないか。